第8話 そして、日常へ

 ぼくは、高いビルの上に降り立つと、吠え続けた。

誰かを呼んでいるように……

胸のチグリスフラワーは、どんどん大きく花を開き始めた。

地上に降りたら、人間を吸い込んでしまいそうだ。そんなバケモノみたいな姿で死にたくない。

でも、今のぼくに残された道は、人に迷惑をかける前に死ぬことだ。

「ウワン、どこにいるんだ? 早く、ぼくを殺してくれ」

 ぼくは、祈るような気持ちで、切れ切れに呟いた。

その時だった、目の前に、一人の人間が現れた。

「慎一くん!」

 目の前にいる人間には、見覚えがある。その声も聞いた記憶がある。

でも、顔と名前が思い出せない。

「慎一くん…… 慎一くんなの?」

 誰だ? ぼくを呼ぶのは…… ぼくの名前は、慎一というのか?

それすらも記憶が定かではない。

「慎一くん、あたしよ。美樹よ。わかるでしょ」

 ダメだ。思い出せない。誰だ、この人間は…… 逃げろ。逃げてくれ。

「慎一くん。あたしよ。わかるでしょ。思い出して」

 その時、チグリスフラワーの花が、その人間に襲い掛かる。

しかし、ぼくは、本能でそれを必死で止めた。この人間は、襲ってはいけない。

頭の中で、そう言っていた。ぼくは、叫びながら必死で足を止める。

「慎一。しっかりしろ。意識を持つんだ。精神を集中しろ」

「うおおぉ……」

 ぼくは、両腕で胸の花を押さえつける。

そのまま、膝を付いて頭を抱えて蹲った。どうしていいかわからない。

どうしたらいいんだ。

「美樹、慎一に話しかけるんだ」

「ハイ。慎一くん、慎一くん……」

「うわぁ……」

 頭の中がパニックになった。目の前の人間を吸い込めという意識と、

それを止める意識が戦っていた。

「ウワン、ウワン、早く、殺してくれ。早く、早く……」

「何を言ってるの? 慎一くん、しっかりして」

「早く、早く……」

「わかった。今、楽にしてやる。美樹、離れていてくれ」

 小さな赤ん坊が僕の目前にやってきてそう言った。この赤ん坊がウワンだと

いうことすら、見分けがつかなかった。

赤ん坊が、ゆりかごから身を乗り出して、ぼくに指を刺した。

「待って! ウワンちゃん、やめて。慎一くんを死なせないで」

 その時、目の前の人間がぼくの前に両手を広げて立ち塞がった。

やめろ、やめてくれ。早く逃げてくれ。ぼくは、この人間を犠牲にしてはいけない。頭の中で、何かが問いかける。

「退くんだ、美樹。もう、遅い。慎一は、意識も脳も、その花に乗っ取られたんだ。逃げないとキミも吸い込まれる」

「平気よ。あたしは、慎一くんを信じてるもん。慎一くんは、そんなことしない。慎一くんは、優しい男の子だもん」

「逃げるんだ、美樹。もう、慎一は、キミの知ってる慎一ではない」

「同じだよ。あたしの好きな慎一くんよ。ねぇ、そうだよね」

 そう言って、その人間は、一歩ずつぼくに近寄ってきた。

ダメだ、来るな…… 来ちゃいけない。ぼくは、キミを襲いたくない。

「美樹……ちゃん……」

 ぼくの口から、思いがけない言葉が出た。自分では、思ってもいない一言

だった。

「ウワンちゃん、慎一くんを助けて」

 その時、ぼくの頭の中に、ウワンが出てきた。顔と姿がはっきり見えた。

そして、動物たちが、ぼくに問いかける。だんだん意識が戻ってきた。

「美樹、もっと、慎一の名前を呼ぶんだ」

「慎一くん。元に戻って。いつもの優しい慎一くんに戻って」

「もっとだ」

「慎一くん!」

 その時、ぼくの胸に何かが突き刺さった。両腕が、胸に咲いてるチグリスフラワーを掴んで引き出そうとしている。

「ぐおぉぉ……」

 胸のライオンが大きな口を開ける。胸が裂けそうだった。心臓を締め付けられるようで苦しさで一杯だ。

「慎一くん、がんばって」

 ぼくの両腕が花を千切り始めた。そして、ライオンがその花に噛み付いた。

胸から大量の真っ赤な血が流れ始める。ぼくの両腕は、その真っ赤な血で

染めながら、胸に手を突っ込み花を穿り出そうとしていた。

激しい激痛が心臓を襲った。

「うわあぁ……」

 ぼくは、力の限り悲鳴を上げた。そして、そのまま仰向けに倒れた。

「慎一くん!」

「退くんだ、美樹」

「ウワンちゃん、何をしたの? 慎一くんは、無事なの?」

「説明は後だ。まずは、止血しないと」

 なにか小さな温かい手が、ぼくの胸に当てられた。

なんだろう、すごく温かく、安心する。

「慎一くん、慎一くん」

「よし、とりあえず、血は止めた。美樹、少しの間、目を閉じろ。慎一の家

まで、テレポートする」

 次の瞬間、ぼくは、輝く光に体を包まれた。夢の中にいるようだった。

夢の中で、誰かがぼくを呼んでいた。

その声と顔がだんだん見えてきた。そうだ、彼女だ。

ぼくが、一番会いたかった彼女だ。

 ハッとして、目を開けた。まだ、ぼんやりするぼくの目には、見覚えがある

天井が見えた。

「慎一くん、大丈夫。ウワンちゃん、慎一くんが目が覚めたわ」

「ここは……」

「慎一くんの家よ」

「美樹ちゃん…… 美樹ちゃんなの?」

「あたしのこと、わかるのね」

 少しずつ、頭がはっきりしてきた。目の前にいるのは、一番会いたかった、

彼女だ。

「慎一、ぼくがわかるか?」

「ウワンだろ」

「もう、大丈夫だ。意識が戻れば、元に戻るだろう」

「ウワン、ぼくは、生きてるのか?」

「もちろんだ。美樹と、体の中の動物たちに感謝することだ」

 ぼくには、まだ、何がなんだかわからなかった。

「キミは、重傷なんだ。しばらく寝ていろ。美樹、後を頼む。ぼくは、力を使いすぎて眠くなった」

「ありがと、ウワンちゃん。慎一くんを助けてくれて」

「ぼくは、ちょっと、力を貸しただけだ」

「そうだったね。おやすみ、ウワンちゃん。後は、任せて」

 その後、彼女が語った話によると、意識が戻りかけたぼくの体に異変が

起きたらしい。

体中の動物たちの意識と精神が、ぼくの心臓を守ってくれた。

熊とゴリラの両腕がチグリスフラワーを無理やり引き抜いた。

それを、胸のライオンが噛み砕いたのだ。ぼくの心臓に根付いていた

チグリスフラワーの根を引き抜くと同時にその部分を他の動物たちが代わりに

塞いだとのこと。それをウワンの超能力で、出血を抑えながら動物たちに力を

授けた。ぼくの薄れる意識と精神力は、彼女の呼びかけを続けることで維持

できたこと。

彼女の思い、動物たちの力、ウワンの超能力のおかげで、ぼくは助かった。

特に、激しい出血とチグリスフラワーを無理に引き抜いてできた胸の傷跡は、

ウワンが処置してくれた。

まったく、命拾いとはこのことだ。彼女からそんな話を聞くと、感心するやら、信じられない思いだった。

「だけど、一度に全部の動物たちを呼び出すなんて、ムチャしすぎよ」

「ビックリしただろ」

「そりゃ、したわよ。首が長くて、耳が長くて、目が光ってて、羽が生えてるし、両手はゴリラと熊だし、足がチーターみたいに長くて細いし、オマケに胸からライオンが顔を出してるんだもん」

 そう言って、彼女は、思い出し笑いをする。でも、ぼくは、笑ってるどころの話ではない。

それじゃ、まるっきり、バケモノそのものじゃないか。そんな姿を彼女に

見られたのは、死ぬほど恥ずかしい。

「でもね、一目で慎一くんだってわかったの。だから、安心したの」

 彼女は、そう言って、優しく笑いかける。ぼくは、そんな彼女を食べようとしたんだ。

「怖くなかった?」

「全然。だって、慎一くんが、あたしにそんなことするわけないと思ったもん」

「なんか、ごめん」

「もう、いいって。お腹空いたでしょ。少しずつ、栄養が着くものを食べた方がいいって、ウワンちゃんが言ってたからなんか作ってくるから、ゆっくり寝ててね」

 そう言って、彼女は、部屋を出て行った。ぼくは、全身を包帯で巻かれた

まま、寝ているしか出来なかった。

なんだか、情けないなと思う。そういえば、あの秘密基地みたいな研究所は、

どうしたんだろう?

確か、白衣の男たちは、みんなあのバケモノみたいな花に吸い込まれてしまったはずだ。

でも、あの施設は、あのままなはずだ。立ち入り禁止にするとか、破壊しないとまずいんじゃないのか?

何かしらの研究の資料は、残っているはずだ。アソコを発見した人が、また、

悪いことに利用したら大変だ。

 そうだ。学校は、どうなってるんだろう? ぼくは、ずっと休んでいた。

でも、何日休んでいたのかわからない。

みんな心配してるかもしれない。学校に行ったときに、なんて説明したらいいんだろう……

「お待たせ。あたし特製のお粥よ。まだ、肉とか魚は、食べちゃダメって、

ウワンちゃんに言われてるからしばらくお粥で我慢してね」

 彼女は、そう言って、湯気が出ている鍋を持って部屋に戻ってきた。

ぼくは、彼女に支えられて、上半身だけ起こした。

顔以外は、包帯まみれなので、自分で食事も出来ない。こうなると、変身人間のぼくも哀れなもんだ。

「ハイ、あ~んして」

「大丈夫だから。それくらい、自分で食べられるよ」

「何を言ってるの。スプーンも持てないくせに。いいから、あたしが食べさせてあげるから。キミは、病人なのよ」

 そう言われると、返す言葉もない。

「ありがと……」

「素直になりなさい。少しの辛抱だから。元気になったら、また、たくさん食べようね」

 ぼくは、彼女に従って、お粥を食べさせてもらった。ほんのり薄味で、

一口食べると、体に沁みる。

かなり体力とエネルギーを使わせた、動物たちも喜んでいるようだ。

「おいしいよ」

「そうでしょ。あたし特製だもん。たくさん食べて、早く元気になって、

いっしょに学校に行こうね」

 それを聞いて、思い出して、彼女に聞いてみた。

「あの、学校は、どうなってるの?」

 すると、彼女は、真面目な顔をして言った。

ぼくが学校を休んだ日のときからのことを、ゆっくり話してくれた。

「あの日、慎一くんが学校を休んだから、あたしは、ビックリしたの。先生に聞いたら、お父さんに不幸があったから、休むって言われて……」

 そうか、ぼくの親父は、死んだんだっけ。一番大事なことをすっかり忘れて

いた。

「お父様のこと、ホントに……」

「イヤ、親父のことは、いいんだ。自業自得だから。それに、ぼくをこんな体にした張本人だから、正直言って、死んでも悲しくないんだ。涙も出ないし、仕方がないと思ってるんだ」

「それで、お父さんは、アメリカにいるから、葬儀が終わるまで日本に帰らないって言われて」

「そういうことか。それで、ぼくは、何日、休んでるの?」

「三週間くらいかな」

「えっ! そんなに休んでいたの?」

 それは、知らなかった。そんなに休んでいたのか。あんな怪しいところに、

そんなに閉じ込められていたと思うと改めて怖くなった。

「学校に行けるようになるのは、まだ、一週間くらいかかるみたいよ。みんな心配してるから、戻ってきたらまた、ドカ弁を見せてあげてね」

 学校の友だちには、親父の葬儀のためと言うことになっているのか。

「なんか、みんなに心配かけちゃったね」

「大丈夫よ。このことは、あたししか知らないから」

 そう言って、彼女は、ぼくを優しく寝かせてくれた。

「それとね、ウワンちゃんも不思議に思ってることがあるの」

 彼女は、そう言って、ぼくの包帯に包まれた手を優しく握ってくれた。

「何で、意識もない慎一くんが、あたしのマンションに来たのかって言うこと」

 それは、ぼくにもわからない。変身した姿を一番見られたくない彼女の

マンションに来るなんて、意識があったら絶対にしない。

きっと、意識がなかったから、出来たことなんだろう。帰巣本能というなら、

自宅に帰るはずだ。それが、彼女の自宅マンションとは、ぼくも不思議だ。

 だけど、それは、きっと、彼女に会いたい一心だったからだと思う。

「ぼくにもわからない。だけど、あの時、美樹ちゃんの顔しか、思い浮かばなかったんだよ」

 今は、ケガ人として寝たきりだし、世話をしてもらっている身分だから、

正直に言える。

「もう一度、キミに会いたい。それしか考えなかった。だから、体が自然にキミのマンションに向かったんだと思う」

 彼女は、ぼくの両手で握って、ぼくの顔をやさしく見ている。

「あんな姿を見られたくないし、会ったら、美樹ちゃんを襲うかもしれない。

だから、そのときは、ウワンにぼくを殺してくれって頼んだんだ。でも、殺せなかった。体が動かなかったし、本能がそれを止めてくれたんだと思う」

「いいの。慎一くんになら、殺されてもあたしはよかったよ。そうしたら、あたしは、慎一くんの体の一部になれるんだもん」

「何を言ってんだよ。そんなことしないよ」

「そうだよね。慎一くんは、優しいんだもん。ずっと、あたしを守ってくれるわよね」

 ぼくは、小さく頷いた。

「でも、よかった。変身しても、あたしのことを思ってくれていたなんて、

うれしいわ」

 なんだか、ちょっと、顔が火照ってきた。

「ちょっと話しすぎちゃったね。疲れたでしょ。また、明日、様子を見に来るから、おやすみなさい」

 彼女は、そう言って、帰って行った。彼女の後姿を見送るのが、すごく悔しかった。


 それから一週間が過ぎた。ぼくは、すっかり元気になって、休んでから初めて登校する日を迎えた。

この日は、久しぶりなので、彼女が迎えに来てくれた。

「おはよう、慎一くん」

「おはよう、美樹ちゃん」

 朝の挨拶を済ませると、ぼくは、かばんを持って家を出る。

「慎一、弁当を忘れているぞ」

 ウワンがゆりかごを揺らして追ってきた。

「ごめん、ごめん。ありがとう」

「行ってきます、ウワンちゃん」

「美樹、慎一を頼む」

「あたしに、任せて」

 彼女は、胸を張って、ウワンに言った。彼女なら、ぼくを安心して自分を任せることが出来る。

危なくなったとき、危険が迫ったとき、変身しそうになったとき、いつでも彼女がそばにいるから安心できる。

 久しぶりの学校だ。なんか、すごく緊張する。

「そんなに硬くならなくてもいいんじゃない」

「でも、みんなと会うのは、久しぶりだし、どんな顔していいか……」

「いつも通りにしていればいいのよ。きっと、みんなビックリするわよ」

 ぼくは、緊張しながら、彼女と教室に入った。

「おっ、やっと、出てきたのか」

「久しぶりじゃん。元気かよ」

「お父さんのこと、残念だったね」

「みんな心配してたのよ」

 あっという間に、ぼくは、クラスの人たちに囲まれた。

そして、口々にいろんなことを言われて、ぼくは、面食らって、何をどう

話したらいいのかわからない。

「学校、休んで、ごめん」

「そんなのいいってことよ」

「とにかく、元気そうでよかった」

「また、お前のドカ弁を見るの楽しみだな」

 すごくうれしくなった。みんなの顔を見ると、元気が出てくる。

こんなぼくでも、みんなは、暖かく受け入れてくれた。

「おいおい、なに、泣いてんだよ」

 ぼくは、言われるまで気がつかなかった。

どうやら、ぼくは、泣いていたらしい。

なんで涙が出るのか、自分でもわからない。

「ハイ」

 彼女がハンカチを出してくれた。ぼくは、それを受け取って涙を拭った。

そんな優しい気遣いがうれしかった。やっぱり、彼女は頼りになる。

ぼくは、この学校でよかった。いい人たちに囲まれて、クラスの友だちには、

感謝しかない。

「ありがとう」

 ぼくは、彼女とクラスの友だちに言った。

「バカだな。お前は、友だちだろ。それくらい、普通だろ」

 友だち…… ぼくのことを友だちと言った。それがたまらなくうれしかった。

「ほら、席について」

 ぼくは、彼女に促されて、久しぶりに自分の席に座った。

戻ったきたことを実感して、うれしくなった。

「気持ちはわかるけど、変身することは、言っちゃダメだからね」

 彼女は、ぼくの気持ちを察して、小さな声でそう言った。

「うん」

 ぼくは、それしか言えなかった。

また、ぼくは、ここでみんなといっしょに、勉強するんだ。

そう思うと、やっと、気持ちが落ち着いてきた。

 生きててよかった。ぼくは、ホントにそう思った。

「ねぇ、美樹ちゃん」

「なに?」

「お願いがあるんだけど」

「何かしら?」

 ぼくは、変なお願いを彼女にした。

「ぼくの体の中の動物たちの名前を考えてほしいんだ」

 彼女は、一瞬、なにを言ってるのかわからない様子で、首をかしげていた。

でも、すぐに笑顔になって、こう言った。

「わかった。いい名前を考えておくね」

 ぼくの体の中の動物たちが、心なしか、喜んでいるような気がした。


ぼくは、変身人間。体の中に、10体の動物たちがいる。

特殊能力で、思った動物に変身出来る。

この秘密を知ってるのは、彼女とウワンだけだ。

これからも、ぼくは、そんな動物たちと生きていく。

 ぼくは、一人じゃない。たくさんの仲間と友だちがいる。

なんだか、自然と笑みがこぼれて、気持ちが晴々としてきた。


 それから少し立ったある日、ぼくは、彼女から衝撃的なことを聞かされた。




                               終わり

  

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ぼくは、変身人間。 山本田口 @cmllaaa

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