第5話 イルカになった少年
そんなことがあってから、ぼくは、クラスの友だちにも少しずつなれて来た。
まだまだ友だちと言えるような人はいないけど、話すことはできるように
なった。
これも、彼女のおかげだ。ぼくは、彼女に感謝している。
学校では、彼女がきっかけで、女子の生徒にも緊張しながらも、話ができるようになった。
そして、大きく変わったのは、給食のときに、ぼくにご飯を分けてくれるようになったことだ。
「パン、一個食うか?」
「ダイエットしてるから、半分食べくれる?」
などなど、クラスの人たちが、ぼくに給食を分けてくれるようになった。
もちろん、ぼくは、ありがたくいただく。さらに、ありがたいことに、
誰も先生に弁当の持ち込みのことは言わなかった。
それもありがたい。少しずつだけど、ぼくは、クラスに溶け込むことが出来た。
学校の帰り道、ぼくは、彼女と歩いていたとき、こんなことを言われた。
「最近、慎一くん、明るくなったよね」
「そうかな……」
「前から見たら、全然違うもん」
以前は、ホントに暗かったんだなと思い出す。だいたい、学校で、笑ったことがない。それが、最近は、クラスの男子の話を聞きながら、笑うことが出来るようになった。
「あのさ、今度、いっしょに泳ぎに行かない?」
「えっ?」
「慎一くんは、泳げるのよね。しかも、すっごく早く」
いきなり、そんなことを言われて、正直驚いた。確かに、ぼくの体には、
イルカの細胞があるので水の中は、息をしなくても大丈夫だ。
でも、彼女と泳ぎに行くということは……
「ダメ?」
「イヤ、ダメじゃないけど、調子に乗って泳ぐと、イルカになるかもしれないから、人に見られるのは……」
「そのことなら、安心して。あたしのマンションには、室内プールがあるから、貸し切れば誰も見られないから」
さすが、タワマンに住んでるだけのことはある。そんな設備があることすら、知らなかった。
「ねぇ、いいでしょ」
「う、うん、それならいいかな」
「そうだ。せっかくだから、ウワンちゃんも連れてきてよ」
「ダメダメ、ウワンなんて、もっとまずいよ」
「平気よ。普通にしてれば、ただの赤ちゃんにしか見えないもん」
「でもなぁ……」
「それじゃ、あたしが聞いてみるわ。ウワンちゃんがいいって言ったら、連れてきてよ」
「わかった」
なんとなく、押し切られた感じになった。それでも、なんか楽しくなりそうな予感がする。
「それじゃさ、明日の学校の帰りに、水着を買いに行こう」
「えっ!」
「どうせ、持ってないんでしょ。体育のプールの授業は、見学してるし、
慎一くんも水着を買いに行こうよ」
またしても、彼女に見透かされている。ぼくは、プールの授業は、念の為に
見学をしていた。だから、水着は持ってない。でも、女の子と水着を買いに行くなんて、ちょっと恥ずかしくないか……
「もちろん、あたしも買うから、慎一くんが選んでね。でも、ビキニとかは、
恥ずかしいからダメだからね」
マジか…… ぼくが彼女の水着を選ぶのか。出来るか、自分に……
「イヤ、それは、その……」
「そんな顔しないでよ。そんなに恥ずかしいことじゃないでしょ」
思わず自分の顔を手で触ってみたら、かなり熱くなっていた。
「今日は、この後、塾があるから、夕飯を作りに行けなくてごめんね」
「イヤイヤ、全然平気だから」
「それじゃ、明日、楽しみにしてるからね」
そう言って、彼女は、走って行ってしまった。
ぼくは、彼女の後姿を見詰めたまま、小さくなるまで見送っていた。
「ダメダメ、ぼくは、行かないよ。美樹と二人で行って来ればいい」
「たまには、ウワンも外の空気を吸った方がいいんじゃないの」
「その必要はない。ぼくは、家の中で充分だ」
早速、帰ってから、夕飯を食べながらウワンに聞いてみた。
予想通り、ウワンは、断った。むしろ、ぼくは、ウワンが来ない方がよかった。
ウワンが来ると、なにかと気を使うからだ。
「それじゃ、美樹ちゃんと泳ぎに行くから」
「余り、調子に乗って、変身なんかするなよ」
「しないよ」
でも、変身しないと泳げない。彼女の前で、みっともない姿は見せたくない。
そんなわけで、翌日、学校帰りに彼女と、駅前のショッピングセンターに
向かった。
初めて行った水着売り場は、ぼくにとっては、すごい世界に見えた。
女子の水着だけではない。今は、男子の水着もかなり派手なものが多い。
「これ、男用なの?」
「そうよ。今は、こんなのが流行ってるみたいね」
ぼくが手に取ったのは、オレンジ色でなにか文字というか、模様がついている派手な水着だった。しかも、短パンよりちょっと長い感じで、ぼくが思っていた水着とは、まるで別物だった。
「こんなのが似合うんじゃないかな?」
彼女が手にしたのは、水色で波の絵が書いてあるものだった。
「そ、そうかな……」
肌にフィットしているというより、かなりダブついているので、泳いだら脱げてしまわないか心配だ。
「それか、こっちもいいと思うけど」
そう言って、見せたのは、緑色で桜の花などが書いてあった。
「よくわかんないよ」
「それじゃ、こっちにしよう」
そう言って、彼女が選んだのは、ブルーの水着で波の絵が書いてある
水着だった。
見た目は、かなり派手そうだけど、彼女が選んでくれたものだから問題ない。
「それじゃ、今度は、あたしのを選んでね」
そうだ。そのことがあったんだ。女の子の水着を選ぶなんて、
ぼくにできるのか?
第一、水着なんて買ったことがない。まして、女子の水着なんて、ぼくには
センスがない。
そんな彼女は、軽い足取りで、女子用の水着コーナーに歩いていく。
ぼくは、自分用の水着を抱えたまま、彼女の後についていく。
飾ってある水着を見ると、まるで、お花畑に来たように見えた。華やかというか、明るいというかすべてがキラキラして見えた。
「どれがいいと思う?」
そんなことを言われても、ぼくには、返事が出来なかった。
「これかな、こんなのも可愛いと思うけど」
彼女は、何枚か手に取って、体に当てながら聞いてくる。顔が真っ赤だぞ、
大丈夫か、自分……
「もっと、ちゃんと見て」
彼女に言われてみると、同じ水色の腰のところにフリルがついている
ワンピース型の水着だった。
もう一枚は、薄いピンク色で、胸にリボンが付いている水着だ。
「どっちがいいと思う?」
「えっと、その……」
ぼくは、しどろもどろになる。そんなぼくを見て、彼女は、笑っている。
「そんなに緊張することないでしょ」
「なんか、熱くなってきたよ」
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。それじゃ、えーと、こっちのが美樹ちゃんに似合いそうかな」
ぼくは、同じ水色の水着を選んだ。
「やっぱり、そうよね。色も慎一くんとお揃いだし。こっちにしよう」
そう言って、彼女とぼくは、レジに並んだ。会計を済ませて、袋に入れた
新品の水着を抱えて、駅ビルを出た。
「さて、それじゃ、今夜のおかずを買いに行こうか」
「えっ、いいの? 塾とか用事があるんじゃないの」
「今日は、お休み。だから、大丈夫なの」
そう言って、彼女は、いつものスーパーに向かって、歩いていく。
「さて、今夜は、何にする?」
彼女は、スーパーの店内を見渡しながら聞いてきた。
「う~ん、どうしようかな……」
ぼくも悩み始めた。いつものことだけど、ぼくにとって、食事というのは、
ただ口に入れるだけの行為だ。
そこには、おいしいとか、まずいとか、味とかは、感じたことがない。
それが、最近、彼女と食べるようになって、しかも、作ってくれるように
なって、食事というものの楽しさや食べることのおいしさを感じるようになってきた。それもこれも、彼女のおかげだ。
「今日は、焼肉でもしようか。お肉がセールの日みたいだから」
ということで、今日は、焼肉パーティーになった。ガッツリ、10人前の肉を
買う。もちろん、肉だけではない。野菜も買う。ついでに、やきそばも買ってみる。
「これだけで、足りる?」
「大丈夫じゃないかな」
ぼくは、カゴに山盛りの食材を見て思った。
スーパーの店員も、慣れたもので、食材を袋に詰めてくれる。
「それにしても、毎度、毎度、よく買うね。こんなに食べるのかい?」
「食いしん坊が、10人くらいいるんです」
彼女が応えた。10人というのは、きっと、ぼくの体の中にいる動物たちのことだろう。
「そんなにいるんじゃ、食事を作るのも大変だね」
「そうなんです。だから、あたしが手伝ってるんです」
「偉いね、お譲ちゃん」
なんか、ぼくを見る店員の目が、変わってきた。
こうして、荷物を二人で持ちながら、自宅に戻った。
「ただいま」
「お邪魔します」
ぼくたちの声を聞いて、ゆりかごに乗ったウワンがやってきた。
「先に、ウワンのミルクを作るから」
「それじゃ、あたしは、野菜を切っておくわね」
「慎一、毎回、美樹に手伝わせるのは、どうかと思うぞ」
「ウワンちゃん、違うのよ。あたしがやりたいの。慎一くんに頼まれたわけじゃないのよ」
それを聞いたウワンは、返事をしない代わりに、ゆりかごの中に横になった。
ぼくは、ミルクを作って、ウワンをゆりかごから出して、抱き上げて哺乳瓶を
咥えさせた。
「なんか、若いパパって感じね」
ミルクを飲ませている姿を見て、彼女が言った。
「もう、慣れたよ」
ぼくは、そう言った。事実、一年以上、こうしてウワンにミルクを飲ませている。
「こうして見ると、ウワンちゃんは、普通の赤ちゃんにしか見えないわね」
傍目で見ると、ウワンは、どこにでもいる、普通の可愛い男の赤ちゃんに
しか見えない。
「さて、お腹も一杯になったし、今度は、ぼくたちの番だよ」
ぼくは、ホットプレートをテーブルに置いて、電源を入れた。
温かくなったら、肉から焼いていく。
「焼けたら、どんどん食べてね」
彼女が焼いてくれた肉を、ぼくは、次から次へと口に放り込む。
ぼくは、食べているだけで、なんか悪い気がしてくる。
「いいから、あたしのことは、気にしないで、真一くんは、たくさん食べて」
またしても、ぼくが思っていたことを彼女が感じて、先に言われてしまった。
野菜を焼き始めたところで、ようやく彼女も食事に参加してきた。
「慎一くんを見てると、食べすぎちゃうから、気をつけなきゃ。今度プールに
行くから、お腹が出てたらみっともないしね」
「そうだ。今度、美樹ちゃんとプールに行くんだけど、ウワンも来る?」
行かないというのを期待して聞いてみた。
「ウワンちゃんもいっしょに行こうよ」
彼女も聞いてきた。果たして、ウワンは、なんて言うか?
「いいよ。ぼくもたまには、外の空気を吸ってみたいし、慎一が心配だからな」
今、なんて言った? 行くって言ったよな。ウワンからの応えは、まさかの返事
だった。
「やった! ウワンちゃんも行くってよ。よかったね、慎一くん」
ぼくは、食べかけた肉を喉に詰まらせたかと思った。
「ホントに来るのかよ?」
「慎一が調子に乗りそうだからな」
ぼくは、余り浮かない顔をしていると、ウワンが言った。
「ぼくが来たら、まずいことでもあるのか?」
「別に、そんなのないけど、それなら、アレを出さないとな」
「アレって?」
彼女が不思議そうな顔をする。
「ベビーカーだよ。まさか、ウワンをおんぶするわけに行かないだろ」
「いいじゃない。あたし、おんぶしてみたいわ」
「ダメダメ、美樹ちゃんみたいな子がおんぶしてたら、ヘンな誤解されるよ」
「アラ、いいじゃない。あたしも昔は、弟をおんぶしてたから、それくらい
できるわよ」
「それがね、前は、ウワンを外に連れて行くために、専用のベビーカーを作ったんだよ。久しぶりに使ってみたくなったんだよ」
「そんなの作ったの?」
「正確には、ウワンに作らされたんだよ。でも、外に行くと、周りの人の目が気になってきて、最近は外にも行かないからベビーカーは、しまったままなんだよ」
ぼくは、正直なことを言った。ぼくのような子供が、ベビーカーを押していると、周りの人の視線が気になる。
ヒソヒソと陰口を言ってるのも知ってる。何しろ、ウサギの耳が勝手に、
話を聞いてしまうからだ。
そんなこともあって、ウワンを連れて外に行くことは、ほとんどなくなった。
食事が終わってから、早速、押入れの中から改造ベビーカーを引っ張り出した。
「ここにゆりかごをそのまま入るようにしたんだ。これなら、簡単だからね」
「慎一くんて、そんなこともできるんだ。器用なのね」
こんなことで褒められても、うれしいのは、なぜだろう。
「それじゃ、そろそろ帰るわね」
「送って行くよ」
「ありがと。それじゃ、今日は、空から送ってもらおうかな」
「えーと、どうしよう……」
ぼくは、さり気なくウワンを見ると、寝ているように見えたので、
翼を出そうと思う。
そして、ぼくは、彼女の前だが、シャツを脱ぐ。
「ちょっと、待って。これに着替えて」
彼女は、かばんから、ある物を出してぼくに見せた。
「あたしが作ったの。ちょっと改造したけどね」
それは、Tシャツだった。でも、背中の翼の部分だけが大きく開いている。
「これなら、もう、脱がなくてもいいでしょ。あたしも、毎回、裸の男の人に抱かれるとドキドキしちゃうじゃない」
それはそうだろう。いくらシャツを破かないようにするためとはいえ、
服を脱いで、抱えられるのは、恥ずかしいに決まってる。
ぼくは、そのシャツを着てみる。サイズもちょうどいい。
翼の位置も合っている。これなら、シャツをムダにしなくていい。
「ありがとう。丁度いいよ」
「よかったわ。これなら、シャツも破れないし、ウワンちゃんにも怒られないわよね」
そう言って、チラッとウワンを見たけど、やっぱり、寝ているようだ。
寝たふりしているのかもしれないけど……
そんなわけで、ぼくたちは、外に出ると、背中に精神を集中させた。
背中から大きな翼がバサッという音ともに生える。シャツの背中を気に
したけど、大丈夫なようだ。
「いつ見ても、きれいな羽よね」
彼女は、大きな白い翼を触っている。なんか、肌を撫でられているみたいで、くすぐったい。
「それじゃ、ちょっと、失礼するよ」
そう言って、ぼくは、彼女を抱き上げた。
「ちゃんと掴まっててね」
そう言うと、彼女は、ぼくの首に両手を絡める。急接近するので、彼女の顔がすぐ近くに見える。
ぼくは、なるべく見ないようにして、背中の羽を何度か羽ばたかせると、夜空に飛び上がった。
一気に飛び上がる。真っ暗な空に、ビルのライトや星の光がきれいに見える。
彼女の髪が風になびいて、すごく美しい。
「怖くない?」
「ちっとも怖くないわ。最高に楽しい」
彼女は、そう言って、下を見ている。しかし、空の旅は、ほんの数分で
終わる。
ウチから彼女のマンションまでは、すぐ近くだ。ぼくは、マンションの屋上に
ゆっくり降り立った。そして、彼女を静かに足から降ろした。
「送ってくれてありがとう。でも、あっという間だから、今度は、もっと長く飛びたいな」
「でも、危ないよ」
「平気よ。慎一くんなら大丈夫。あたし、信じてるから」
そう言うと、彼女は、手を振りながら屋上のドアに消えていった。
「明日のこと、忘れないでね」
彼女は、最後にそう言って、帰って行った。
ぼくは、余韻に浸りながら、しばらくそこから動けなかった。
それから、少ししてから、背中の翼を広げて、夜空に飛び立った。
明日が楽しみだ。今まで生きてきて、明日が楽しみなんて気持ちになったことは一度もない。
今は、それを感じることが、なんかすごく温かい気持ちになって、変身人間に
なったことも受け入れられるようになった。
翌日、学校に行くと、クラスの人たちが話しかけてくるようになった。
「今日の弁当は、どんなおかず?」
「お前の弁当って、うまそうだよな」
「心配すんなって、お前が弁当を持ってきてることは、先生には言わないから」
そんな優しい言葉までかけてもらえるようになった。
彼女は、教室では、ぼくを見守っているだけで、積極的には話しかけてこない。
微妙な距離感が、ぼくにはうれしかった。もっとも、クラスの人たちの前で、
付き合う宣言なんて言ったので他の生徒たちも、彼女に対しては、一線を引いたようだった。以前ほど、男子たちから、声がかけられなくなった。
今日の給食のときも、ぼくは、さっさと食べ終えると、いつものドカ弁を
出した。ぼくが食べていると、回りの男子も女子も、こっちを見ている。
「相変わらず、よく食べるね」
「おいしそうに食べるから、見てるだけで楽しいわね」
そんな声が聞こえるようになった。彼女は、そんなぼくのことをうれしそうに見ていた。
三個のドカ弁を食べ終えると、ホッと息をついた。
午後の授業までは、男子は校庭で遊んでいる。女子は、おしゃべりに夢中
だった。彼女もその中にいて、仲のいい女子たちと話をしている。
ぼくは、午後の授業に向けて、予習でもしようと、ノートを開いた。
すると、ウワンからテレパシーが届いた。
『ウチに帰るときは、周りに気をつけろ』それだけだった。
また、何者かがウチを見張っているようだ。
いったい誰だろう? まったく心当たりがないだけに不気味だ。
もしかして、ぼくの正体を探ろうとしているのかもしれない。
ウワンが探ろうとテレキネシスなどで、心の中を読もうとしたらしいが、
うまくいかなかった。
普通の人間なら、ウワンの超能力で、それが何者なのかわかるはずだ。
それができないというのが、不安だった。
学校が終わって、下校時間になると、彼女から声をかけてきた。
「今日の約束、忘れてない?」
「覚えてるよ」
「それじゃ、あたしのマンションの前で待っててね」
「わかった。下に着いたら、メールするから」
こうして、ぼくたちは、一度別れて御互いのウチに帰る。
もちろん、帰宅するときには、回りに充分注意する。ウサギの耳とトンボの目が大活躍だ。ついでに、犬の鼻も使ってみた。確かに、ウチの回りに、知らない
ニオイが残っていた。
このニオイは、ぼくでも、ウワンでも、彼女でもない。誰だろう……
ぼくは、注意しながら帰宅した。
「ただいま。ウワン、美樹ちゃんちに行くよ」
そう声をかけると、ウワンは、すでにベビーカーにゆりかごごと乗っていた。
「まったく、調子がいいんだから」
ぼくは、そう言いながら着替えて先日買った水着を持って、ベビーカーを
押して外に出た。
ウワンを連れて外に出るのは、久しぶりだ。ウワンも外の空気を吸って、静かに寝ている。
ぼくみたいな高校生が、ベビーカーを押して歩くと、注目の的だ。
まして、駅前を通るとなると、もっと目立つ。そんな視線を気にしないように
しながら歩いた。
彼女のマンションの下について、メールを入れると、すぐに彼女が出てきた。
「ウワンちゃんも来てくれたのね」
そう言って、ベビーカーを覗いた。ウワンは、普通に寝ている。
「こっちよ」
そう言って、地下一階のスポーツジムが併設されているプールに案内された。
「すごいね」
そんな感想しか出てこない。マンションの地下に、専用のジムとかプールが
あるなんて、見たことない。
「貸切にしてあるから、他の人は入ってこないからね。あっちが更衣室だから、着替えてきて」
言われてぼくは、更衣室に行って、あのときの水着に着替える。
少しすると、彼女も水着に着替えてやってきた。
「お待たせ」
ぼくは、彼女の水着姿に目のやり場に困る。
「どう?」
「似合うよ。すごく可愛い」
「ありがとう。慎一くんもよく似合ってるよ」
彼女の水着姿は、一段と可愛い。ぼくは、ドキドキが止まらない。
「ウワンちゃんは、泳がないの?」
「泳げないんだよ」
「そうなの? ウワンちゃんは、何でも出来ると思ったけど、以外ね」
ウワンは、超能力者だから万能なのだが、水に入るのは、極端に嫌がる。
たまにお風呂に入れるときも、かなり抵抗するくらいだ。
「それじゃ、泳ごうか」
ぼくたちは、念の為、準備体操をしてから、足からゆっくり水に入る。
ひんやりして冷たくて気持ちいい。彼女は、泳ぎが得意なのだろうか?
そんなことを思っていると、彼女は、悠々と泳ぎだした。
泳いでいる姿もきれいだった。25メートルのプールを端から端まで、クロールで泳いだ。そして、水から顔を出すと言った。
「慎一くんも泳いでみて」
ぼくは、普通に泳いだ。しかも、平泳ぎだ。
「普通だと、泳ぎは、イマイチなのね」
彼女の感想は、当たりだ。その通り、イマイチなのだ。
「今度は、イルカで泳いでみて」
ぼくは、一度、水の中に頭まで潜って、壁を蹴る。見よう見まねで潜水泳法だ。
それと同時に全身に精神を集中させる。背中からイルカの背びれが現れる。
両足が尾ひれのように変身すると、あとは、黙っていても水の中を泳げる。
さっきとは、桁違いのスピードで水の中を泳げるのだ。
「す、すごい!」
彼女もビックリしている。背中にヒレを生やした人間なんて、見たことない
はずだ。
「慎一くん、早すぎ。てゆーか、ホントにイルカじゃん」
ぼくは、背中にヒレを出したまま水から顔を出して、彼女の傍に行く。
「ホントにイルカだ」
彼女は、ぼくの背びれを珍しそうに撫でている。
「背中に乗ってみる?」
「いいの?」
「大丈夫だと思うよ。まだ、人を乗せたことはないけど、ゆっくり泳ぐから」
そう言って、水の中にうつ伏せに浮くと、彼女は、ぼくの背中に跨って、
背びれに掴まった。
ぼくは、ゆっくり泳ぎだす。まさか、ぼくの背中に彼女を乗せて、泳ぐことに
なるとは、思わなかった。
「早い、早い。おもしろ~い」
彼女の声がぼくにも聞こえた。プールを何度か往復すると、彼女は、楽しそうに笑った。
「慎一くん、最高!」
そう言って、ぼくたちは、プールの縁に腰を降ろすと、彼女がそう言った。
「今度は、自分で泳いで見たら。ぼくが手伝ってあげるよ」
いつの間にか目が覚めたウワンが言った。すると、彼女の体がふわっと宙に
浮いた。
「えっ! なに、なに……」
突然、宙に浮いた彼女は、ビックリしている。
次の瞬間、彼女は、水の中に落ちる。慌てて顔を上げて、息を吸う。
「目を開けて泳ぐんだぞ」
そう言うと、彼女は、水の中をすごい速さで泳ぎ始めた。
ぼくは、心配になって、ウワンに話しかけた。
「ウワン、無理させるなよ。美樹ちゃんが可哀想だろ」
「彼女なら大丈夫。泳ぎの基礎は出来ている。見てみろ」
確かに彼女は、クロールで水を上手にかいでいる。なのに、さっきよりも
早い。そして、ぼくのところまで泳いでくると、顔を上げて楽しそうに
微笑んだ。
「水泳って好きなんだけど、早く泳げると、もっと楽しいわね。ウワンちゃん、もっと泳がせてよ」
彼女は、早く泳ぐのが好きになったようだ。ウワンの超能力で、早く泳げる
ようになると、ぼくと競争しようということになった。イルカになったぼくと、ウワンの超能力を使って泳ぐ彼女とどっちが早いかということだ。
ぼくは、ウワンの超能力に、勝てるのか?
「それじゃ、行くわよ」
ぼくたちは、プールの縁に立つと、彼女の合図で水の中に飛び込んだ。
背びれと尾ひれを使って、水の中を泳ぐ自分の隣に、彼女のクロールしている
バタ足が見えた。
マジか…… ウワンの超能力は、そこまで、すごいのか?
普通の人間をぼく以上の早さで泳がせることが出来るのか。
それについていく、彼女の体力もすごい。
それでも、先に壁にタッチしたのは、ぼくの方だった。
「やっぱり、負けたわ。慎一くんのが早いのね」
「イヤイヤ、美樹ちゃんも早いよ」
「ウワンちゃんの力を借りたからよ」
そう言う彼女に、ウワンが言った。
「そうじゃない。美樹の泳ぎが上手だったからだ。泳ぎ方がよかったからで、
ぼくは、少しだけ力を貸しただけなのだ」
「ありがとね。ウワンちゃん」
そう言って、ゆりかごから抱き上げたウワンの頭を優しく撫でると、プックリした頬っぺたにキスをした。
「ウワンちゃんて、やっぱり、可愛いわ。あたしもこんな赤ちゃんがほしいな」
その一言に、ぼくは、ドキッとした。
それからも、ぼくと彼女は、泳ぎを楽しんだ。水の中で手を繋いで泳いだり、バタフライをやったり、水泳というより、水遊びだ。
それが楽しかった。こんな感情になったのは、初めてだった。彼女といると
楽しい気分にさせてくれる。
そして、時間になったので、ぼくたちは、プールから上がって着替えを済ませた。
「せっかく来たんだから、ウチによって行かない?」
「イヤ、でも、その……」
「いつも、あたしばっかり慎一くんちにお邪魔してるから、今日は、あたしの
ウチに来てほしいの。お茶くらいしか出せないけどね」
結局、ぼくは、ウワンのベビーカーを押して、エレベーターで最上階まで上がることになった。そこが、彼女のウチなのだ。
中に入ると、改めてすごい部屋だ。
最上階だから、街の全貌が見えるくらいの眺めだった。
「すごいね」
それしか、言葉がなかった。部屋の中も、きれいに整理してあって、
ものすごく広い。ウチとはえらい違いだ。こうして見ると、ウチなんて、
狭いし汚いし物がない。
「まだ、親は、仕事だし、弟は部活で忙しいから、帰ってないの」
そう言って、お茶を出してくれた。
「なんか、緊張するな……」
「あたしなんて、毎回、慎一くんのウチに行くと、緊張するわ」
「そうなの?」
「だって、ウワンちゃんに怒られたらどうしようとか、慎一くんが迷惑じゃないかとか、いろいろ考えちゃうのよ」
そうだったのか…… そんなこと、ちっとも気がつかなかった。
隣で寝ているウワンは、静かにしている。こうして見ると、可愛いんだけどなと思う。
「ウワンちゃんも、大変よね。超能力者って、ホントにいるとは思わなかったわ」
「ウワンは、特別なんだよ」
そう言って、彼女は、ウワンの髪を撫でた。街を一望できる窓が、次第に暗くなってきた。
「それじゃ、そろそろ帰るね。今日は、ありがとう」
「うん、下まで送っていく」
今日は、逆の立場だ。ぼくがウワンを乗せたベビーカーを押していると、
彼女がこんなことを言った。
「あたしにやらせて」
そう言って、ベビーカーを押してくれた。
「なんだか、お母さんになった気分ね」
ぼくは、彼女の姿を見て、また、心臓がドキドキしてきた。
ウワンは、気がついたのか、髪の間から片目を覗いて、彼女を見ていた。
「アラ、起こしちゃった。ごめんね」
彼女は、そう言って、ウワンを抱き上げた。両手で抱きしめられたウワンも、まんざらではない顔をしている。
「今度、ウワンちゃんもいっしょに買い物に行こう」
「ダメだよ。ベビーカーが邪魔だし、荷物もあるし、それに、なんて見られるか……」
「いいじゃない。堂々としてれば」
以前は、ベビーカーにウワンを乗せて買い物に行ったことがある。
だけど、そのときは、他の買い物客や店員の視線が、ものすごく痛かった。
それ以来、ウワンを連れて行くことはなくなった。
「それじゃね。また、明日」
ぼくは、そう言って、彼女と別れた。ベビーカーを押しながら帰る。
「バイバイ」
彼女もそう言って手を振ってくれた。
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