第六話 『死貴族たちは花嫁の祝歌に剣を捧げ』 その8


 さあて。始めようじゃないか。


 左腕を伸ばし、籠手に覆われた無骨な指を矢に絡めた。深夜の海は暗く、吸い込まれそうになるのは悪い条件じゃある。黒い色は重力を持つ。『古王朝』から伝わっているのかもしれない物理学のことではなくて、ヒトに錯覚をもたらす何かがあるんだよ。


 やや上を狙う必要がある。


 熟練の技巧と経験値で磨かれた動きであったとしても、本能に根差す錯覚の力からは自由にはなれん。我々は不自由なところがある、可愛らしい獣なんだよ。不完全さを、楽しむのも一興さ。


 弓につがえていた矢を、離してやった。長い弓がしなって揺れて、オレの赤い前髪を弾く。矢はうなり声を上げて飛翔していき、期待通り―――よりは、やはり下に垂れた軌道で飛んでしまう。


 外れたわけじゃないよ。


 失敗も許容しているとね、こういう射撃であっても敵の体には当てられるものだ。


 距離のせいで悲鳴は聞こえない。しかし、死は見えた。勇敢な見張りが一人、マストの頂上あたりに君臨していた若い帝国兵の腹に、垂れた軌道は届いていた。胸を狙ったが、そいつが精度を欠いてしまい、こうなったんだ。


 許容の範囲内の失敗だがね、やはり乾き切っていないシャフトも少しはこの結果を招くことに作用していると思う。


 腹を射貫かれた男が、ぐらりと崩れ。そのままマストから甲板に落ちた。ヒトは3メートルでも死ねるから、十メートルをはるかに超える高さから落ちると即死することもある。腹を射貫かれた直後では、器用な受け身の一つも取れん。


「―――見張るということは、見張られることだ」


 ガルフの言葉を思い出せば、戦場にはいつも納得が見つかる。どれだけ長く、どれほど多く。戦場を渡り歩いていたのか。その全てを把握するには、オレなんぞはまだまだ若すぎるということだろう。想像もつきはしないからね。


「敵襲だああ――――」


「うああ―――」


 攻撃は重ねるものだ。ミアと、キュレネイが続いてくれたよ。弾丸と矢が、それぞれに命を奪う。マストに乗っていた連中は、これできれいさっぱりいなくなる。三人しかいなかったな。


 角笛が吹かれる。


 暗い夜の海に、その遠くへ響く音は幻想的じゃあった。まるで黄泉の世界に呼んでいるみたいじゃないか。オレたちじゃなくて、オレたちの敵を。その音は、つまるところ自虐的なものに過ぎん。


 獲物を選んだよ。


 あの船を沈めるために、ゼファーは火焔を吐き出した。奇襲だからこその大胆さが使える。反撃されることについて全く気にすることもなく、ゼファーは獲物の船に近づいて、その甲板とマストを炎の舌で舐めてやるんだ。


 一瞬の破壊力はないが、数秒も続く『炎』のブレス。竜の唾液は魔力の込め方次第では松脂のように長く燃える。反撃される隙もある攻撃方法ゆえに、あまり多用することは難しいが……今は奇襲の一発目。矢を撃ってくる三人組はもう死んじまっている。


 長く息を吐きかけたあとで。


 ゼファーは燃える軍船を後にする。海上すれすれを飛び抜けて、およその人間族の目には映らない飛び方をした。想像力の範囲を越えているし、この漆黒のうろこと黒ミスリルの鎧は、夜の海に馴染んで一つに融けちまう。


 帝国兵どもの多くが、ゼファーを見失った。事実上、全員がね。ヒトは目立つものを見てしまうものだ。燃える軍船に視線を向けている帝国兵が多すぎて、波を羽ばたきで潰す低さで敵船のあいだを飛び抜けていく竜を見つけられもしなかった。


 沈没させる船は。


 ……こいつにしようじゃないか!!


「ゼファー!!歌えええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」


『GHAAAAAOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』


 至近距離から火球を使う。金色の呪印も使っていたぜ。『ターゲティング』。本気を出すのが哀れになるほど、小さな軍船。せいぜい15メートルほどしかない小型の敵だ。そいつの脇腹を二人がかりの魔力で爆撃してやったんだよ。


 海水が飛び散り、水柱の中には無数の木っ端が混じっていた……ああ。想像していた以上に、こちらが『強かった』な。当然ではある。ゼファーが成長していたからだ。『エルトジャネハ/悪霊の古戦神』との戦いで得た経験値が露骨なまでに反映されている。


 腹を破られ海水に呑まれて傾く敵船、そのマストを足蹴にして高さへと戻った。この小さな軍船をより傾けて、二度と海の上を走れなくするための意地悪な蹴りでもあったよ。マストもへし折ってやったから、奇跡の鎮火作業が行われたとしても動けない。


 死んだも同然ではある。


 羽ばたきを使い、高く高く、戻ろうじゃないか。闇雲にだが矢を放ってくるバカな帝国兵がいるからな。同士討ちをさせてやりたいところだから、もらってやる義理はないさ。我々の影でも射貫き、味方の頭に注いでしまえばいい。敵どもの矢なんぞ。


「今の、火球が……『尖っていた』ね!!」


「イエス。ゼファー、どうしたでありますか?」


『えへへ!』


「『『エルトジャネハ/悪霊の古戦神』の咆哮を貫いた火球。ククリとククルの協力もあって放てた、貫く火球。そいつを再現したんだよな』


『そーだよー!!やれたー!やっぱり、やれるとおもっていたけれど、やれたー!!』


 自慢げに笑う仔竜の横顔を見る。金色の瞳が何と愛らしく輝いていることか!


「褒めてあげるねー!」


 オレの代わりにミアの小さな手が、大きな首根っこをナデナデしてくれていたよ。


『えへへ。ゆだんは、よくないけど。いまのは、よかったから……なんども、いめーじして。じぶんのものにしておくんだー』


 『貫く火球』。帝国軍船の腹を突き破ってから、爆発する『炎』だ。軍船対策には、かなりの強さを発揮してくれる。やはり、たまには強敵と命がけの力勝負をしてみるのも良いことだ。ずいぶんと大きな武器を見つけられることもある。




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