第2話 女 in 砦



 ──かいつまんで、彼の人生を生きてください。

 ──そんなことを、かいつまんで出来るんかい。

 ──今から、転機になった女との出会いについて、エピソードを抜き取ります。

 ──お、女か。おお、女。それは、その苦しゅうない。

 ──殿様かい。


 三方を、峻厳な崖に囲まれた砦にいた。

 過去、生きていた頃なら、ぜったいに訪れたくないような場所だ。


 危険、危険、危険と、真っ赤な警戒警報がグルグルまわり鳴りっぱなし。ここは、雲嵐ユンランがいる山賊が根城にする隠れ家だと、シレっと妖精が教えた。


 そして、オレは、ずっと崖の上を見ている。

 これは、雲嵐ユンラン視点なんだろう。


 ずっと、崖の上を見ている。

 それから、ず〜〜〜と崖の上を見ている。

 さらに、さらに、ず〜〜〜〜〜〜〜〜と、ずっと崖の上を見ている。


 ──いったい、この男、なにをしてるんだ。

 ──照れてるんです。

 ──へ?


 その時まで気づかなかった。

 雲嵐ユンランがチラっと、ほんのチラっと視線を動かし、また、崖の上に視線を戻した。

 

 そうか、わかったぞ、若造。

 見えたわ、オレにも。


 

 こんな場所には不釣り合いにつやめかしい女がいる。年の頃、たぶん30歳前後か。雲嵐ユンランからすれば、年上の女だな。

 巨乳だ。

 いや、ここ、アメ神的には大丈夫なのか? このまま巨乳設定、許すんかい。規制なしかい。そこ、問題なしなのか!


 ま、オレは大いに許しておこう。

 そのな、着物の前が微妙にほどけた肉付きのいい女をチラっと見たんだ。

 チラリと見えるその谷間。

 

 ボン・キュッ・パアア、じゃないボン・キュッ・ボン! 


 もちもち肌の、ぞくっとする妖艶ようえんさ。男ならなあ、こんな女に抱かれたい。いや、抱きたいだろう。


 スレンダー貧乳、可憐な妖精ナンバー1とは真逆タイプの肉食系色っぽい女。全身がフェロモン。すべての働きバチが招き寄せられるような、ねっとりしたハチミツみたいな女だ。


 ──ちょっと。仮にも神の御使いさま。

 ──なんすか。

 ──やーしい感情、ダダ漏れしてるんですけど。

 ──な、なんも、なんも言ってないがな。

 ──このエロジジイ!

 ──だから、なんも考えてもおらんし。

 ──ボン・キュッ・ボンって、今どき、ありえないほど歴史的な死語、昭和の匂いしかない。その言葉の選択、いっそ尊いです。

 ──あ、ありがと。

 ──ほめてはおりません。


 オレの入っている体、雲嵐ユンラン、26歳。山賊みたいな姿をしているが、かなりウブだ。


 無理して視線を崖上に外している。

 見たいだろう。見たいはずだ。なにせ26歳だ。


 目を逸らすなよ。オレが見えん。いや、別に今さら見たくもないが、おまえの正直な下半身の反応を、こっちも感じてるんだ。


 バリバリの現役感覚、なつかしいのう。


 が、このアホ、視線をそらしてる。そこは山賊になれよ。きっちり、山賊しろよ。おい、こら、やせ我慢、すんじゃねぇ。


 耳が、全身が耳になって、崖の上を見ながら衣擦きぬずれの音をキャッチした。


「あんた、誰? かわいいわね」と、ぽってりした唇から、なまめかしい声がする。

「関係ねえよ」


 うっわ、精一杯の強がりだ。

 こいつの評価をするんか。いいぞ、してやる。これ以上、視線を逸らしたら、減点だ。


 減点だっちゅうに、欲望のかたまりが、むっちゃ我慢しているぞ。


「姉貴!」と、遠くから若い男の声がした。


 これは邪魔しにきた別のゴロツキなんだろうか。


 その声が聞こえなかったように、ひと呼吸おいた絶妙な感覚で、「なあに?」と、女の声がする。わざとだ。わざとじらしてゴロツキに返事をしながら、声の方向は雲嵐ユンランに向かっている。


「頭領がお呼びですぜ」

「そう、ねぇ、この子、なんて名前」

「そいつですかい。最近、入った奴で、おい、お前、姉さんに挨拶せんか」


 雲嵐ユンランはそっぽを向いて、何も答えない。


 そこでカッコつけても、体の反応はちがうぞ。そしてな、老婆心から言うが、この手の女。おまえの状態なんて、鼻からわかって、からかってんだ。カッコつけずに返事をしろって。


「名前は」


 うっわ、脂っこい汗にまじった濃厚な女の匂いが近づいている。


「ねぇ、名前を聞いてるの」

雲嵐ユンラン

「そう、雲嵐ユンラン。覚えたわよ、……たぶん」


 ちらっと雲嵐ユンランは女を見た。

 おおっと、この女も男との距離間がまちがっているぞ。ほら、雲嵐ユンランが完全に動揺している。


 こんなウブに、この至近距離って、姉さん、落とそうとしてるよね。落として捨てるパターンだよね?


「ま・た・ね♡、雲嵐ユンラン


 そう言うと、女は軽く雲嵐ユンランの耳たぶに人差し指でさらっと触れ、ボン部分(注釈:腰)をくねくねしながら去った。


 雲嵐ユンランは、二度と女を振り返らずに逆方向へ歩く。


 ──おい、妖精よ。

 ──何でしょうか。

 ──こういう男って、なんだな。女性から見て、どう思う?

 ──わたしにお聞きに?

 ──そうだ。

 ──わたし、一応、性別がありません。

 ──いや、どっからどこ見ても、女の子なんだが。

 ──気のせいです。

 ──で、雲嵐ユンランみたいな男をどう思う。

 ──ヒト科、雄、身長180センチ。推定体重70キロ、ブラウン系の髪色、B MI判定値痩せ気味、永続的な栄養不良、タンパク質の摂取量不足、その他……。

 ──もういい。悪かった、オレが悪かった。オレに評価させる意味がちとわかった気がする。



 数日後、夜のようだ。

 遠くから笛の音が聞こえる。その音はどこか物悲しく、夜のしじまを、たゆたうて流れてくる。


 天を見上げると満月。白い月が大きく崖にかかっている。嫋々たる笛の音がかすかに届くのは、その崖上からだ。


 雲嵐ユンランは音に導かれて崖上に向かう細道を登る。


 頂上に、岩に腰を下ろした細い人影が見える。


 満月が灯りが照らすのは、例の女だ。この世のものとは思えない幽玄の世界のよう。女は無心に笛を吹いている。妖艶な姿から、これほど清らかな音色が出せる不思議さ。おもわず雲嵐ユンランは聞き入ったようだ。


 ぽってりとした唇をあて、いつまでも、あきもせず女は笛を吹く。


 きらりと女の頬が光った。

 すうーっと流れた涙が、月の光に反射したのだ。


「きれいだ……」


 無意識に彼の口もとから声がもれた。

 ピタッと笛の音がやんだ。


 女と目が合う。


 頬に涙のあとをつけたまま、女はまるで気づかないように、冷たい表情で雲嵐ユンランに向き合った。


「泣いているのか」

「ふふふ……、こういう満月の夜にはね。古傷が痛むのよ、ぼうや」

「どんな古傷だ」

「けっして癒されない、そんなものよ。ねぇ」

「なんだよ」

「わたしに中途半端に近づかないのよ。怪我するわ」


 月明かりで、女が笑みが見える。


「オレは、近づけるのか?」

「ぼうや、あなたじゃ、無理よ」

「なぜだ」

「金も権力もない男に興味はないの」



 ──どういう女なんだ。妖精よ、知っているだろう。

 ──絶望した女よ。なにものにも心を動かさない。魔に魅入られた女。

 ──魔に魅入られた?

 ──確かに、近づいてはいけない女よ。やけどするだけ。でも、雲嵐ユンランは、この女を追うわ。追って追って追って、でも手に入らない。消えてしまった。



 満月の夜は魔物だ。普段なら言えないことも、つい言葉にしてしまう。

 

「おまえの名前は?」

「名乗る価値があるのかしら」

「オレは、おまえの王になる」


 女は小首をかたむけ、手で漆黒の髪をかき上げる。胸もとがさらに広がり、白い乳房が半分、あらわになった。


「そう、ぼうや。わたしの名前は、楚々チューチュー

「待っていてくれ、楚々チューチュー


 女はぷっくらした唇に笛を寄せると、静かな曲を奏でた。その目はなにも見ていなかった。


 ──雲嵐ユンランは力を持ちたいと思ったきっかけが、この夜の出来事。この世界で成り上がるために、貧しい者が唯一できる手段があります。彼は山賊を抜けて王国の兵士に志願したの。

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