第5話 命と名誉



 首級を槍にさし、意気揚々と陣地に戻った雲嵐ユンランたち。疲れ切っていたにもかかわらず、勝利の興奮は冷めやらず陣地に凱旋した。


 しらじらと長い夜が明けようとしている。

 朝霧がたちこめた砦の門では、貞憲ジェンシエン将軍が待ち構えていた。


貞憲ジェンシエン将軍。勝利です。敵の大将首、取ってきました」

「ご覧に入れたかったです。やつら、ほうほうの体で逃げてきました」と、部下のシャオも笑った。


 貞憲ジェンシエン将軍は、護衛を従えながら、唇を震えさせた。


「しょ、勝利だと」

「は、敵軍は四散しました。敵将は、このように」と、雲嵐ユンランは首級を見せる。


 貞憲ジェンシエン将軍は、白い髭を震わせ、両手を天に伸ばすと、激昂げっこうした。


「お、おまえは何てことをしてくれたんだ! この大馬鹿ものが! ワシの戦いに泥をぬりおって。わかっているのか。自分のしたことを、わかっているのか!!」

「ジェ、貞憲ジェンシエン将軍、大勝利なんです。敵は逃げて、わが軍は全滅をまぬがれ……」

「黙らんか、この大馬鹿者めが!」


 貞憲ジェンシエン将軍は声だけでなく、頭の上から足もとまで、全身をブルブル震わせている。よほどの怒りに耐えているのだろう。


「こんな、こんな卑怯な勝利がっ、勝利と思っているのか! いっそ死んだほうがよかったわ。なにも、おまえはわかっていない。やはり下賤げせんの出は下賤でしかない! おお、おお、もう取り返しがつかん。おまえは、わかっておらん、全くわかっておらんのだ」


 貞憲ジェンシエン将軍の声は徐々に弱まり、まるで泣いているように聞こえた。


 裕福な商科に生まれ、貧民に転落して絶望を味わった雲嵐ユンラン。その後、軍に志願して血の滲む努力で成り上がり、百人隊長まで出世した。

 商人の家で成長した彼は、徹底的な実利主義に馴染んでいる。


 だからこそ、彼は貴族社会を理解してなかった。ただ、真っ赤になった将軍の怒りを、唖然として見るしか術がなかった。


 いったい、何を怒っているのか。まったく見当がつかないのだ。


 ──おいおい、妖精よ! このバカは何を怒っているんだ。

 ──あなたも雲嵐ユンランと同じ穴のムジナですね。この社会では『誇り』こそが命なんです。恥はもっとも忌むべきものです。彼らの心棒するものは、徹底的に名誉です。もっとも恥ずべきことを、雲嵐ユンランはしでかしたってことっす。

 ──ことっすって、若い娘がなんちゅう言葉使いだ。それでも妖精か。

 ──妖精、軽い系、お約束のボケです。


 クククっと皮肉な笑い声が頭に響いた。


 ──それ、ボケにもならんけどな。ブツブツ……。それにしても、アホな。この男が踏ん張らねば、槍に首級を乗っけているのは、貞憲ジェンシエン将軍の方だったろうが。

 ──彼は根っからの生まれながらの誇り高い貴族です。体裁を重んじる男です。こんな勝利をするぐらいなら、死んだほうがましと思う男なんです。

 ──なんじゃあ、そりゃあ。命が一番だろうが。

 ──命の重さは、世界観に左右されます。将軍にとって自分の命も他人の命も軽いんです。しかし、名誉は大地よりも重い。


 いったい、どんな世界観だ。


 ──だから、闇討ちという卑怯な手で勝ったことが大問題でしょうね。騎士道精神が尊ばれる世界において、闇討ち等という手段は山賊と変わらない。だから、逆に発想の転換で勝てたとも言えるけど、むっちゃ苦い勝利なわけ。いっそ勝利でもない。負けたようなもんです。

 ──命がなくなりゃ、それで終わりだ。

 ──いえいえいえ、教育、環境、社会による思い込みでは、命の軽い世界があります。だから、戦いに勝って、世間に負けた。それが雲嵐ユンランの悲劇。御使いさまだって、おわかりでしょう。現世では、ずいぶんとヌルいことして、友人の借金を背負ってしまったじゃない。情に負けて、妻を不幸にした。そんな、あなたの言葉とも思えない。

 ──いや、そりゃ、違うでしょ。

 ──それは、同根です。


 結局、貞憲ジェンシエン将軍は怒りをぶつけ、おめおめと王の御前に出る不敬はできないと言い放ったのち、その場で自害してしまった。


 王都に戻った雲嵐ユンランたちを待ち受けていたのは、貴族たちの白い目だった。生きていくのが間違っているとばかりの視線、視線、視線。その後、彼の部隊は辺境の地に追いやられた。


 王都から遠く、国境の地に追いやられた彼らは、隣国の兵と小競り合いしながら生きていくしかなくなった。


「オレは、このままでは終わらん」

「大将。オレたちだってさ、ついてきますぜ!」


 日焼けで真っ黒な顔をした自分と同じように傷だらけの仲間たち。雲嵐ユンランは心で泣いた。


「ああ、俺たちだけで、どこまで行けるか、やってみようぜ」

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