雲嵐編:最終話



 雲嵐ユンランは、朝廷から辺境の地を守れと命じられ、苦楽を共にした百名ほどの兵を引き連れて向かった。到着した場所は荒地しかない、辺鄙へんぴな場所だった。


 王都から離れ、日々の食糧さえもままならない状態。

 ここで野たれ死ねということか。


 そもそも政争にあけくれる朝廷では、僻地の兵など使い捨ての単なるコマでしかない。


 仲間は飢えた。戦いよりも飢えで死んでいった。


 王都へ物資の補給を求めるために、何度も早馬を飛ばしたが、全く意に介されない。



 ──妖精よ。戦中、戦後の飢えを今さら経験するなんて。この辛さ、忘れておった。おい、腹がへったぞ。

 ──実際に、お腹が空いているわけじゃありません。まったく我慢のできない人ですね。それは雲嵐ユンランの感覚であって、あなたのじゃないのです。気のせい。気のせい。

 ──妖精ナンバー1。

 ──なんでしょう。

 ──おまえも、この苦痛を味わえ。

 ──ごめんです。



 砂ボコリの舞い上がる干上がった土地で、雲嵐ユンランは兵に食べさせることに心を砕いた。身分がはっきりした封建社会では、上のものが下の兵士を労ったりしない。


 貴族たちの専横が理不尽だと考える素養さえない兵たちは、下のものを気遣う雲嵐ユンランを愛した。

 彼がしたことは、おおよそ王都の貴族には思いもつかないことだからだ。


 幼い頃、商家に育った彼は商いに目端が利く。根っからの商人だ。


 雲嵐ユンランが目をつけたのは、山賊討伐だった。


 荒地で生きるため山賊まがいの行為をする者は多い。彼の部隊は、国境の砦で商人たちの行き来を警備して小銭を稼ぎ、その上、ちゃっかり山賊のワケマエを盗んだ。

 雲嵐ユンランはさらに、それを組織化することに成功した。

 

「食べれなきゃ、国も守れねぇ」ってのが、彼の言い訳だった。


 部下であり、仲間でもある兵たちは、食わしてくれる彼に尊敬の念を抱く。

 雲嵐ユンランの名声は徐々に高まった。彼のもとに、いつしか食いっぱぐれた貧しい者たちが集まり、組織はさらに巨大化した。


 最初は百人だった部隊が、いつしか千人に膨れ上がり、さらに増えた。彼らは食うためにも勢力を伸ばす。


 一方、イルレン王朝は臣下たちの権力争いにより、老王が弑逆しいぎゃくされるという事件が起きた。まだ6歳の幼い世子が王位を継承し、宰相が摂政となった。なお悪いことに、宰相のめかけが権勢を奮っているという。女は名を楚々と言った。


 国は乱れに乱れた。


 56歳になった雲嵐ユンランは、いつしか雲王と呼ばれるようになり、彼は支配する土地をサフィーバ王朝と名付けた。


 王として自覚したのだ。


 辺境の地で起きた王朝を、イルレン王朝の功臣たちは危機とは考えなかった。しょせんは遠い片田舎での出来事だ。


 高を括ったために、彼らは大きな代償を支払うことになる。雲嵐ユンランが王都へ進軍をはじめたとき、朝廷の誰も最初は信じなかった。

 しかし、王城までの道のりにある砦や城は雲王の評判により無血開城したと聞き、彼らは、はじめて事態の深刻さを知った。



 

 ──妖精よ。いったいここは、どこなんだ。急に場所が変わっているぞ。オレが知るのは、雲嵐ユンランが王都に向かって進軍したところまでだ。その先は?

 ──そっから、端折はしょりました。

 ──いい加減すぎないか? ウルトラ面白い戦乱が見れそうだったのに。

 ──痛い思いをしたいですか?

 ──へ?

 ──お忘れかもしれませんが、雲嵐ユンランが受ける感覚をすべてあなたは感じます。逆に言えば、傷を負えば痛いのです。

 ──傷を受けたのか。

 ──ま、雲嵐ユンランにとってはかすり傷程度ですが。主なものを言えば、腕に矢を数本。それから、右足を骨折。思いっきり刀剣で切られ顔に残った深い傷と。他には……。

 ──よか、端折はしょろう。


 なんだか、妖精が皮肉な目でにらんだような気がする。気のせいだ。


 ──それで、ここはどこだ、いったいどうなったんだ。

 ──この場所は、雲嵐ユンランが支配する王城です。王として君臨している彼の姿です。

 ──これまでとは違い、贅沢ぜいたくな場所だな。しかし、体が重い。覚えがあるぞ、この感覚。若い体にはない重みと怠さだ。重力が増したのか。

 ──単純に年をとったのです。雲嵐ユンランは王都を攻め、勝利しました。その後、サフィーバ王国を建国したのです。

 ──女は?

 ──女って。例の楚々ですかい?

 ──そうそう、その楚々だよ。

 ──戦乱のさなか逃亡しました。行方知れずです。山中で賊に殺されたとか、狂って崖から身を投げたとか、いろんな噂があります。

 ──妖精よ。

 ──なんでしょう。

 ──仮にも神の手先。知っているだろう。


 ぽよよよよ〜〜〜〜ん。


 ──お、おい、急に消えるな。






 王城の吹さらした塔に、雲嵐ユンランはひとり立っていた。季節は冬だろうか。パラパラと雪が降っている。


 寒さが身にこたえるはずだが、彼は酒をしこたま飲み、あまり感じてないようだ。

 時間は永遠に過ぎていく。


 いったい、どれほどの時間を待ち、どれほどの時間を、あの女のために費やしただろう。もう今では何を待っているか、何を探しているのか忘れてしまった。


 いつしか雪は止み、雲が切れて星が空を彩る。

 酒臭い息を吐く自らに、雲嵐ユンランは興醒めする。


 笛が奏でる豊かな音色が響いている。隠れた場所で楽隊のひとりが王のために演奏しているのだ。それは、かつての女が崖上で演奏していた曲。


 あの日、天には満月が煌めいていた。


 泥酔した王は酒に酔ったしゃがれた声で、ささやくように節をつけて歌いはじめる。

 扇を広げ、ふらふらした足取りで彼は舞う。



 寂々寥々じゃくじゃくりょうりょう 夜、ひとり酒を飲む。

 蒼蒼そうそうたる天、 茫茫ぼうぼうたる平原

 おんな艶然えんぜんとして去る

 唯だ夢見る、あのおんなを思わん

 我は生涯をかけ、王になり、名をあげた

 我は天を知らず

 寂々じゃくじゃくたる日々に、何を得んとや

 愚かなり

 天に求めたるは、ただあのおんなひとり

 いま、ひとり酒に酔う



 歌いおわり、酒瓶からラッパ飲みした。雲嵐ユンランの目から、あの日の女のように一筋の涙がこぼれ落ちていく。


 ──これが66歳の雲嵐ユンランの姿です。彼の生命は最後を迎えようとしています。さあ、御使いさま、お仕事の時間です。

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