10
次の日、私は環さんに会うことができた。
まりちゃんは時間のかかる検査があるらしい。「わたしのこと待たないで、先に会っていいよ」と言われたので、そうすることにした。気になることがたくさんあった。
一般病棟に移された環さんは、ベッドに寝てはいたけど案外元気そうで、「車が来たとき、とっさに横に逃げたんですよ。もっとしっかり避ければよかった」なんてくやしがっていた。
「まぁ、多少は避けられたのでこの程度のけがですみました。しばらく車椅子みたいですけどね」
環さんはあきれたように少し笑った。多少もなにも、避けられる時点ですごいと思うけど……私は志朗さんが、環さんのことを「少年マンガの主人公みたいな人」と言っていたのを思い出した。
志朗さんのことを話すと、環さんは「さっき本人からも連絡がありました」と言った。持っていたスマートフォンは事故で壊れてしまったけれど、お見舞いに来た環さんの家族に新しいのを買ってきてもらったらしい。
「箱はちゃんと妹尾に渡したそうですから、ひとまず安心してよさそうですね」
そう言われて、本当にほっとした。安心しすぎてちょっと泣きそうになった。
環さんは続けた。
「残念ながら志朗も今日は体調が最悪で、一日中寝てるそうです。声がガサガサでした」
「そういえば志朗さん、最初に病院の駐車場で会ったときも、すごく具合悪そうでした」
やっぱり、と環さんがため息をついた。
「志朗は『よむ』精度がかなり高くて、それはいいんですけど感覚が鋭すぎるんです。葵さんに憑いていた呪いは特に強くて古かったから、影響を受けて体調が悪くなったんでしょう。それでも病院の駐車場で『よんで』、大体のことは把握できたみたいですけど、建物内に入れなくて困ったって言ってました」
よむのはすごいんだと環さんは言った。環さんはよむ相手が近くにいるか、いつも使っている品物がないとできないけれど、志朗さんは遠くにいる人の電話の声だけでも手がかりにできるそうだ。私に五十音を読み上げさせたのは、おねえさんがちゃんとはがれているか、確かめるためだったらしい。
「でも志朗さん、結局箱を持っていってくれました。近くに来られなかったはずなのに」
そのことをたずねると、環さんはふふっと笑った。
「近づけるように、感覚が鈍るまでお酒を飲んだんですって。おかげで酔っぱらったまま、何時間も車に乗ることになって大変だったそうです。車も車内クリーニングしないとならなかったって」
じゃあまた吐いたんだな……志朗さんも黒木さんも大変だったみたいだ。
「志朗はこの件、わたし向きの案件だったって言ってました。わたしの方が鈍感だからって。鈍感だから車にはねられたんですけどね」
不満そうな環さんに、私は気になってしかたがなかったことを聞いてみた。
「あの……志朗さん、箱を持っていくときに、まりちゃんのママの名前を呼んでました」
「そうですか」
環さんはうなずいた。
「わたしの事故はたぶん、葵さんについていたものや、あいちゃんではなく、まりあさんのお母さまが起こしたものです。いわゆる幽霊とか悪霊とか、そういったもののしわざですね。その代わりと言ってはなんですが、葵さんの呪いもまりあさんのあいちゃんも、あの箱の中にちゃんと封じられていますから、そこはご心配なく」
そう言ってため息をついた。「確証はありませんが、ずっとあいちゃんのそばにいたんでしょう。もっと早く気づけばよかった」
「あの、まりちゃんのママは……」
私が尋ねると、環さんは「おそらく、もういません」とすっぱりと答えた。
「箱を安全に運ぶために、志朗が消してしまいましたから」
やっぱりそうなんだ。
私はまりちゃんのことを考える。まりちゃんはやっぱり悲しむだろうか。ママが二度もいなくなったことは、ないしょにしておいた方がいいのかもしれない。
私の気持ちを見透かしたみたいに、環さんが言った。
「ああいう事故を起こすくらいですから、小早川聖子さんの霊は相当強かったはずです。消すためには、彼女のフルネームが必要でした。ああいうものにとって、正体を知られるっていうことは痛手なんです。それだけで弱くなってしまう」
そこで一度言葉を切る。「志朗に聖子さんの名前を教えたのは、まりあさんだそうです。自分から電話をかけて、ママがいるかもしれないって相談してきたって」
どきっとした。
まりちゃんはママのことが大好きだったはずなのに、それでも消してもらうことを選んだ。それってなんていうか――よくわからないけど、少なくとも私がどうこう言うことじゃないと思った。きっとまりちゃんは、そっちの方がいいと自分で決めたのだ。
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