09

 志朗さんは座り込んでいる私の肩に手をのばすと、服についたゴミをとるような仕草を何度かくり返した。

「はい、よし」

 そう言って最後にぽんぽんと肩をたたくと、大きなため息をついた。やっぱりお酒の匂いがする。この人めちゃくちゃお酒くさい……と、さっきの寒気も、足の重さも全部うそみたいになくなっていることに、私はようやく気づいた。怒っていた人の気配ももうしない。

「それ、ください。箱」

 目が見えないはずなのに、志朗さんは全部わかってるみたいに私がかかえている紙袋を指さす。ぽかんとしているうちに、すっと持っていかれてしまった。志朗さんは紙袋から箱を取り出すと、

「よくないよ。こんなもの。葵さんが持ってるのも、病院なんかにあるのも」

 と言いながら、持っていたテープを箱にぐるぐる巻いた。まだぼんやりしていると、「紙袋もらっていいですか?」と聞かれ、私はあわてて「あっ、はい。いいです」とおかしな返事をしてしまった。

「ありがとう。持ちにくくて」

 半分ほどテープを使ってしまった志朗さんは、緑色のボールみたいになってきた箱を紙袋に戻し、それを持ってふらふらと立ち上がる。そのとき、ロータリーの送迎用駐車スペースの方から、黒木さんが走ってきた。

「志朗さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫。これ、葵さんが運んできてくれた」

 志朗さんは私に軽く頭を下げ、空いている左手で黒木さんの肘をつかんだ。

「じゃあ〜妹尾さんとこ向かいますか。黒木くん、運転頼んだ」

「了解です。七時間かかります」

「地獄……」

 歩き始めた志朗さんが、「そうだ」と言ってこっちを振り向いた。

「あの〜、たぶん環さんに聞いたら色々わかるはずなんで……そろそろ会えると思います。ボクは泥酔の二歩くらい手前なのですみません、急ぐし。これで」

 そう言ってまたフラフラと歩き出した。

 ちょっと離れたところに停めてあった銀色の車に、志朗さんと黒木さんが乗り込む。ドアが閉まり、車が走り去っていくのを、私はだまって見送った。

 車は無事に遠ざかっていく。

「あおいちゃん!」

 後ろで声がした。病院の玄関から、看護師さんに付き添われたまりちゃんが出てくるところだった。

 なんだ、こんなにすぐにばれちゃったんだ。私なんかばかみたいだ。

 私はまりちゃんの方に向かって歩き出した。もどかしくなって、少しの距離だけど途中から走った。まりちゃんは手をいっぱいに伸ばして、私の腕をつかんだ。

「なんでこんなことしたの!?」

 そう叫んだまりちゃんの目元から、ぼろぼろ涙がこぼれた。

 たぶん初めて、私はまりちゃんを泣かせてしまった。

「ごめん。箱、志朗さんが持ってっちゃった」

 そう言うと、まりちゃんは泣きながら私に抱きついて、「よかった」とつぶやいた。


 まりちゃんと手をつないで病室に戻った。

 志朗さんはさっき、「小早川聖子」と言った。まりちゃんのママの名前だ。

 そのことをまりちゃんに言った方がいいのか悪いのかわからなくて、結局どうしても言えなくて、私は廊下を歩く間、ずっとだまっていた。

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