07
紙袋に必要なものを入れて、自転車でもう一度病院に向かった。外が暑いのも日に焼けるのも全然気にならなかった。
まりちゃんの病室にまっすぐ向かう。ドアを開ける前、ためしに耳をすませてみた。女の人の声は聞こえなかった、と思う。その代わり、まりちゃんの声がした。
一人でなにかしゃべっているみたいだ。たぶん電話でだれかと――というか、志朗さんと話しているんだろう。
まりちゃんは小さな声になってぼそぼそと何か言っている。少し外で待っていると、足音か何かでわかったのだろうか。中から「どうぞ」とまりちゃんの声がした。声をかける前だったのでおどろいたけど、
「まりちゃん、私」
と言いながら中に入った。
まりちゃんはこっちを見て、「あおいちゃん」と言う。手にはキッズケータイを握っている。やっぱり電話をしていたんだな、と思った。
「寝れた?」
「うん。ちょっとすっきりした」
「そう」
話しかけながら枕元のイスに座って、持っていた紙袋をそっと床に置いた。
どうやって話を切り出そうかって考えるだけでどきどきした。できることならどうでもいい、できるだけ楽しい話ばっかりして、笑いながらまたねって別れたい。でもそうすると、ここに来るまでに覚悟してきたことが全部むだになっちゃうと思って、思い切って言うことにした。
「まりちゃん。その箱、私が持ってちゃだめかな?」
まりちゃんが「いいよ」って言ってくれるといいなと思った。でも、まりちゃんはひざの上に置いた箱を大事なものみたいになでながら「だめだよ、危ないもん」と答えた。
「それに、この中に入ってるものの半分はあいちゃんだし」
「でも、半分は私のでしょ。ちょっとあずかるだけだよ。まりちゃんだってそんなもの、ずっと持ってるの辛くない?」
まりちゃんは首を横にふった。
「あおいちゃんの呪いはあおいちゃんから離れたほうがいいけど、あいちゃんはわたしと一緒にいなきゃだめなの。だからだめ」
まりちゃんはふわふわしてるけど、何かをやらなきゃいけないって決めたときには、絶対にゆずらない。それはまりちゃんのいいところだけど、今だけそうじゃなかったらいいのにな、と思った。
「……じゃあ、ちょっとだけ持たせてもらっていい?」
そう言って、まりちゃんの返事を待った。まりちゃんは「でも」と言ったけど、私はあきらめたくなかった。
「ちょっとだけ! 半分は私のだから、すごく気になるんだ。ほんとにちょっと持ってみるだけだから」
まりちゃんはひざの上に手をおいて、何かをじっと考えてるみたいだった。でも「わかった。ちょっとね」と言って箱を貸してくれた。
「わたしも、気になる気持ちはわかるから」
「ありがとう」
仔犬かなにかを抱っこするみたいに、そーっと受け取った。ただの箱だ。思ったほど重くない。でも中には何かが入っているらしい。緑色のテープの向こうに、アルファベットのロゴがうっすら透けて見える。
やっぱり、と思った。去年まりちゃんの家族と私の家族と、いっしょにテーマパークに行った。そこで売ってたお菓子の箱だ。けっこうしっかりした作りで見た目もかわいいから、中身がなくなってもとっておく人が多いらしい。
まりちゃんや、私みたいに。
「そういえば『狩の歌』さぁ、難しいね」
私はまりちゃんに話しかけながら、足元の紙袋にそっと手をのばして、うちにあった同じ空き箱を取り出した。
黒木さんが巻いてたのと同じテープを買って、家でぐるぐる巻きにしてきた。たぶん、大きさも重さも持った感じも、全部似てると思う。
目が見えないまりちゃんには、すぐには違いがわからないはずだ。
「そう?」
「うん。オクターブのとこ、ちがう音が鳴っちゃう」
話しかけながら、音で感づかれないよう、ひざの上でそっと入れ替えた。
「大丈夫だよ。あおいちゃん、指が長いし。練習したら弾けるようになるよ」
「そうかな……ありがと」
私はまりちゃんに、私が持ってきた方の箱を手渡した。まりちゃんはそれを受けとって、元通りひざの上に置いた。
「あっ! ごめん、用事あった! 私帰るね!」
まりちゃんの箱を紙袋に入れて、めちゃくちゃわざとらしいなと思いながら立ち上がった。「えっ?」ってとまどってるまりちゃんにむりやり「ばいばい!」って言いながら、私は病室から飛び出した。
(まりちゃん、ごめん)
心の中で謝った。
でも、まりちゃん。
あんなにピアノ上手で好きだったのに辞めることになって、目も見えなくなって、ママだっていなくなって、知らない街に行かなきゃならなくて、なのにこんな箱も持っていなきゃならないなんて、ひどいよ。
なんにも背負ってない私に、一つくらい渡してくれたっていいと思うよ。
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