05
まりちゃんはこれから先生の診察があるらしい。私がいたら邪魔になってしまいそうだけど、まりちゃんを残して帰るのも心配だ。
目には見えないけど、この病室にはもう一人だれかがいるのかもしれない。というか私はもう、箱から抜け出したおねえさんが、まりちゃんの横にぴったりくっついているところを想像してしまっていた。こんな状況で一人ぼっちになったら、まりちゃんはどんな気持ちになるだろう――
でもまりちゃんは「あおいちゃん、わたしは大丈夫だよ」と言った。
「ちょっとつかれて眠くなってきちゃったし、診察が終わったら寝ようと思うの。ケータイもあるしね」
まりちゃんは無理して強がっているというより、何か考えることがあって、一人になりたがっているような気がした。急に私との間に透明な壁ができたみたいだった。
「じゃあ……来てほしいときはいつでも言ってね。電話かけるから」
そう言って、まりちゃんの電話番号をメモして帰ることにしたけど、すごくもやもやした。
まりちゃんはたぶん、すぐに遠くにいっちゃうんだと思う。それは私たちにはどうにもできないことだし、さびしいけどしょうがないなと思う。思うけど納得まではしてなくて、まりちゃんに何もしてあげられることがない自分にももやもやして、やり場のない気分のまま病院の建物を出た。ロータリーに沿って駐輪場に向かう途中で、駐車場に見覚えのある人を見つけた。
黒木さんだ。
あんな大きい人、なかなかいないからたぶん間違いない。銀色の車のそばに立って、後部座席をのぞきこんでいる。もうどこかに行っちゃったと思ってたのに、何をしてたんだろう……と考えながら見ていたら、急に黒木さんがこっちをふりむいた。「あっ」という顔をしたのが、ちょっと離れたところからもわかった。
私は黒木さんの方にどんどん歩いていった。車の中にもう一人だれか乗っているのが見えたのだ。もしかして志朗さん? と思ったら急にいても立ってもいられなくなって、とにかく一回顔を見て話したいと思った。
「あの」
黒木さんが私に何か言いかけたとき、車の中から「げええぇぇ」という感じの声がした。
「水飲みます?」
黒木さんは車の中に声をかけながら、ミネラルウォーターのペットボトルを開けている。黒木さんが持つと何でも小さいな、と思った。
車の中から腕がのびてきて、ペットボトルを受けとった。「ふーっ」と長い息を吐いた後で、「町田葵さんでしょ」と言ってから顔を上げた人は、確かに白髪頭だったけど、たとえば私のお父さんより、ずっと若い人に見えた。二、三回せき込んでから「ボクが志朗です。すいません、今ひどいとこで」と言い、もう一度ビニール袋の中に顔を突っ込むのを、私はなんとなく見守ってしまった。
たぶん私は「まりちゃんはこのままで大丈夫なんですか」とか、「どうして病室に来ないんですか」とか、志朗さんにそういうことを聞きたかったはずだった。でも今、明らかに大丈夫じゃない感じのところに遭遇してしまって、こんなときに「まりちゃんは大丈夫なんですか」なんて、とてもじゃないけど聞けない。黒木さんは困った顔をして、志朗さんの背中をさすっている。
少しして、志朗さんがもう一回顔を上げた。
「きっつ……黒木くん車出して。病院から離れる」
「了解です」
黒木さんが運転席の方に向かう。
「ふーっ」
志朗さんはまた息をゆっくり吐き、床に置いていたペットボトルを手にとって水を飲んだ。その間も、環さんみたいにずっと目を閉じている。志朗さんは伸ばした髪を首の後ろでしばっていて、黒髪を短く切ってる環さんとは正反対の人だな、と思った。そのとき、
「葵さんは、自分のことを心配しててください」
急にそう言われて、ぎくっとした。
「あれはまだ、はがれただけですから。すみません、また」
志朗さんは軽く頭を下げると、車のドアを閉めてしまった。
走り出した銀色の車を見送りながら(どうしよう)と思った。どうしよう。全然大丈夫じゃない人が来たのかも。
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