02

「もしもし」

 電話に出たお父さんが「ばあちゃんだって」と言って、おばあちゃんに受話器をさし出した。

 おばあちゃんは電話に出て、何か話している。環さんの名前が何度か出てきた。

「葵、ちょっと」

 急に名前を呼ばれてどきっとした。おばあちゃんが手招きをしている。

「今妹尾せのおさんと話してるの。あのね、環さん、事故に遭ったんだって。交通事故だって」

「うそっ」

 とっさに、さっき見た病院前の交通事故のニュースが頭の中でちらついた。おばあちゃんがうなずく。

「それで今環さんが動けないから、後任のひとがまた電話くれるって」

「後任?」

 そんな話をしているうちに、電話は切れてしまった。

 さっきニュースが流れたばっかりなのに、ずいぶん早いなと思った。五分も経たないうちにもう一度電話が鳴って、おばあちゃんがすぐに受話器をとった。

「もしもし……ええ、志朗しろうさんでしょ。妹尾さんから伺ってます……はい」

 おばあちゃんがまた手招きをする。「葵、あんたに代わってって」

「私?」

 とにかく電話に出てみると、『町田葵さん?』と名前を呼ばれた。男の人だ。

「そうです」

『急にすみません。環の同業の志朗貞明さだあきといいます。環が動けなくなったので代わりに』

 電話から聞こえる声の向こうで、自動ドアの開く音がした。その後のピーピーという電子音には聞き覚えがある。車のロックが開く音だ。私の住む街の名前をだれかに伝える声もする。移動しながら電話をかけているらしい。

『すみません慌ただしくて』と言うそばでカチンと音がしたのは、たぶんシートベルトを締めたんだろう。

『えーと、妹尾から一応話は聞いたんですが、ちょっとわからないことが多そうなんですね。なので急にお訪ねするかもしれませんが、白髪頭の変なのが来ても驚かないでください。それと、ひとついいですか?』

 何か聞かれるのかなと構えていたら、急に『何でもいいので、ちょっとの間しゃべっててもらえませんか?』と言われた。

『いきなりフリートークしろと言われても難しいと思うんで、五十音を端から言ってってもらっていいですか?』

「はい?」

『「ん」まで行ったら、また最初からお願いします』

 わけがわからなくてとまどったけど、相手は環さんの同業、ということはよみごさんだ。だったら私にわからない理由があるのかなと思って、とりあえず「あいうえお」から順番に読んでいった。茜が驚いたみたいで、すごい顔でこっちを見ていたのがおかしかった。

 ま行まで行ったところで『ありがとう。もう大丈夫です』と言われた。

『とりあえず、はがれたのは本当みたいで何よりです。すみませんが一旦切ります』

「あの、おばあちゃ……祖母に代わらなくていいですか?」

『大丈夫です。それじゃあ』

「あっ! あの! 環さんのことわかりますか!? 今、その」

 とっさに「容態」って言葉が出てこなかったけど、後任の志朗さんは察してくれたみたいだった。

『環さんねぇ、少年マンガの主人公みたいな人だからたぶん大丈夫でしょう。では』

 電話は切れてしまった。とりあえず私はナンバーディスプレイに表示された番号をメモして、ポケットに入れた。


 翌日、面会時間が始まるのにあわせて、ひとりで病院に向かった。病院のひとに顔を覚えられていたみたいで、「また来たの」って言われたけれど、私は全然覚えていないのでピンとこない。

 残念だけど、今環さんには会えないという。昨日入院したばっかりだからって受付の人がどこかに電話をかけてくれたけれど、「今まだ会えないみたいなのよ」と言われてしまった。

 環さん、大丈夫かな。会えないってどうしてだろう。お腹の底がぎゅっとなるような感じがしたけど、とにかく生きてはいるみたいだってわかって、少しだけほっとしてもいた。

 環さんは無理だけど、まりちゃんには会えるみたいだ。ようやくちゃんと会えるんだと思ったらどきどきしてきた。受付で教えてもらった病棟にいくと、まりちゃんの名前が出ている病室を見つけた。ノックをすると、少しして「どうぞ」という声が聞こえた。

 横開きのドアを開けると、白っぽくてシンプルな病室の中で、まりちゃんがひとつしかないベッドの上に座っているのが見えた。目のところに包帯を巻いている。

「えーと、まりちゃん、私……」

 声をかけると、まりちゃんはすぐに「あおいちゃん?」と話しかけてきた。思ったより元気そうな声だな、と思ったら、なんだか涙が出そうになってしまった。

「ほんとにあおいちゃん?」

 まりちゃんは全然目が見えないらしい。私が「そうだよ」って言いながら近づくと、まりちゃんはこっちに左手をのばしてきた。その手をぎゅっとにぎると、まりちゃんは泣きそうな声で「あおいちゃん」と言った。

 まりちゃんの右手は、ひざの上でなにかを抱えていた。木の箱だ。おばあちゃんが貼ってるのと同じお札が何枚も貼られていた。

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