09
とっさに考えたのは「環さんに連絡をとらなきゃ」ということだった。こういうときに電話が近くにあればいいのに。とにかく電話のあるところにいかなきゃ、と思ってベッドから下りた。何度かトイレに行ったりしたから、ベッドから下りるくらいはスムーズにできるようになっている。でもここからどうしよう? 電話番号は? 夢の中で環さんは葵ちゃんの家にいたから、葵ちゃんの家の固定電話にかければ大丈夫かな? だったら番号は覚えている。でもとにかく電話のところにいかなきゃ――と思いながら足だけはあせって動いてしまっていて、(ナースコールを押せばいい)と気づいたときにはもう、ベッドから少し離れたところにいた。
ここはそんなに広くない部屋の中で、すぐそばにはベッドがあって、部屋の入り口も近くにあるはずなのに、目が見えないから自分がどこを向いているのかわからなくて、すぐに迷子になってしまう。急に知らない真っ暗なところに放り出されたみたいだ。転んだりするのが怖くてそろそろとしか動けなくて、でもとにかくベッドに戻らなきゃ――とうろうろしていたら、突然病室のドアが開いた。
「どうしたの? 危ないでしょ。何かあったらナースコール押してね」
声がした。看護師さんだ。あおいちゃん、というか呪いじゃなかったことにほっとした。
「小早川さんにお電話がかかってきたの。急ぎみたいだから、ナースステーションまで来てくれる?」
「わたしですか?」
「そう。環さんっていう女の方から」
ほっとして泣きそうになってしまった。
看護師さんに手を引いてもらって、ナースステーションまで歩いていった。持たせてもらった受話器の向こうから『まりあさんですか?』という声が聞こえてきた。
『今そちらに向かってます。町田さんのお宅にいたのですが、葵さんが家を出たのでわたしも急いで出てきました。今からそちらに葵さんが――というか、葵さんについているものが、彼女の体を使って向かうと思います。あなたに憑物を返すつもりでしょうが、穏便にはいかないと思います。危険です』
やっぱり、と思った。「夢で見ました」と言うと、環さんは一瞬だまって、『そんなことやったんですか!?』とめずらしく大きな声を出した。
「あいちゃんのこと呼んでたら夢で……」
『まりあさん、憑物とまだ強い縁が遺ってますね。やっぱり――いえ、いいです。あとにしましょう。とにかく今タクシーで向かってます。途中で寄るところがありますが、葵さんは自転車に乗っていったみたいですから、それよりは早く着くと思います。まりあさんは病室に戻ってください』
「で、でも、病室にもどったら一人です。パパもまだ来ないし……」
『一人の方が安全です』環さんはきっぱりと言い切った。『ふつうの人がいても、おそらく助けにはならないどころかかえって危険です。葵さんについているものは、人の頭の中をさわっていじることができる。記憶がはっきりしなくなったり、自分の意図していない行動をとってしまうんです』
「ええと、それ、わたしもやられませんか……?」
『やられますが、それはわたしが何とかしますので。人数が増えるほど面倒なんです。とりあえず名刺を持っていてください。あの名刺もお札みたいなもので、ないよりはマシです。そろそろ目的地に着くのでまた連絡します。とにかく病室に戻ってください。お気をつけて』
早口でしゃべるだけしゃべって、環さんは電話を切ってしまった。看護師さんが「終わった?」と言いながら受話器をとった。
「小早川さん、大丈夫?」
看護師さんがそう言いながら、顔を近づけてくる気配がする。
「今夕方の五時くらいなの。六時過ぎればお父さんが来ると思うから、さびしかったらそれまでナースステーションにいてもいいよ」
心配してもらえたのはうれしかったし、本当はひとりになるのが怖かったけど、勇気をふりしぼって「病室に戻ります」と言った。呪いが「頭をいじる」っていうの、たぶん本当だ。あおいちゃんは茜ちゃんのことが思い出せなくなってたし、自分の意思で体を動かせなくなってた。環さんが言ったとおり、たぶんふつうの人は頼りにならない。
環さんが来るまでに、まずはひとりにならなきゃ。
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