08

 ひとしきり泣いてしまうと、やっぱりあおいちゃんが心配でたまらなくなった。環さんがここにいればいいのにと思った。

 電話をかけてみようかな。でも環さんは用事があるって言っていたから、電話に出られないかもしれない。

 第一、わたしは携帯電話を持っていない。看護師さんに頼んだら、たぶん病院の中の公衆電話まで連れてってくれると思うけれど、ちょっと遠かったはずだ。

 それになんといっても夢の話だし――と思うと、電話をかけた方がいいのかどうかわからなくなってきてしまった。さっき夢の話をしたとき、環さんは「それはただの夢じゃない」って思っているみたいだったけど、わたし自身にちょっと自信がないのだ。

(もう一回夢の続きが見られないかな)

 本当にただの夢じゃないって確かめてから。電話はその後でもいいような気がする。

 でもさっき起きたばっかりで、おまけに泣いたり考え事をしたりしたから、とてもすぐには眠れそうにない。

 そもそもなんであおいちゃんになった夢なんか見たんだろう。枕の上に頭をのせ、またあおむけになって考えた。今まで夢の中であおいちゃんになったことなんて一度もなかった。第一、あんなふうに妙にリアルな夢を見るのも、目が見えなくなってから後のことだ。

 やっぱりあいちゃんかな、と思った。あいちゃんは今、あおいちゃんについてる呪いの中にいるらしい。どういう仕組みか全然わからないけど、あいちゃんのおかげで、今わたしはあおいちゃんになった夢を見ることができるのかもしれない。夢の内容がどれだけ本当かはちょっとわからないけれど、少なくとも、環さんが「先生」の後輩だってことは当たってたみたいだ。

(あいちゃん)

 何にも見えない、真っ暗な世界の中で呼びかけてみた。

(あいちゃん。今あおいちゃんってどうなってる? わたしのことわかる? あいちゃん)

 何にも見えない世界で、頭の中で(あいちゃん)って何度も呼んでいると、気のせいかもしれないけど、だんだんあいちゃんが近くにいるような気がしてきた。あの「ちょうだい」って声が聞こえるような――どれくらいそうやっていたのかわからないけど、だんだん周りの音が遠くなって、代わりにまっくら闇の向こうから、なにかが近づいてくるような感じがした。

(あいちゃん。あいちゃん。あいちゃん)

 何度も何度もあいちゃんを呼んでいるうちに、だんだん頭の中がきゅーっと吸い取られるような感じになってきた。変なの、と思った瞬間、わたしはまたあおいちゃんになって、あおいちゃんの家の廊下に立っていた。

 近くの部屋の中から、あおいちゃんのお母さんの声がした。

「親族でもない方に、病院まで行っていただいてすみません。私が行けたらいいんですけど、葵の様子がおかしいものだから」

 部屋の中から、あおいちゃんのお母さんの声がした。

「いえ、お気になさらないでください。わたしもまりあさんのことが気になりますから、好きで行ったようなものです」

 そう答えたのは環さんの声だった。環さん、今あおいちゃんの家にいるんだ。そう思ったとたん、急に背すじがぞわっとした。

 いやな匂いがする。呪いの匂いだ。

「聖子――まりあちゃんのお母さんと全然連絡がとれないんです。本当に困ってしまって」

「それは大変ですね」

 あおいちゃんのお母さんと環さんは、わたしのママのことを話している。ママの死体は粉々になっちゃったから、みんなには死んだことがわからないんだ。ふたりに教えてあげたいけれど、わたしはあおいちゃんの体を動かすことができない。あいちゃんの名前を呼んでも無理みたいだった。

「葵さんの様子がおかしいって、どんな感じですか?」

「いつもよりぼーっとしてて――なんていうんでしょう、私たちのことが誰なのか一瞬わからなくなる、みたいな感じで。やっぱり熱中症になりかけたのかしら。それで頭がぼんやりしているのかもしれません」

 ふたりの話を聞いているうちに、またあのいやな匂いが強くなった。

「だいじょうぶよ、あおいちゃん。まえにも言ったでしょ。よみごがひとりふたり来たって、なんにもできやしないんだから」

 あおいちゃんの耳元で、呪いがささやいている。「これまでだって何にもできなかったんだから。さぁ、今のうちに出かけましょうか」

 足が動き始める。あおいちゃんがとまどっているのがわかる。私、これからどこに行こうとしてるんだろう?

「いらないものを返しにいくのよ」

 いらないものって何だろう? ハンカチと財布の入った小さなポーチしか持っていないのに、どこに、何を返しに行くんだっけ? 全然わからなくて、頭がぼーっとしている感じなのに、あおいちゃんはそっと玄関に行って靴をはいてしまう。なにかに体を動かされているみたいだ。

 今が何時かわからないけど、夏だからまだ外は明るい。だれに会いにいくのかな、と考えた瞬間、わたしの頭の中で突然声がした。

「おまえ」


 また目が覚めた。

 あたりが真っ暗になっている。わたしはベッドの上にあおむけになっている。

 病院だ。いつの間にかまた眠ってしまったんだ。

 心臓がバクバクしていた。頭の中にまだ、あの声が残っている。

(おまえ)

 来る。そう気づいてどきっとした。あおいちゃんは――呪いは、これからわたしのところに来るんだ。

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