07

 たくさん泣いてしまうとすっきりした。よく考えると、よく知らないひとの前で泣いたのははずかしいことかもしれない。でも、環さんだったら別にいいかなと思った。環さんは、わたしが泣き止むまでそばに座って待っていてくれた。

 わたしが落ち着くと、環さんは「今日は一度帰りますね」と言った。

「すみませんが、ほかに用事がありますので。またおじゃまします」

 環さんは帰りぎわに名刺をおいていってくれた。名前と電話番号が印刷してあるらしい。しっかりした厚紙で、角のところがくぼんでいる。自分では読めないから、あとでパパや看護師さんに読んでもらおうと思った。

 環さんがいなくなってさびしかったけれど、用事があるならしかたがない。それに、ひさしぶりに長い話をしたり、たくさん泣いたりしたのでつかれてしまった。わたしは枕の上に頭をのせて、ベッドの上であおむけになった。

 ひとりぼっちになってしまうと、病室はとても静かだった。病院の看護師さんが言っていたけど、今たまたま大部屋が埋まっていて、空くまで個室にいなきゃならないらしい。だから本当にひとりぼっちっていう感じになってしまう。

 つかれているのもあって、すぐに眠くなってきた。そのうち看護師さんかお医者さんが見回りに来るはずだ。それまで寝ていることにした。


 また夢を見ているな、って思った。目が見えるから、夢だってことがすぐにわかるのだ。

 病室じゃなくて、今度はあおいちゃんの部屋にいた。小さいころから何度も何度もおじゃましたから、ここもよく覚えている。

 わたしはまたあおいちゃんになって、ベッドの上に座っている。ひざの上に置いている手が、やっぱりあおいちゃんの手だ。今度はひとりかなと思ったとき、いやなにおいがするのに気づいた。

 うしろのこわいの。環さんが言っていた「呪い」だ。

 背中の方から、なにかの気配が近づいてきた。重みのない影みたいなものにのしかかられたような感じがした。知らないひとの手が後ろからすっと伸びてきて、あおいちゃんの手の上にのった。女のひとの手だった。何か固いものをひっかいたみたいに、爪の先がぼろぼろになっている。はがれかけて色が変わってしまっている指もある。

「見てるでしょ」

 女のひとの声がした。知らない声だ。きっと呪いがしゃべっているんだ、と思った。あおいちゃんの中に入っているから、呪いの声が聞こえるようになったのかもしれない。

「見えないふりしてるのよねぇ」

 あおいちゃんは何も答えない。だまって息を殺している。

 今度は顔の横に気配を感じた。目のはしに黒くて長い髪が見えた。

 呪いがどんどん近づいてくる。見える部分が大きくなっていく。わたしは自分の意思で目をそらすこともできなくて、怖いものが近づいてくるのを待ってることしかできない。

 黒髪がぱさっと垂れて、左手の上にのった。

「ねぇ」

 顔のすぐ横で声がした。

「ねぇあおいちゃん、あの子へんなもの持ってきたねぇ」

 何度も話しかけられて、あおいちゃんはひざの上でぎゅっと手をにぎる。ぼんやりとだけど、あおいちゃんが考えていることがわかる。無視しなきゃってずっと思ってる。無視して、見えないようなふりしなきゃ。環さんがそう言ってた――

 ああ、環さん、あおいちゃんに会ったことがあるんだ。少しほっとしたとき、呪いの顔が突然目の前にあらわれた。

 顔はなかった。真ん中に大きな穴が空いていた。


 目が覚めた。

 急に何も見えなくなって、おかしいかもしれないけど安心した。もう呪いの顔を見なくていいんだって、そのことがうれしかった。

 あんなものが、あおいちゃんの後ろにいるんだ。そう思うと急にまた怖くなって、それにあおいちゃんのことが心配になった。わたしはまた少しだけ、ベッドの上で泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る