03
入院してから、わたしは急にヒマになった。あいちゃんの世話っていうお仕事がなくなったし、目が見えないから本を読んだりテレビを観たりできない。痛み止めに眠くなる成分が入っているらしくて、自然と眠っていることが多くなった。
夢の中ではまだ目が見える。
小さい女の子がおはしとオレンジのおわんを持ってご飯を食べている。この子だれだっけ? しばらく考えて、あかねちゃんだ、とようやく気づいた。あおいちゃんの妹だ。何度も何度も会ってるのに、すぐに思い出せないなんて変だなと思った。
よく見ると、ここはあおいちゃん家のキッチンだ。テーブルに置かれているのは、わたしの手じゃなくてあおいちゃんの手だった。わたし、今あおいちゃんになってるんだな、と思った。
「お姉ちゃん、なんかぼーっとしてるよねぇ」
あかねちゃんがわたしの――あおいちゃんの顔をのぞき込んでそう言った。「なんか変だよ」
「今日大変だったからねぇ、疲れたんでしょ」
あおいちゃんのお母さんがそう言った。
「環さんって方が一緒に救急車乗ってってくれたんだって? 知ってる大人のひとがいてよかったじゃない」
だって。環さん、わたしが倒れちゃったあとで来てくれたのかな。そういえば環さんってあおいちゃんのどういう知り合いなんだろう? と思っていたら、あおいちゃんのお母さんが話してくれた。
「先生の同業者っていうからどんな人かと思ったけど、しっかりした感じの方でよかったわ」
「先生ご本人もしっかりした方よ」
あおいちゃんのおばあちゃんがそう続けた。
「先生」ってたぶん学校の先生じゃなくて、おばあちゃんがいつもやってるお祈りを教えてくれたり、お札をくれる先生のことだと思う。じゃあ環さんもお札を作ったりできるのかな?
「ちゃんとお礼もできてないんだけど、まだこっちにいらっしゃるのかしら?」
「どうかねぇ。何も聞いてないから」
お母さんとおばあちゃんの声にまざって、あおいちゃんのお父さんが「お友だち、元気になるといいなぁ」と話しかけてきた。うなずいたのはわたしの意志じゃなくて、あおいちゃんだ。あおいちゃんはさっきからとまどっている。さっき私、どうして茜のことが思い出せなかったんだろう?
目がさめた。
夢からさめるとまっくらだ。何時かもわからない。だれかが声で何時か教えてくれるといいなと思った。
目が見えなくなると、急にいろんなことがわからなくなって不便だし、不安になる。そのかわり、耳は前よりもよく聞こえるようになったみたいだ。廊下からは何人もの足音がする。スタスタ歩くひとも、ぺたぺた歩くひともいる。その中に急にカンッ、カンッという音が混ざって、あ、環さんだと思った。
少しして病室のドアがノックされた。わたしはすぐに「どうぞ」と言った。
「こんにちは、環です。覚えていますか?」
環さんはそう言いながら病室に入ってくると、「今は午後の二時ちょうどです」と、さっきのわたしの心を読んだみたいに時間を教えてくれた。
「まりあさんのことが気になって様子を見にきました。調子はどうですか?」
「えーと」
何て答えようか迷った。元気、ではない。環さんにうそなんかついてもしょうがない気がして、正直に「すごくヒマです」と答えた。
「なるほど、そうでしょうね。まりあさんがスマートフォンを持っているなら、小説の朗読をおすすめするんですが」
「持ってないんです」
「それは残念。じゃあ、少しわたしとお話ししてもらえませんか?」
「はい!」
ヒマだったからすごくうれしい。それに環さんなら、あおいちゃんが今どうしているか知っているかもしれない。おうちに帰ったって言ってたけど、夢の中のあおいちゃんはあんまり元気そうじゃなかった。ただの夢って言ったらそれまでだけど、なんとなく気になったのだ。
「あっ、うしろのこわいの……」
急にそのことを思い出して、つい口に出してしまった。環さんが「どうしましたか?」とわたしにたずねる。
しまった。「うしろのこわいの」なんて、環さんが聞いたって意味不明だ。いきなり変なこと言っちゃったなと思ってはずかしくなった。でも環さんは、
「もしかすると後ろって、葵さんの後ろのことですか?」
と聞いてきた。
このひとすごい。本当にわたしの心が読めるみたいだ。そういえば「先生の同業者」なんだっけ。だったら不思議な力を持っているのかも。
「そうです。あの、環さんってお札とか作れるひとですか?」
環さんはちょっとだまって、「……わたし、そんな話しましたっけ?」と言った。
そういえば「先生の同業者」って、わたしが夢で見ただけの話だっけ。またおかしなことを言ってしまった――と後悔していると、環さんが言った。
「まりあさん。確かにわたしはあなたの言う『お札とか作れるひと』です。ついでに言うと、葵さんのおばあ様からあなたのことを少しだけ聞いています。すみませんが、あなたのことを『よんで』もいいですか?」
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