13

 私はとっさに目を閉じた。後ろを見る勇気なんかない。いやな匂いが、息が止まりそうなほど強くなって、おねえさんが私以外のだれかに語りかけていたような気がするけど、何を言っていたのかはよくわからなかった。

「ぎゃあっ」

 目を閉じた暗闇の中で短い悲鳴が聞こえた。まりちゃんの声だと思った。

「まりちゃん?」

 こわごわ目を開けると、まりちゃんがしゃがんだまま、両手で顔を押さえていた。

「なに? なにこれ、痛い。痛い」

 痛い、とくり返すまりちゃんの両手の指の間から、赤いものがじわじわとにじみ出して、地面にぼたぼた落ちた。

「痛い、ねぇまっくらだよ。あおいちゃん、あおいちゃんいる? あおいちゃん?」

 まりちゃんは私を呼びながら手をそろそろと下ろした。両方の目から涙みたいに血が流れている。ぎょっとしたけれど、とっさに私も「いるよ!」と叫び返した。何が起こったか全然わからないけど、まりちゃんは目をけがしたみたいだ。反対に私の体は元の通りで、けがをしたり、どこかが痛んだりなんてこともない。

 ふたりともけがをしなくてよかった、と思った。まりちゃんを助けて、早く病院に行かなきゃ――そのとき、私はまりちゃんの顔を見てどきっとした。

 まりちゃんは私の声を聞いたとたん、前みたいにふわふわ笑った。そして、

「よかったぁ」

 うれしそうにそう言うと、スイッチが切れたみたいに、突然ぱたっとその場に倒れてしまった。

「まりちゃん!」

 私はまりちゃんにかけ寄ろうとした。そのとき、

「あおいちゃん」

 おねえさんの声がした。

 背中のすぐ後ろじゃなくて、ずっと上の方からだ。

「よかったねぇ」

 おかしな方向から声がしたから、思わず上を見上げてしまった。

 小屋の天井に背中がつくくらい大きくなったおねえさんが、腰を折り曲げて私を見ていた。

 顔の穴の中で、なにかがぐるぐるうずまいているような気がして、目が離せなくなった。

「よかったねぇ、ねぇあおいちゃん」

 逆さまになったおねえさんの顔がどんどん下がってくる。黒い髪が私のほっぺたにさわる。

 体が固まってしまって動けなかった。その場に立ったまま、おねえさんの顔が近づいてくるのを待っていた。わたしの両肩におねえさんの手がさわる。

「見てるでしょ」

 まりちゃんのところに行きたいのに、体がまだ動かない。おねえさんの顔はもう私の目の前にある。その穴の中からまた、

「見てる」

 声がした。見たらだめ、答えてもだめ、無視しなきゃ、無視。でも、見るのをやめるのってどうやったらいいんだっけ。

 いやな匂いがした。この匂いはまりちゃんじゃなくて、おねえさんの匂いだったんだ。なんでまりちゃんといっしょにいるときに気づいたのかわからないけど、でももうそんなことはどうでもいい。見るのをやめるのってどうすればいいんだろう。さっきからまばたきもできない。

 目の前がどんどん暗くなっていく。穴の中の闇がどんどん頭の中に入ってきて、今どこにいるのか、どうしてここに来たのか、何もかもわからなくなって自分が自分じゃなくなっていくような気がする。全部が真っ暗になる前、私は音を聞いていた。高くて何かをはじくような、聞いたことのない不思議な音だった。

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