18
悲しかったけど、いつまでもぐずぐずしていられない。本当ならずっと泣いていたい気分だったけど、そういうわけにはいかないと決めた。袖でぐいぐい涙をふいて振り返った。
「ママ」
とにかくママの様子を見なきゃ、と思った。「ママ、起きられる?」
ママは何も言わなかった。やっぱりまだ眠っている。あいちゃんも静かだった。箱のふたは閉じたままで、ことりとも音がしない。
ママは息をしていたけれど、顔はやっぱり真っ白だった。たぶん、死んだ人ってこんな顔色をしているんだと思う。どうしよう。このままだとママはあいちゃんに食べられて死んじゃう。ママはそれでいいって言うかもしれないけど、わたしはそれじゃ困る。
(あいちゃんとママを少しでも離そう)
そう思いついて、あいちゃんの箱を玄関の方に持っていった。ここが一番ママから遠くなると思った。家自体が狭いからほんとにちょっと離れただけだけど、何もしないよりはましかもしれない。
そのとき、チャイムが鳴った。
びっくりしすぎて飛び上がりそうになった。どきどきして何もしゃべれないでいると、手に持っていた箱がかたりと動いた。
(あいちゃん)
箱の中で、あいちゃんがまた動く。箱がカタカタと震える。
(やめて、あいちゃん)
わたしは箱をぎゅっと抱きしめた。
もう一度チャイムが鳴った。画面つきのインターホンじゃない、呼び鈴だけのチャイムだから、誰が来ているのかわからない。また少し間が空いて、今度は声がした。
「すみませーん。小早川さん? 多岐川です」
担任の多岐川先生だ。
箱の中で、あいちゃんが「ちょうだい」と言った。
「ちょうだい。ちょうだい。ちょうだい」
わたしは小さな声で「だめだよ」と言った。先生には聞こえなかったみたいで、ドアの外からまた声がした。
「小早川さん、いませんかー? 多岐川です。七月中のプリント、入れておきますねー」
またちょっと間が空いて、先生が「まりあさん」とわたしの名前を呼んだ。
「もしかしているかな? 気が進まなかったら返事しなくていいよ。先生、夏休み中も結構学校にいるから、もしなにか話したくなったら電話とかしてね。連絡先とか学校にいる日とか、プリントに書いておいたから。じゃあ、また来るね」
「ちょうだい。ちょうだい。ちょうだい」
あいちゃんが小さな声で繰り返す。ドアの向こうで先生が倒れたり、死んじゃったりしたらどうしよう、と思うと怖い。「帰って!」と大きな声で言おうとしたけれど、そんなこと言ったら先生は余計に帰らなくなる気がして黙っていた。
「じゃあ、先生学校に戻るね。またね〜」
先生がそう言ったので、ほっとした。耳をすましていると、足音が遠ざかっていくのがわかった。
安心して、ほーっとため息が出た。よかった、先生に何もなかったみたいで。ドア越しだったのがよかったのかもしれない。
でも、もしもドアを開けていたらどうなっていたんだろう。そう考えるとぞっとした。先生だけじゃなくて、ほかの人が巻き込まれるかもしれない。パパやあおいちゃんがうちに来るかもしれない。そのときあいちゃんが「ちょうだい」って言ったら。
まずはあいちゃんをここから離さなきゃ。そうしないと助けを呼ぶこともできない。もっと遠くに移さないと。
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