10
わたしはママが「パパはよそから入ってきたおむこさんだからね」と言っていたことを思い出す。
たしかにパパは前から、あいちゃんのことがあんまり好きじゃないみたいだった。ママの言うとおり、パパはよそから入ってきた人だから、あいちゃんのことがよくわからないんだろうと思っていた。それでもわたしは、なんだかんだパパのことがママと同じくらい好きで、信頼していたから、パパがあいちゃんを捨ててしまうなんて考えたこともなかった。
気がつくと、パパをおいて玄関を飛び出していた。外の空気はまだちょっとだけ涼しい。朝の匂いがする。
「あいちゃん!」
一度大きな声で呼んで、耳をすませてみた。あいちゃんの声は聞こえない。あいちゃんの声は小さいから、ちょっとはなれてしまうと聞こえなくなってしまう。わたしは階段を下りて外に出た。ちょっと走ってからまた「あいちゃん!」と呼んだ。
全然返事が聞こえない。だめだ。ちょっと走ってまた「あいちゃん!」と呼ぶ。まだ朝早いから、あんまり大きな声を出すとほかの家の人にしかられるかもしれない。そしたらむりやり家に戻されてしまうかも。どうしよう。
あいちゃん。
目からぼとぼと涙がこぼれてしまう。あいちゃんがどこかにいってしまって、もう戻ってこなくなったらどうしよう。どこかわたしの知らないところで死んじゃってたらどうしよう。あいちゃんはすごくかわいそうだし、ママもきっとすごくがっかりする。あおいちゃんのことも助けられない。どうしてパパはこんなひどいことしたんだろう? わたしがあいちゃんのこと、ずっと大事にしてたって知ってたはずなのに。
悲しくて足が止まってしまった。まだ涙がぼろぼろ流れているのを、服の袖でぐいぐいふいた。そのとき、どこかで「ギャッ」みたいな声がした。
だれかがあいちゃんを見つけておどろいたのかもしれない。わたしは声がした方をさがした。団地のゴミ捨て場のところに、今日はごみの日じゃないのに、何か白いものが落ちていた。
小さい犬だった。何もないゴミ捨て場に一匹だけで倒れている。赤い首輪をつけた白いトイプードルに見覚えがある。たしか団地のどこかの部屋で、ペット禁止なのにこっそり飼っているひとがいると思ったけど、そのひとのワンちゃんだと思う。どうしてこんなところに一匹でいるんだろう? 部屋から逃げ出してきちゃったんだろうか。
近くにかけよると、倒れている犬のそばで、何かもっと小さいものが動いているのが見えた。
「あいちゃん!」
あいちゃんは犬の血を吸っていた。手足をぴくぴくさせている白くて小さな首元にのっかって、少し伸び縮みするみたいにゆっくり動いている。
「あいちゃん」
名前を呼びながら近づいて、手をのばしてみた。あいちゃんはおとなしくわたしの手に乗ってきた。わたしがそっと息をふきかけると、あいちゃんはうれしそうにふるふると震えた。
犬は倒れたまま動かなかった。あいちゃんが乗っていない方の手でそっと触ってみた。やっぱり動かない。半分開いたままの目も、まばたきひとつしなくなっている。息もしていない。
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