03
パパは全然帰ってこない。会社も別のひとのものになっちゃったらしい。
でもママは全然あわてていない。
お金がなくなったので家を売って、ちがうところに引っ越すことになった。小さい頃からずっと住んでいた家だからすごくさびしいし、色んなものを手放さなきゃならないのもすごくかなしい。でもママは服もアクセサリーもどんどん売ったり捨てたりしてしまって、平気な顔でふわふわ笑っている。
「大丈夫。あいちゃんが大きくなったら、全部もとどおりになるんだから」
そうか。それならどんどん捨てちゃって大丈夫だよね。ピアノも売ってしまったけど、きっといつかわたしのところに戻ってくるんだと思う。ついでにわたしのケータイも解約しちゃったけど、元からほとんど使ってなかったから全然さびしくなかった。
新しい家は団地の中だった。こういう、ひとつの建物にいっぱい家が入ってるところに住むのは初めてだ。部屋がみっつしかなくて、しかもせまいのでおどろいたけど、キーボードは置かせてもらった。いつかピアノが戻ってきたときのために、ヘッドホンをつけて練習している。弾いたかんじが全然ちがうから、早くわたしのピアノを弾きたいなって思う。あおいちゃんと同じピアノ教室をやめるのはすごく残念だったけど、こっちもそのうち戻ってこられるはずだ。
パパは遠いところで働いているんだって、ママが言っていた。あいちゃんが大きくなったらみんなで暮らせるようになるから、これも大丈夫。でもパパはあいちゃんのことがあんまり好きじゃないみたいだから、大きくなったあいちゃんを見たらイヤがるかもしれないけど。
もちろん、あいちゃんもいっしょに引っ越しをした。ピンポン玉くらいになったのを小さな木の箱に移しかえて、息を吹きかけて育てている。
あいちゃん、早く大きくならないかな。
わたしはあおいちゃんのことが気になってしまう。ピアノをやめたから、あおいちゃんはわたしのことを心配しているらしい。安心させてあげたいけど、あいちゃんのことはないしょだから、がまんしている。
ある夜、夢を見た。
だれかわからないひとが枕元にいて、ずっと話しかけられる夢。
こしょこしょ気になるなぁ、と思っていたら目がさめてしまった。部屋の中はまだまっくらで、朝がきていないみたいだった。でも部屋の中ではまだ声がしてる。どこだろう。
お母さんはとなりの部屋だ。この部屋の中にはわたししかいない。すごく小さな声のひとが、部屋のどこかでひそひそ話をしてるみたいだ。おばけかな? でも不思議と怖くない。
「あいちゃん?」
思いついて呼んでみると、声がさわさわっと大きくなった。あいちゃんがしゃべってる! わたしはすごくうれしくなって、あいちゃんの箱を開けてみた。とたんに声が大きくなった。
あいちゃんはピンポン玉よりももう少し大きくなって、ふるふるふるえていた。わたしはいつもみたいにふーっと息を吹きかけてみた。あいちゃんの声がまたちょっと大きくなった。
(ち)
そういうふうに聞こえた。
(ち、ち、ち、ちょうだい、ちょうだい)
「あいちゃん、なにがほしいの?」って聞くと、あいちゃんは何度もそうくり返した。
すごい、あいちゃんが本当にしゃべった。わたしはどきどきして、その日はもう朝まで眠れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます