06

 突然そんなことを聞かれて、私は何も言えなくなってしまう。

 まりちゃんと違って、私には何も大変なことなんか起きていない。家族だっていつも通りだし、前と同じ家に住んで、同じように生活している。強いて言えばまりちゃんのことが心配というくらいで、でも、それはまりちゃん本人に心配されるようなことじゃないと思う。

 つまり何も「大丈夫じゃない」ことはない。はずだ。なのに心配していた当のまりちゃんに、こんな風に改まって聞かれると、なぜかぎくっとしてしまう。

 大丈夫? 大丈夫ってどういうことだろう?

「あおいちゃん?」

 まりちゃんがささやく声が、風に乗って耳にすっと忍び込んでくる。いやな匂いがする。まりちゃんと一緒にいるとただよってくる、あのいやな匂い。

「大丈夫? あおいちゃん」

 急に水をかぶったみたいにはっとして、私は首を振った。

「――だ、大丈夫。私は全然、普通だよ。何にも困ったこととかないし。その」

 急に不安になって、私はまりちゃんに尋ねた。

「私、なんか大丈夫じゃなさそうに見えたかな……?」

 まりちゃんは「ふふっ」と笑った。やっぱりふわふわ笑う子だ。

「ううん、なんでもない」と言って、まりちゃんは首を振る。「――大丈夫。あおいちゃんだって大丈夫だよ」

「どういうこと……?」

 まりちゃんは「ひみつ」と呟いて、首をかしげた。それから体の向きをくるっと変えると、

「じゃあね、あおいちゃん。わたしの家、あっちだから!」

 と言って、走り出していってしまった。追いかけようとしたところを見計らったみたいに振り返って「ばいばい!」と手を振った。もう追いかけてこないでって言われたみたいだった。

 私は取り残されて、なんだか迷子になったような気分になって、ひとりでとぼとぼ家に帰りながらちょっと泣けた。


 大丈夫ってなんのことだろう。

 私、何か「大丈夫じゃないこと」があるのかな。

 考えてもわからなかった。家に帰るとお父さんとお母さんは仕事でいなくて、妹のあかねが家の奥からぱたぱたと足音をたてて出てきた。茜はまだ二年生だから、私よりも家に帰る時間が早い。

「おかえりおねえちゃん! 図書室の本読んで!」

「はいはい、宿題やったらね」

 自分で本が読めるはずなのに、茜は私に本を読んでもらうのが好きだ。学校ではしっかり者だけど、私には甘えたがる。皆が「茜はお姉さん子だね」と言うし、私もそう言われるとうれしい。

 手を洗っている間、いつだったかまりちゃんが「あおいちゃんには妹がいていいなぁ」と言っていたことを思い出していた。まりちゃんには兄弟がいない。一人っ子なのだ。時々さびしいから犬や猫を飼いたいと言っていたこともあるけれど、ペットも飼っていなかった。まりちゃんの家は(団地に引っ越す前はだけど)大きな一軒家で、動物を何匹飼っても大丈夫そうだったのに。

 家の奥からは、おばあちゃんがお祈りをする声が聞こえてくる。

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