04

 だんだん暑くなってきて、半袖で学校にくる子がほとんどになっても、まりちゃんはずっと長袖を着ている。「暑くない?」って聞くとまりちゃんは「ううん」って首をふる。でも私は体育の着替えのときに、まりちゃんの腕にたくさん切り傷があるのを見てしまって、それからすごく気になっている。

 傷があったのは左腕だけ――だったと思う。だからあの傷はまりちゃんが自分でつけたのかなって、そう考えると頭が痛くなりそうだ。まりちゃんが自分でやったんなら、どうしてそんなことをしたんだろう。

 ピアノ教室は発表会の練習が始まっている。まりちゃんはもう教室にこないけれど、発表会は観にきてくれるだろうか。でも、誘ったりしたらいやがるかもしれない。まりちゃんがいやがりそうなことを、私はしたくない。

 私はメンデルスゾーンの『狩の歌』を練習している。たしか、まりちゃんが好きだった曲だ。ピアノを弾いているとまりちゃんのことを考えてしまって、練習がなかなか進まない。


 まりちゃんはだんだん人を避けるようになった。自分から離れていった子たちはそれでいいかもしれないけれど、私にも近寄ってこなくなってしまって、さびしい。全然話しかけてこないし、下校のときもさっさとひとりで帰ってしまう。私から声をかけたときはちゃんと応えてくれるけど、すぐにどこかに行ってしまう。

 いやな匂いがするのは相変わらずだけど、まりちゃんはまりちゃんのままなのに。大変なことがたぶんたくさんあって、ピアノもやめなきゃならなくなって、見た目もよれよれになって、でもやっぱりまりちゃんはまりちゃんだ。

 前みたいに、笑うときはふわふわ笑っている。


「せっちゃん家、大丈夫かしらね」

 お母さんは時々そう言う。せっちゃんというのは、まりちゃんのママのことだ。「小早川さん」と呼ぶときもあれば、「まりちゃんのお母さん」と呼んだり、「せっちゃん」に変わったりもする。

 お母さんもまりちゃんのママと友達だから、まりちゃんの家のことが心配らしい。でも、助けられることがなくて困っているみたいだ。大人にどうしようもできないのなら、私に何ができるっていうんだろう。

 私は変わっていくまりちゃんを、見ていることしかできないんだろうか。


 最近、まりちゃんがいないときにも時々いやな匂いがする。

 気のせいかもしれない。それに、なんだかまりちゃんの悪口を言うみたいになりそうだから、このことは誰にも言っていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る