第184話 今から私をボコボコにして
移動の手段は馬車だった。
大きな街から大きな街へ移動して、そこで新しい馬車を捕まえるという流れだ。
アッシュは乗り物に慣れている様子だったけれども、ウィンディとマーリンは揺れに耐えられず、しばしば
その分、宿に泊まるのは楽しみだった。
魔剣士の関係者であることを示す書類を提出すると、格安でサービスを受けられるから、想像よりも高そうな宿に泊まれた。
「てっきり大部屋のようなところで
「それだと任務に支障が出るだろうが」
しっかり寝るのも使命の内なのだ。
剣の鍛錬は毎晩やった。
ウィンディが素振りして、横でアッシュにチェックしてもらう。
「ねえねえ、何か奥義みたいなやつを伝授してよ」
「ないよ。そもそもウィンディは基礎が不十分だろうが」
アッシュは大剣を使っているが、普通の剣を使わせても強い。
戦い慣れているのもあるし、純粋なパワーが常人離れしているのだ。
「エリシア様って細身なのに、ものすごい筋力を発揮できるのは、魔力でアシストしているからだよね」
「そうだよ。魔剣士の強さは見かけによらない」
筋肉量が多いに越したことはないが、魔力との相乗がその人の総合力となる。
「私も魔力でアシストしたら、アッシュの大剣を操れたりするの?」
「ウィンディは何か勘違いをしている。魔力で肉体をアシストする時、いちいち意識したりしない」
「ん?」
「お前だって、すでに魔力でアシストされている。じゃなきゃ今ほど動けない。ウィンディが今より強くなろうとしたら、筋肉の量を増やすか、魔力の使い方を向上させるしかない」
「むむむ……」
当たり前のことを説明された気がするが、いまいちピンとこない。
「身も
アッシュはそういって頬っぺたの二本傷に触れた。
「とある魔物との戦闘でもらった傷だ。あの時は本当に死ぬかと思った。俺も怪我していて、無我夢中で剣を突き出した。運よく敵の急所にヒットしたから生き延びられたわけであるが……」
生死の境を乗り越えることを死線を潜るといったりする。
「火事場の馬鹿力を発揮すると強くなれる。冗談みたいな話ではあるが。肉体のリミッターみたいなやつが一個外れるんだよ」
「じゃあ、グレイ様も?」
「死にそうになる経験を何度もしていると思う。強い魔剣士っていうのは大半がそうだと思うぜ」
あのエリシアも苦戦した経験があるのだろうか。
あまり想像できないが、魔剣士になる前はネロやレベッカと手合わせしていたという話だし、叩き潰された回数は多いのかもしれない。
「アッシュ、今から私をボコボコにして」
「嫌だよ。怪我人をファクトリーへ送れるかよ。そもそも危機っていうのは、突発的に降ってくるから危機なんだよ」
「そっか〜」
思い当たる節はある。
前回のバリスタ戦も予期しないバトルだった。
極限の状態だからこそ、ぶっつけ本番でクロノスの瞳を使えたと思う。
「それよりも基礎だ、基礎。ウィンディ、突きをやってみろ」
「え〜と、こうかな」
言われた通りに突いてみる。
「そっちじゃない。さっき片手突きの練習をしていただろう」
右手に剣を持ってやってみたが、盛大にダメ出しされた。
「そんな突きじゃネズミしか倒せないぞ。分かっていると思うが、突きっていうのはデリケートな技なんだ。どこに力を込めるか意識しろ」
「でも、片手で突く場面なんてあるのかな。そもそも私、突きって苦手だし」
「左手が使えないシチュエーションもあるだろう」
アッシュにお手本を見せてもらうことにした。
「腰はやや低く。下半身の力を剣に乗せるイメージだ。コツとしてはターゲットより少し奥を狙うと最大火力が狙いやすい」
アッシュが片手突きを繰り出すと、近くにあった木に剣先が食い込んだ。
衝撃で葉っぱが三枚落ちてくるというオマケ付き。
「すごい! すごい! これなら硬い魔物も倒せそう!」
「選択肢が多いに越したことはないだろう。突きっていうのは外した時の隙が多いが、場合によっては最善手になりうる。日頃の練習がいざという時に命を救ってくれるんだよ」
「アッシュみたいに?」
「そうそう」
剣を返してもらったウィンディはとても大切なことに気づく。
「ここって宿の敷地だから、さっきアッシュが傷つけた木は宿の人が手入れしている木じゃないかな」
「しまった! 野山にいる時のクセで思いっきり傷つけた!」
この後、宿の主人に謝りまくって許してもらった。
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