第160話 その剣先が届くより先に……

「どこか怪我したの⁉︎」


 残っていた冷静さが一気に吹き飛んだ。

 マーリンの名前を連呼しながら、負傷したところがないか確かめた。


 エリシアの弟子なのだ。

 万が一があってはならない。


 マーリンは無傷だった。

 ほっと安堵あんどした瞬間、だったら血はどこから飛んできたのかという疑問が芽生えてくる。


 ウィンディじゃない。

 体はどこも痛くなく、手足だって自由に動く。


「ボケっとしてんじゃねえよ、ウィンディ!」


 アッシュの大音声で正気に引き戻される。


「俺たちは攻撃されている! 早く剣を構えろ!」


 ウィンディに対する要求というより、少し離れたところにいる高弟三人へのメッセージだった。


 血の出どころはアッシュだった。

 右肩のところに鋭利なナイフで裂かれたような傷が二本ある。


 見ているだけで痛い。

 防護結界シールドがボロボロに崩れており、ウィンディとマーリンをかばってできた傷だと分かった。


 いるのか。

 魔物が。


 逃げるべきかどうかも分からない。

 ウィンディとマーリンがこの場にいたら、かえって足手まといになるかもしれない。


 アッシュが大剣を構える先、倒れた木々の向こうから、想像よりも軽い足音が迫ってくる。


 白髪の男だった。


 ネロではない。

 髪の毛がサラサラしており、肩に触れるくらいまで伸びている。


 年齢は二十五、六くらいか。

 旅人のようなロングコートを羽織っている。

 右手に長剣を持っており、禍々まがまがしいオーラが立ちのぼっている。


(もしかして、魔剣士?)

 

 ありえない。

 いきなりウィンディたちに攻撃してきたことと矛盾している。


「ひい……ふう……みい……全部で六人か。四人も女がいるのかよ」


 男と目が合った瞬間、ウィンディの背にゾクリと悪寒が走り、心臓を握りつぶされるようなプレッシャーを受けた。


 この場で殺されるかもしれない。

 恐怖のせいで口の中がみるみる乾燥していく。


「いきなり何しやがる! テメェ!」

「おうおう、吠えるなって。腹ペコの熊かよ」


 アッシュが怒鳴りつけても、男はまったく動じない。

 面倒臭そうな仕草で耳の穴をほじり、こちらを値踏みするような視線を向けてくる。


「この中に魔剣士っているか?」

「…………」


 アッシュが沈黙を貫いていると、代わりにスパイクが出てきた。


「お前が右手に持っている武器は魔剣だな。一般人が所持することは禁じられている。渡してもらおうか」


 スパイクのこと、嫌な男だと思っていたけれども、この時ほど頼りになると思ったことはない。


「何だ、お前は?」

「ルビーの魔剣士レベッカ様の高弟スパイクだ。そういうお前は何者だ。回答によっては正義の剣を振り下ろしてくれる」

「ぷっ……」


 男は腹を抱えてゲラゲラと笑い出す。


「正義の剣だってさ。格好いいじゃん」

「答えろ。お前はすでに人を傷つけた。謝って許されると思うな」


 二人がにらみ合っている隙に、シャルティナとミーティアも移動して、いつでも男を挟撃できるようにしている。


「スパイクさん、一個教えてくれね〜か。俺とレベッカ様じゃ、どっちが強い?」

「そんなの、レベッカ様の方が百倍くらい強いに決まっている」

「ふ〜ん……」


 ウィンディはマーリンの手を握り、一歩、また一歩と後退した。


 たぶん、戦闘になる。

 せめてマーリンだけでも逃した方がいい。


 グレイもしくはエリシアを呼んでくる。

 そうしたら白髪の男なんかひねり潰してくれるはず。


 そんな計画は二人目の登場であっけなく瓦解がかいした。


 ドン、と。

 背中に何かがぶつかった。

 岩でもあるのかと思ったが、人間の男だった。


 バケモノじみた大男である。

 グレイやアッシュより一回り大きい。

 下手したらウィンディがこれまで出会った人間の中で一番の高身長じゃないだろうか。


 ごわごわのひげに包まれた顔は熟練のハンターを思わせる。

 右手には背丈よりも大きい戦斧ハルバードのような武器が握られており、それを支える腕は丸太じみた太さである。


 思わず『ぶつかってスミマセン!』と声が出そうになる。

 一般兵のような鎧をまとった大男は、その場にしゃがみ込み、マーリンを無理やり振り向かせて、やや驚いた表情をした。


「ほう……オッドアイか。世にも珍しい」


 重厚な声がいう。

 白髪の男と違って、好戦的なイメージは受けない。


「気をつけろ、カイル。六人のうちの三人は魔剣を持っている。油断するな」

「誰がするかよ、おっさん。お前こそ、そこの二人を逃がすなよ。ミスリルの魔剣士を呼ばれたら、俺たち三人はゲームオーバーだからな」

「だそうだ。申し訳ないが、我らの話し合いが終わるまで、君たち二人はこの場に留まってほしい」


 大男はそういってウィンディに背中を向けた。


 今ならやれる。

 剣を背後から突き刺せば、こいつを倒せるかもしれない。

 ウィンディの腕力でも深手を負わせられる。


 ウィンディはそっと剣を持ち上げた。

 マーリンをその場に残し、一歩を踏み出した。


 殺人でも構わない。

 こいつを殺さないと六人の中の誰かが死ぬかもしれない。

 そんなの、嫌だ。


 だから、やる。

 この大男を刺し殺せ、と自分に命令する。


「やめろ、小娘」


 たった一言で意思を折られた。


「俺を後ろから突き殺そうという魂胆だろう。その剣先が届くより先に、この魔剣ベリアルがお主の胸ぐらを貫通する。勇敢なのはいいが、俺を見くびるな。彼我ひがの差を知れ」


 この時、胸の中に芽生えたのは、怒りでも悲しみでもなく虚無だった。

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