第145話 古の魔法を見せてあげる

「う〜ん……あれ?」


 魔石を育てるのに集中していたウィンディは、当たり前の違和感を見落としていた。


 マーリンがいないのである。

 荷物は置いたまま、本人の姿だけ消えている。

 テーブルの下ものぞいたが、当然隠れているわけない。


 隣で本を読んでいるソフィアに、あの〜、と声をかけてみた。


「マーリン? あの子なら、お手洗いへ行くって席を外したよ」

「えっ……えっ……いつの間に⁉︎」

「ウィンディにも声をかけていたけれども」

「そんな⁉︎」


 全然気づかなかった。

 ウィンディは一瞬にして青ざめて頭を抱えた。


 グレイから注意されていたのだ。

 豊穣祭エリシア・デイの日は人拐ひとさらいが発生しやすいからマーリンを見張っておくように、と。


 大バカだ。

 魔石作りに夢中で見落としていた。

 自分のことにかまけて、一番大切なことを忘れていた。


「トイレへ行ったにしては戻ってくるのが遅いかも」


 ソフィアが率直な感想を口にするものだから、不安がピークに達する。


「迷子になっちゃったのかな?」

「いや〜、単なる迷子だと嬉しいのですが……実はですね……」


 素直に打ち明けることにした。

 豊穣祭エリシア・デイの日は婦女子をターゲットにした誘拐事件が発生しやすい、と。


「身代金目当ての誘拐?」


 王都のことにうといソフィアは目をパチパチさせる。


「でも、マーリンってミスリルの魔剣士の弟子なんだよね。バカな犯罪者でもターゲットに選ばないでしょう」

「知名度がないのです。マーリンって基本、王宮の中だけで生活しているのです」


 これは非常にマズい。

『マーリン=ミスリルの魔剣士の弟子』と知った誘拐犯たちが、どんな暴挙に出るか分からない。


「ふむふむ、おおよその事情は分かった」


 読みかけの古書を畳んだソフィアがパチンと指を鳴らす。


「お願いします、ソフィアさん。マーリンの捜索に力を貸してくれないでしょうか。お礼なら何でもしますから」

「本当⁉︎ 何でもしてくれるの⁉︎」

「私にできることでしたら……」

「じゃあさ! じゃあさ! エリシア様に会いたい! 生のエリシア様と話してみたい!」

「たぶん、お願いしたら叶うような気がします」

「うそうそ、冗談だよ〜」


 ソフィアは顔と顔がくっつくほど寄ってきて、ウィンディの耳に吐息を吹きかけた。

 急なアプローチのせいで変な鳥肌が浮いてしまう。


「私が天才なのはね〜、困っている人々を助けるよう、神様が与えてくれたギフトなんだよ〜。だから無償で助けるに決まっているじゃん。お礼なんて水臭いな〜」


 ソフィアが聖女みたいな人と知ったウィンディは、ほっと胸をなで下ろす。


「じゃあ、サクッと見つけちゃおっか」


 ソフィアが利用したのはマーリンが飲み残してある紅茶。

 カップのふちに手を当てて、ぶつぶつと呪文を唱え始める。


「これは、一体……」

「君にいにしえの魔法を見せてあげる」


 勝手に紅茶の水面が隆起してきた。

 やがて星のような形となり、テーブルの上に着地する。


 手と手、足と足、そして頭。

 星形だったものが人間のシルエットに早変わりする。

 錯覚かと思って目をこすったが、本当に紅茶が動いている。


「ねぇ、マーリンの居場所を教えてくれないかな」


 ソフィアの命令を受けた人形ひとがた紅茶はジェントルマンみたいに頭を下げた。


 古の魔法って何だろう。

 今の魔剣士には使えないのだろうか。


 そんなウィンディの疑問を置き去りにするように、ソフィアはお店のスタッフをつかまえて、少しの間離席するむねを伝えた。


「じゃあ、いこっか」


 テーブルから地面に着地した人形紅茶が、こっちこっち、と手招きしてくる。

 本当にマーリンのところへ案内してくれるらしい。


「どういう原理であの紅茶は動いているのでしょうか?」

「え〜? 魔法にメカニズムを求めちゃう? ナンセンスだな〜」

「でも、動き方が本物の人間みたいですよ。マーリンの居場所を知っているみたいですし」

「う〜ん……少し種明かしするとね」


 紅茶の一部はマーリンの胃袋にある。

 そして紅茶と紅茶は引かれ合う。


 説明されてもピンと来ないウィンディは、はぁ、と曖昧あいまいうなずいておいた。


 人形紅茶の動きは実にダイナミックだった。

 街路樹から馬車へジャンプしたかと思いきや、馬車からジャンプして建物の壁を走り出す。

 ウィンディが遅れそうになると、心配そうにあごに手を当てて待ってくれる。


(私って紅茶に気を遣われている⁉︎ というか、ソフィアさん、走るのが速い!)


 小さなプライドにヒビが入る。


 人形紅茶は角を曲がって、広場を突っ切り、薄暗い路地へ入っていく。

 追いかけるウィンディの胸に雨雲のようなものが垂れ込める。


(やっぱり、マーリンは連れ去られちゃったんだ……私がお手洗いについて行かなかったから)


 ごめん、ごめん、ごめん。

 胸の中で三回謝った時、前を走るソフィアの足が止まった。


「あまり足音を立てないように。念のため、いつでも剣を抜けるようにしておいて」


 それまで柔和だったルビーの瞳から、火花のような魔力がほとばしった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る