第113話 師弟は恋愛に発展しやすい

(しまった……ウィンディにお小遣いを渡してくれば良かった……あいつ、お腹の減りが早いだろうに……)


 グレイが王都に残してきた少女を心配していると、お風呂上がりの二人が戻ってきた。

 エリシアの愛用している石けんの香りがぷ〜んと流れてくる。


「グレイは寝ちゃったのですかね」

「もしも〜し、ししょ〜、起きてますか〜」


 タヌキ寝入りするグレイ。


「寝てますね」

「これはチャンスなのです」


 何をする気かと思いきや、服をぺろりとめくり、指でグレイの背中に触れてくる。

 むずかゆさのあまり笑いそうになったが、奥歯をぐっと噛みしめた。


「これは師匠が昔に私をかばった時の傷なのです。エリシアの傷と勝手に呼んでいます」

「よく見るとグレイの体には小さな傷がいっぱいありますね」

「そうです。こっちは落石から私を守った時の傷です」

「この傷にも名前があるのですか?」

「はい、エリシアの傷二号です」


 指が体のあちこちに触れてきた。

 曲がっているのがエリシアの傷三号。

 ギザギザしているのがエリシアの傷四号。

 ハート型にくぼんでいるのがエリシアの傷五号。


「この穴が四つ並んだような傷は?」

「師匠が川を渡る時に、私を肩車していたら、吸血魚に噛まれてできた傷ですね。確か……名前は……エリシアの傷十六号です!」

「思い出がいっぱい詰まっているのですね」

「はい、師匠と私が生きた歴史なのです」


 グレイくらいの魔力があれば、傷跡を完全に消してしまう……とまではいかなくても、見えにくくすることは可能。

 あえて残しているのはエリシアとの思い出だからだ。


 エリシアは寝転がると、グレイの背後から抱きついてくる。

 今度は何だと身構えていたら、すぅ〜と息を吸い込んで、グレイのうなじの匂いを思いっきり嗅いだ。


 これは恥ずかしい。

 首回りは汗をかきやすいから、お風呂上がりとはいえ体臭が気になる。


「師匠の首回りは、なぜか良い匂いがするのです。クンクンしていると昔から心が落ち着きます」

「分かります。男の人って、体の部位によって匂いが違いますよね。私は兄様の頭のてっぺんが好きでした」

「フェイロンの頭ですか? どんな匂いでしたか?」

「私の好きな干し肉の匂いです」


 ケモノ臭いって意味じゃないだろうか。

 その臭さがクセになる、とファーランはいう。


「ファーランも師匠の項を嗅いでみますか?」

「どれどれ」


 むにゅ、とエリシアより一回り大きな胸が触れてきた。

 注意しようか迷ったが、ファーランの感想も気になるので、タヌキ寝入りを続けることにした。


「あれ? 匂いがしませんよ」

「そんなことないですよ。ちゃんと匂いますよ」


 もう一度クンクンするファーラン。


「やっぱり私には分かりません。どんな匂いなのですか?」

「ビールのように芳醇ほうじゅんで、熟成したワインみたいに渋い匂いです」

「う〜ん……やっぱり無臭ですよ」

「えぇ……」

「アルコールに弱いエリシアがお酒を引き合いに出すなんて、何だか笑えちゃいますね。背伸びしなくていいですよ。よしよし」

「ぶぅ〜。子供扱いされました」


 あれこれ相談した二人は、嗅覚には個人差があるのでは? という結論に落ち着いた。


「そうそう、エリシア、大切な話を忘れていました。ウィンディという女の子、グレイに弟子入りするかも、という話じゃないですか」

「それがどうかしましたか?」

「私の調べによると、師弟というのは恋愛に発展しやすいのです。師匠は弟子を育ててあげたいと思いますし、弟子は師匠の役に立ちたいと思うからです。一緒に過ごす時間も長いですからね」

「ゴクリ……いや、でも……私だって師匠の弟子ですよ」

「エリシアは実質、卒業しているじゃないですか」

「まあ……確かに……」

「ウィンディがグレイの弟子になったら、三角な関係に発展しないとも限りません。あの子はエリシアより二歳若いですからね。れてしまってからでは手遅れという場合もあるでしょう。危険な芽は若い内に摘んでおけ、ということわざが私の地元にあります」

「どう対処するのがベストでしょうか?」

「ズバリですね」


 ファーランが悪人ヅラを浮かべた……ような気がした。


「あの子は私が引き取って、サファイアの魔剣士候補として育てましょう。そうすればグレイの近くから引き離せます」

「ちょっと待ってください。あなた、手元に有望株が欲しいだけでしょう」

「え〜、いいじゃないですか〜。魔剣士っていうのは最低一人弟子がいないといけないのですよ」

「それを言ったら私も同じです。ウィンディには私の弟子になってほしいです」

「ぐるるるる〜」

「ぐにゅにゅ〜」

「私がウィンディをもらいます」

「い〜や、私と師弟のちぎりを結びます」


 気が散って眠れないグレイは一つ咳払いしてから寝返りを打つ。


「お前ら、うるさい。明日は千年竜の巣に向かうんだ。ちゃんと寝ておけ」

「うわっ⁉︎」

「師匠が起きていた⁉︎」

「ウィンディの師匠はウィンディが選ぶ。本人に余計なプレッシャーをかけないように」

「ですって、エリシア」

「いやいや、ファーランに対する注意ですよ」


 何が面白いのか、二人は同時にクスクス笑って、一枚の布をシェアするように体にかける。


「ファーランの胸って、何を食べたらこんなに成長するのです?」

「いや、エリシアくらいの大きさが一番理想的でしょう」

「そうですかね?」

「だと思います」

「師匠に聞いてみましょうか?」

「やめなさい。エリィが一番に決まっている、と答えますから」

「うふふ……ファーランの口真似、全然似ていません」

「エリィには可愛いところしかない」

「やっぱり似ていません」

「まいったな……」

「あ、少し似ています」


 グレイは淡いため息をつきながら寝落ちした。

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