第109話 耳を疑ったり、目を疑ったり

 ネロと別れたことで、緊張から解放されたウィンディは、驚きのあまりサファイア色の目を限界まで開いた。


(魔剣士に弟子入りする⁉︎ この私が⁉︎)


 ムリムリムリ! と内心で否定する。

 魔剣士なんてエリート中のエリートだろう。


 ネロの言い方だと「エリシア、グレイ、ファーランの中から好きな師匠を選べ」という風だった。

 指名する権利はウィンディにある。


 おそらく冗談だろう。

 ウィンディが困っている様子を見て楽しんでいるに違いない。


(でも、魔剣士様ってそこまで暇じゃないよね)


 自分の間違いに自分で気づいたウィンディは「あ〜!」とか「ん〜!」とか叫んで頭を抱えた。


 だって、全員が魅力的。

 エリシアはもちろんだし、グレイもファーランも困っているウィンディに手を貸してくれた。

 名前を覚えてくれただけでも名誉なのに、弟子入りなんて一生分の運気を使わないだろうか。


(ちょっと、ネロ様! 散歩がてらにしては話が重すぎやしませんか⁉︎)


 発狂の一歩手前までいったウィンディが回転木馬みたいにクルクルしていると、近くのドアが開いて、中からグレイが顔をのぞかせる。


「何やってんだ、ウィンディ」

「あっ⁉︎ これは⁉︎」


 声が聞こえたらしい。

 田舎のノリで叫んでしまった自分が恥ずかしい。


「そこでネロ様に会いまして……。緊張しちゃって、受け答えに失敗したといいますか……」

「ああ、ネロか。だったら気にするな。あいつは息するみたいに嘘をつくからな」

「あ……ですよね」

「王宮の地下には半人半牛のモンスターが住んでいて、夜になると庭で素振りしているとか、そんな作り話だろう」

「あはは……まあ」


 な〜んだ、嘘だったか〜、と納得する。

 ウィンディの中にあった高潔な魔剣士というイメージが少し崩れた。


「それで? 大切な話というのは何でしょう?」

「ウィンディは今まで実家で親の仕事を手伝っていたんだよな。もし良かったら王都で魔剣士見習いになってみないか」

「………………」


 ウィンディの耳が狂っていなければ、魔剣士見習い、という単語が聞こえた気がする。

 こちらが黙りこくったのを、否定のサインと受け取ったのか、グレイが残念そうに視線を外す。


「いきなり驚かせてすまない。田舎の暮らしも大切だよな。両親や友達もいるわけだし。雄大な自然と別れるのも抵抗があるだろう」

「あ、そうじゃなくて……」


(しまった〜! グレイ様を困らせてどうする⁉︎)


 ウィンディが脊髄せきずい反射で「魔剣士見習いになります!」と言わなかったのは、単に自信がなかったから。

 十六歳という年齢がネックになると感じたから。


「お誘い、ありがとうございます。少しだけ考える時間をもらってもいいですか」


 皿洗いで痛んだ手を向けた。


「私のお仕事って、今はお皿を洗うことですし。仕事の休憩時間にゆっくり考えようと思います」

「そうしてくれると助かる。でも、考えすぎてお皿を割るなよ」


 ウィンディはコクリと頷く。

 グレイの自然な優しさが嬉しかった。


「一個だけ質問してもいいですか。もし私が魔剣士見習いになるとしたら、どなたが師匠になるのでしょうか」

「そうだな……俺か、エリィか、ファーランだろうな。師匠といっても関係はマチマチだ。王都で暮らしていれば、たくさんの魔剣士と接することになる。一人の師についたからといって、別の師から教えを受けてはならない、という話じゃない」


 ルール上、師匠は一人と決まっているらしい。

 グレイは声のトーンを抑えると、


「実は魔剣士なのに弟子がいない状態は褒められたものじゃない。ウィンディが三人の誰かの弟子になってくれると助かる」


 と耳打ちしてきた。

 エリシアが選択肢に入っているのも驚きだし、助かるなんて言葉はもっと驚きだ。

 これは夢か、と頬をつねる。


「自分なんかで良いのかとか、そういう不安か? だったら気にするな。ウィンディには素質がある」

「私の目でしょうか。過去とか未来が見えるから」


 グレイは首を横に振った。


「故郷を救いたい一心で村を飛び出したのだろう。十六歳の娘が。お金も人脈もないような状態で。とても勇気がいる。普通の人間なら無理だろう」

「でも、皆様がいないと私は何もできませんでした。故郷だって救えないままでした」

「俺たちを動かしたのはウィンディじゃないか」


 爽やかな風のようなものが胸を通り抜けて、ウィンディの目頭を熱くさせた。

 お前は魔剣士を目指してもいい、と言われた気がした。


「ありがとうございます!」

「おかしな奴だな。礼を言いたいのは俺たちの方なのに。ちょうどいい。エリィやファーランにも会っていけ」


 背中を押されたウィンディは、グレイの私室に入れてもらったわけであるが、信じがたい光景を目にすることになる。


 部屋のど真ん中でエリシアが気張っていたのだ。

 拳を硬く握り、しゃがんだポーズで、「ん〜〜〜〜!」と苦しそうな声を発している。


 隣で応援するのはファーラン。

「頑張ってください、エリシア! もうすぐ出ます! 頑張って!」と母親みたいなことを言う。


(えっ……排泄? でも、部屋のど真ん中だし……)


 エリシアは顔を真っ赤にして苦しそう。

 挙句の果てには「先っぽが出てきた! あと一歩!」なんてヤバそうな言葉まで聞こえる。


 クロノスの瞳を使おうか迷ったウィンディは、悲惨ひさんなシーンをイメージしてしまい、首をブンブンと振りまくった。


「ファーラン、お願い! エリィの背中を強めに叩いて!」

「痛いけれども我慢してくださいね〜!」


 パチ〜ン! と。

 平手打ちの音が部屋の空気を震わせる。


(痛そ〜〜〜!)


 ケホッ! ケホッ! と咳したエリシアの口から、黒い石ころのような物体が飛び出てきた。

 小さな魔石だとグレイは教えてくれた。


「この石に込められている魔法がエリィの体を小さくしていた。完全に溶けるまで待ってもいいが、一日でも早く千年竜の卵を取りに行きたいしな」

「それじゃ、私のために……」


 エリシアの手、足、髪が伸びていき、まとっていた一枚布が床に落ちる。

 次の瞬間、ウィンディの視界に映っていたのは、一糸まとわぬ女神だった。


「ミスリルの魔剣士、完全復活なのです!」

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