第95話 こっちが本当の置き土産

 貯金を丸ごと吹き飛ばし、激しいショックを受けたエリシアは、涙が枯れるまで泣き続け、夕食を半分くらい残した上、『今夜は早めに寝ます』といって寝室にこもってしまった。


 そんな悲劇の翌朝。

 グレイは名状しがたい胸騒ぎで目を覚ます。


「エリィ、入るぞ」


 ドアをノックしてみるも返事がない。


 普段なら起きている時間帯。

 ショックで寝込んでいるのだろうか。


「エリィ?」


 ドアを開けるも、ベッドはもぬけの殻となっている。

 枕元には魔剣アポカリプスが、ベッド脇には女性物のブーツがある。


(エリィが部屋を抜け出す気配はなかったが……)


 机の上には小さな空箱があり、匂いを嗅いでみると、チョコレートのビターな香りが残っていた。


 紙切れを見つける。

 エリシアの文字じゃない。


『このチョコレートは魔法道具です。食べると体が十歳くらい若返ります。ボクの創意工夫が詰まった一品なので大切に使われたし。しばらくすると体が元に戻ります』


 エメラルドの魔剣士の置き土産というわけか。


(しばらくって曖昧あいまいだよな)


 半日なのか、三日なのか、一週間なのか。

 効果時間の目安くらい教えてほしい。


 グレイは紙をひっくり返す。


『追伸……間違っても十歳以下の子供に食べさせないように。うっかり飲み込んだらどうなるか、分かるよね?』


 そのシーンを想像して、グレイの背中がブルッと震えた。


「冗談だよな、きっと」


 食べるタイプの魔法道具なんて今まで見たことない。

 エメラルドの魔剣士の器用さに舌を巻きつつ箱を机に置いた時、グレイは発見してしまった。


 チョコレートじゃない。

 八歳くらいの女の子を。


 床ですやすやと寝息を立てている。

 ツヤツヤの銀髪にシルクのような白い肌。

 お上品なネグリジェをまとっているが、せない点があるとすれば、明らかに体と夜衣よぎのサイズが釣り合っていないこと。


(どこから侵入してきた?)


(そもそも何者なのだ、この子は?)


 エリシアの部屋に人の出入りがあった場合、大抵グレイが気づく。

 それなのに見落としたということは……。


 まさかエリシア本人なのか⁉︎

 女の子に手をかざしたグレイは、体内に秘められている魔力の大きさを察知して、観念するように唇を噛んだ。


 間違いない。

 ミスリルの魔剣士だ。


 魔法のチョコレートを食べたくらいで若返ってしまうなんて半信半疑だったが、箱が空っぽなことといい、幼女とエリシアが似ていることといい、符牒ふちょうが合っていないだろうか。


「魔力が据え置きとは……。体重が半分になってもミスリルの魔剣士というわけか」


 床に放置しておくわけにもいかず、ベッドの上に戻しておいた。

 見れば見るほど八歳だったエリシアを思い出す。


 グレイが腕組みしたり、意味もなく部屋をうろついていると、ドアを二回ノックする音がして喉がヒュッと鳴る。


「エリシア様、朝の紅茶をお持ちしました」


 マズい⁉︎

 グレイは大慌てでエリシアを布団の中に隠してから、入口のドアを開けた。


「すまない、エリィはお手洗いへ行っている」

「おはようございます、グレイ様。でしたら、いつものように紅茶をテーブルの上に置いておきましょうか」

「そうだな。よろしく頼む」


 メイドが作業している最中、


「ししょ〜。エリィのクッキー、食べちゃダメ〜」


 という間の抜けた声が聞こえた。


「おや? ベッドの中から何か音がしませんでしたか?」

「さあ、気のせいじゃないか」

「でしょうか……」


 メイドが出ていき二人きりになった瞬間、グレイは人生で最大のため息をつく。


 これは良くない現象だ。

 小さくなったエリシアを迂闊うかつに見せられない。


 とりあえず元老院や聖教会との打ち合わせは全部キャンセル。

 一週間くらい後ろにズラしてもらおう。


 孤児院のイベントも予定されていた気がする。

 今の王都には魔剣士が五人いるから、代理で済ませればいいだろう。


(理由は……体調不良でいいのか)


(ドラゴニアで変な病気に感染したことにしよう)


(他人に感染うつさないよう隔離中という言い訳がきくしな)


 我ながら良いアイディアだと満足する。


「おい、起きなさい」


 エリシアの頬っぺたを引っ張るが無反応。

 仕方なく抱っこしてやると、くしゅん! と自分のくしゃみで目を覚ます。


「あれ? ししょ〜、おはようございます〜」

「おはよう、エリィ」

「私を抱っこしてくれるなんて珍しいですね。昔を思い出します」


 体の異変に気づいていないエリシアを、グレイは限界まで持ち上げてみた。


「今日のエリィ、ちょっと変じゃないか」

「言われてみれば……声が高い気がします」

「あと、手も小さいぞ」

「ほぇ?」


 自分の手を見つめたエリシアは、握ったり開いたりした後、目をゴシゴシする。


「おや、私の視力が悪いのでしょうか?」

「いや、問題はそっちじゃないと思う」

「だったら、夢の中でしょうか」

「それも違うだろうな」


 お人形のように愛くるしい弟子をグレイは椅子に置いた。


「思い出してくれ。昨夜、チョコレートを食べなかったか?」

「はぁ……小腹が空いていたので机にあったのを食べた気がしますが……」

「それが原因だな」


 自分の体をペタペタしたエリシアは、とある変化に気づくと、


「あわわわわっ⁉︎ 私の胸がぺったんこになっています!」


 と絶叫しながら震えまくった。

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