第64話 治っていなかった小心者

 王宮の夜は静かだ。


 聞こえてくるのは、ゆったりとしたピアノの音色と、フクロウの鳴き声くらい。

 窓の外に広がるのは、星空を敷き詰めたようなペンドラゴンの夜景。


 今夜は満月である。

 雲が流れるたび、空が明るくなったり暗くなったりする。


「ん?」


 グレイは寝台から起き上がった。

 ドアをノックする音がしたからだ。


 この部屋にはドアが三箇所あり、一つは廊下、一つはバルコニー、一つはエリシアの私室とつながっている。

 音がしたのは隣室から。


「し……し……し……ししょ〜」


 ネグリジェ姿のエリシアが、真っ青な顔をして立っていた。


「どうした? 目が死んでいるぞ」


 ミスリルの魔剣士は最強の証。

 手足が震えまくりの弟子を、グレイは部屋の中へ入れた。


「眠れないのです」

「何か心配事でもあるのか?」

「はぅ〜」


 立ち話で済ませられる様子じゃないので、エリシアをソファに座らせた。

 水のグラスを二つ持ってきて、片方を置いてあげる。


「一体、何があった? もしかして、体調が悪いのか?」

「そういうわけではないのですが……」


 口では否定するが、淡いブルーの瞳は精彩せいさいを欠いている。


「だったら、怖い夢でも見たのか?」

「近いといえば、近いのですが……」


 エリシアは言葉を切り、続きを教えてくれない。

 グレイは詳しく聞く代わりに、ネグリジェに包まれた肩を抱いておいた。


「無理に話さなくてもいい。エリィがショックを受けるなんて、よっぽどの悪夢なのだろう」

「あの……笑わずに聞いてくれますか?」

「もちろんだ。俺は笑わない」


 エリシアののどがゴクリと鳴る。


「本当に笑わないですか?」

「ああ、約束するさ」

「本当の本当に?」

「男に二言はない」


(エリィが何回も念押しするなんて……)


(一体、どんな恐怖体験というのか?)


 同情しかけたグレイだが、すぐ拍子抜けすることになる。


「この王宮、幽霊が出るらしいです!」

「はぁ……幽霊?」

「ネロが教えてくれました。その昔、軟禁なんきんされたまま餓死がしした王族がいて、王宮に取りいていると」

「おいおい……」

「王族の幽霊は、深夜になると、あちこちを徘徊はいかいするそうです。肉を食わせろ〜、とうなるように口走りながら」

「ほう……肉を……」

「手元に食料がある場合、それを差し出したらいいそうです。でも、手元に食料がない場合、体をかじられるそうです」

「ああ……なるほど……幽霊が怖くて震えているのか」

「そうです、そうです」


 エリシアは、ひゃっ⁉︎ と叫んで両耳をガードする。


「幽霊の声が聞こえました! お前の肉を食わせろ〜、と!」

「そうか? 俺は何も聞こえなかったが」


 モンスターと幽霊は違う。

 モンスターは魔剣で斬れるが、幽霊には特殊なアイテムしか通用しない。


(そもそも、俺だって実際に幽霊を見たことはないが……)


 ネロの嘘だろう。

 いかにもクソガキが好きそうな設定だし、信じ込んじゃうエリシアもエリシアだ。

 もし本当に幽霊がいるなら、何年も前から問題になっている。


 しかし、笑い事じゃない。

 幽霊のせいでエリシアが寝込んだという噂が広まったら、王宮で働いているメイドに良くない影響がある。


(俺が手を打たねば……)


(まったく、ネロめ、余計なことを思いつく天才だな)


「分かった、エリィ、今夜は俺の部屋で寝るといい」

「いいのですか⁉︎」


 エリシアが涙でれた目元をゴシゴシする。


「じゃないと、明日に響くだろう。エリィはまだ十八歳だ。若いんだ。睡眠はしっかりと取るべきだ」

「ししょ〜! ありがとうございます〜!」


 寝台はエリシアにゆずって、ソファへ移動しようとしたら、当然のように引き留められた。


「師匠も隣で寝てください」

「おい……」

「二人でも楽々寝られるよう、王様サイズのベッドを用意したのですから」

「しかし、だな……エリィが真横にいたら……」


 グレイが不眠になる。

 そこまで想像して返答に困ってしまう。


 エリシアの健康か、グレイの健康か。

 二つを天秤てんびんにかけた結果、一緒のベッドで寝ることにした。

 可愛い弟子のため、と自分に言い訳して。


「分かったよ。その代わり、大人しく寝てくれよ」

「承知です。楽しい夢が見られそうです。師匠と一緒なら」

「そうかよ」


 エリシアは右手を伸ばしてきて、グレイの寝巻きをちょこんと握った。


 変わらない。

 昔もこんな風に甘えてきた。


『師匠の隣がいい! 別々のベッドは嫌だ! 一緒じゃないと安心できない!』と主張してグレイを困らせた。

 そのくせ翌朝にはベッドから落ちていたりする。


(昔は二人で一つのベッドが当たり前だったな)


 ウトウトし始めたエリシアの頬を突いてみる。

 うぅ〜、と声が返ってくる。


「ししょ〜の隣……この世で一番落ち着きます」

「よしよし、いい子だ」

「はい……エリィは……いい子ですから……」


 エリシアは薬でも盛られたみたいに入眠する。

 一人残されたグレイは、ぼんやりと天井を見つめた。


 ……。

 …………。


 エリシアが小さかった頃。

 師匠と弟子でたくさん旅に出た。


 エリシアに魔剣士の戦い方を見学させるのが一番の目的だった。


 大半のバトルはグレイ単独でこなした。

 大型モンスターが相手の場合、他の魔剣士とチームを組むこともあった。


 グレイは耐久力が高い。

 そのせいで盾役として重宝されることが多いのだ。


(よく決まった三人でチームを組んでいたな……)


 グレイと、ネロと、もう一人。

 三人の完ぺきなコンビネーションがあれば、厄災の王アヴァロンにも勝てると、信じて疑わなかった。

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