第62話 ベガの守り石の現在地
「一個だけあるぞ。エリィのお母さんが、エリィに残したものが」
グレイはそういって、短剣を解体した。
ずっと昔。
グレイたちがアヴァロンに襲われた日。
『この短剣には魔法を施している。力のないエリィでも使える』
そんなセリフと共に八歳のエリシアに預けた武器だ。
柄の中から出てきたのは丸っこい石。
優しい乳白色を帯びている。
「
エリシアは石のエピソードを知りたがった。
「元々は俺の師匠が持っていた。生まれた村を離れる日、一番仲の良かった子に渡してきなさい、といって俺にくれた」
「それがエリィのお母さん?」
「ああ、そうだ」
グレイはそのシーンを再現する。
二人の間には金属の柵があった。
ミケーニアからお願いされて、グレイが首にかけてあげた。
あの頃の二人は幼くて、初めて目にする
「ミケには生きていてほしい。本気でそう思っていた。領主様の一族だったしな。ミケの父親……エリィのお
「この守り石は元々師匠の師匠のもので……それが師匠の手からエリィのお母さんの手に渡って……今はエリィの手元にあるわけですよね。三十年くらいの歳月をかけて、旅してきた石なのですよね」
「そうだ。俺たちの思い出の場所には、必ずこの守り石があった」
エリシアがソファから立ち上がる。
感動を消化するため、自分の部屋をクルクルと移動する。
「びっくりするくらい心温まる話じゃないですか⁉︎ だって、私が師匠と出会った日、この石は私の首にあって、それはエリィのお母さんがかけてくれたからで……」
エリシアの目から涙がこぼれる。
お母さん、と。
でも、すぐ笑顔に変わる。
「職人に依頼して、短剣の中に埋め込んでもらった。短剣なら子供のエリィでも失くさないと思った」
事実、十年前にグレイが渡した短剣は、こうしてエリシアの手元にある。
「他の話も聞かせてくださいよ! いつもお母さんと何について話していたとか、どんな手紙のやり取りをしたとか!」
エリシアはソファに戻ってくると、甘える猫のように体重をもたせかけてくる。
「ミケは一日中、屋敷にいるような女の子だった。外の世界はどうなっているのか、村でどんな事件が起こったのか、報告するのが俺の日課だった。あと、ミケと呼んでいたのは俺だけで、親からよく注意された。本当はミケーニア様と呼ばないといけない」
「どうして愛称で呼んでいたのですか?」
「最初はマナーを知らずにミケと呼んでいた。大人から叱られて、ミケーニア様と呼んだら、ひどく
エリシアが笑う。
口元が母に似ておりハッとする。
「師匠はエリィのお母さんのことが好きだったのですね」
「好きだった。本能的なものだと思う。ミケと話している時間が一番楽しかったから。ミケが風邪で寝込んでしまい、しばらく会えない日が続くと、思いっきり落ち込んだ」
ミケも俺のことが好きだと嬉しい。
そう思うようになったのは、グレイが旅に出る直前くらい。
「領主様と領民が結婚するって、ありえないのですか?」
「ありえない。住んでいる世界が違うから。目にしている村の景色は一緒でも、まったく生き方が違うんだ。俺の家族なんて、誰一人としてロクに文字が読めなかった」
ウサギとカメが結婚するくらいありえない。
そう伝えると、エリシアは肩を揺らして笑った。
「おい、エリィ、距離が近い」
「だって、二人きりの時間くらい、弟子のエリィでいたいじゃないですか。四六時中ミスリルの魔剣士をやっていたら、エリィの頭はパンクしちゃいます」
「それは大変だ。どうすれば楽になれる?」
「師匠が甘やかしてくれたら解決です」
「うっ……」
エリシアはグレイの腕を抱いたまま上目遣いを向けてくる。
「最後に師匠に甘えたの、八歳でしたから。九歳から十七歳の分まで甘えたいです」
「そうか……具体的に何をやってほしい?」
「大きくなったな、と頭を
「そんなの、お安い御用だ」
グレイは自由が残っている方の手で銀髪に触れた。
「エリィは大きくなったな。立派に成長した。俺の自慢の弟子だよ」
「やった! 嬉しい!」
エリシアとの距離が
「もう一個お願いしてもいいですか?」
「何個でもいいぞ」
「でしたら……」
よっこいしょ、と。
エリシアのお尻がグレイの
「おいっ⁉︎」
「懐かしいです。エリィが眠そうにしていたら、よく師匠が抱いてくれました。師匠の膝の上って、何歳になっても心が落ち着きますね」
エリシアの体重は十年で二倍に成長している。
グレイにとっては朗報であり悲報であった。
「俺の心はまったく落ち着かない」
「八歳のエリィじゃなくてガッカリですか?」
「そんなわけあるか。分かっていて質問しているだろう」
「うふふ……」
これもエリシアのため。
師匠としての責務じゃないか。
そう自分に言い訳して、肌や髪の感触を味わった。
「ありがとうございます、師匠。今夜は深く眠れそうです」
「まさか、不眠なのか?」
「不眠ってほどじゃないですが、師匠と一緒だった時代が一番気持ちよく寝られました。今のエリィは、昔に戻った気分です」
肩越しのエリシアと目が合う。
「師匠が師匠でいてくれて、本当にありがとうございます。好きですよ、師匠。今も昔も。だから、もう少し甘えていいですか」
「当然だ。俺の中でエリィが最優先だ」
二人は十年間の空白をゆっくりと消化した。
この夜、ミスリルの魔剣士の私室から灯りが消えたのは、夜が更けてからのことであった。
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