第57話 最近、エリシアが幸せな理由

 メイドが用意してくれた花の前で、エリシアはうっとりと目を細め、クンクンと香りを楽しんでいた。


「最近のエリィは幸せそうだな」

「ええ、とっても幸せですよ。師匠の告白がたくさん聞けましたから」

「コク……ハク……」


 思い当たる節は、ある。


 ネロと死力を尽くした日。

 グレイは感情を爆発させていた。


『エリィを兵器みたいに使うことは許さない』


『エリィは絶対に守る。何があっても。この命に代えても』


『エリィを助けるためなら、親友のお前だろうが、俺は叩き斬る』


『エリィを守る! お前を倒す!』


『俺のエリィを返してもらうぞ!』


 一つ弁明させてほしい。

 例のセリフはネロに向かって叫んだもの。


 エリシアが聞いているなんて想定外だった。

 あの時、グレイは自重することを知らなかった。


「俺のエリィを返してもらうぞ! ですよ。格好よすぎじゃないですか。思い出したら体のしんしびれちゃいます。くぅぅぅ〜〜〜! エリィが知っている師匠の中で、一番格好よかったです!」


 体のクネクネが止まらないエリシアを、呆然と見つめる。


「まあ……嘘ではないな……あの発言は」

「師匠ったら。顔が赤いですよ」


 グレイは自分の頭をコンコンする。


(まさか、エリィはそんな理由で上機嫌だったのか……)


『俺のエリィを返してもらうぞ!』は我ながら恥ずかしい。

 お気に入りの玩具おもちゃられて怒っている子供じゃないか。


「あの……だな。エリィの所有権を主張したいわけじゃないからな。返してもらいたかったのは、俺とエリィのきずなであり……」

「どっちでもいいですよ。だって、私と師匠は結ばれる運命ですから」

「おい……」

建国記念日キング・アーサー・デイの占い、忘れていないですよね。私たちは最初から強い運命で結ばれているのです」

「そうだな。確かに運命だな。じゃないと説明できない」


 自分たちの故郷は消えたのに、グレイとエリシアの二人だけは生きている。

 グレイは厄災の王アヴァロンに食われたのに、十年の時を経て復活している。


 理屈じゃない。

 そういう現象を人は運命と呼ぶのだろう。


「なあ、エリィ」


 部屋に二人しかいないのを良いことに、グレイは弟子を抱きしめた。


「好きだ。とっても。深く愛している。俺にとって一番かけがえのない存在。それはエリィが領主様の家系に生まれたとか、俺とエリィのお母さんが仲良しだったとか、上辺だけの理由じゃない」

「一人のレディとして、エリィのことを愛してくれるのですか?」

「意地悪だな、エリィは。とっくに答えを知っているくせに」


 もう手放さない、の気持ちを込めて強めにハグする。


「エリィの意地悪な部分ですら、たまらなく愛おしいと感じてしまう」

「もう……師匠ったら……エリィの幸せが止まらなくなります」

「そうなのか?」

「私って、幸せすぎると食事がのどを通らなくなるのです。体重が減っちゃったら、師匠のせいですからね」

「それは大問題だ。エリィが甘えん坊だった時みたいに、給餌きゅうじしてあげないと」

「まあ⁉︎ 何年前の話ですか⁉︎」

「俺にとっては最近だ」


 エリシアは子供の領域から卒業しつつある。

 グレイの心臓のドキドキが何よりの証拠だろう。


(つまり……俺は……エリィと……)


(男女の仲になるわけか……)


 ダメだ。

 刺激が強すぎる。


 そもそもエリシアは大好きだったミケーニアの娘。

『天国のミケーニアに軽蔑されるかもしれない』という恐怖と、『むしろミケーニアが一番祝福してくれるのではないか』という期待が光と闇のようにせめぎ合う。


(一度でいい……)


(死んでしまった人間と会話する術があるのなら……)


(ミケに会って、許可を取りつけるのに)


 優しいミケーニアのことだ。

 二人を大いに祝福してくれるだろう。


 無邪気な笑顔をふりまきながら『早く孫の顔が見てみたいわ!』くらいのプレッシャーを与えてくるかもしれない。


(信じられるか、ミケ)


(君の娘は国で一番の有名人なんだよ)


(ブドウ畑しかなかった、今では地図にも載っていない、あの田舎で生まれた女の子が……)


 グレイの唇にエリシアの指が触れてきた。


「窓の外なんか気にしちゃって。何を考えていたのですか、師匠」

「今日も良い天気だと思った。空の鮮やかさに見惚みほれていた。エリィの瞳も負けないくらい美しい。俺は空が好きだが、それはエリィの瞳と色が似ているから」

「まあ……」


 エリシアは意地悪だから、わざと胸を寄せてくる。

 グレイを困らせる手段を知り尽くしているのだ。


「ダメです。師匠と二人でいる時間が楽しすぎます。本当は政務のことを考えないといけないのに、心も体も言うことを聞いてくれません。どうしちゃったのでしょう、私は」

「言っただろう。仕事の一部は俺が引き受けると。浮いた時間を二人の時間にしたらいい」

「あ〜ん! そんな提案、魅力的すぎます!」


 恋する少女の顔になったエリシアは、さっと口元を隠してしまう。

 すると二歳くらい幼く見えるから不思議だ。


「好きだよ、エリィ。今日の君が、一番好きだ」

「やめてください……エリィの心臓の音が……師匠に聞かれちゃいます」


 ハグのせいで乱れまくりの銀髪を整えていると、ドアをノックする音がした。


「エリシア、そろそろ元老院へ顔を出す時間だよ」


 入ってきたのはレベッカだった。

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