第55話 エリシア嬢、少しだけ怒る

 エリシアは目元をゴシゴシすると、ネロの元へ向かった。


「どいてください、クロヴィス殿」

「ダメだ! ネロは殺させない! どうしても手にかけるというのなら、まずは私から殺せ!」

「いいから。どいてください」

「嫌だ! どかぬ!」

「え〜い! じれったい!」


 エリシアにしては珍しく、少し怒った。


「かくなる上は……」


 指先をクルクルさせる。

 小さな竜巻を起こし、クロヴィスの体を強制的にでんぐり返しさせた。


「聞こえていますか、オニキスの魔剣士ネロ」


 ネロの指がピクリと反応した。


「エリシア嬢……ごめん……裏切って……。オイラの弟子の中には、将来有望なやつもいるから、育成だけはお願いします」

「何を言っているのです。これから死ぬ人間みたいじゃないですか」

「だって、もう体が再生しない」


 エリシアは両手をかざした。

 魔力が光の粒となり、干天かんてん慈雨じうのように、ネロの体に吸い込まれていった。


「ちょっと、何やってんの、エリシア嬢」

「私の魔力をネロに分け与えています」

「ダメだ、オイラは裏切り者なのに」


 エリシアは魔力の注入をやめなかった。


「こんな場所で死ねると思わないでくださいよ、ネロ先輩。特別なペナルティが待っていますから」

「うわぁ……鬼だなぁ……」


 拒否する権利も、止める手段も、今のネロにはない。


「記録によると、魔剣士の最高年齢は七十五歳らしいです。ネロ先輩なら、まだ三十八年は活躍できるでしょう」

「マジで? 七十五歳まで現役? 笑えない冗談でしょう」

「いいえ、本気です。私は信じています」

「ぐぬぬ……」


 グレイも二人のところへ向かった。


「過去で一番良い勝負だったな、クソガキ先輩。あんたがクソガキなのは知っていたが、想像以上のクソガキだったぜ」

「グレイ……」


 ネロに舌打ちするくらいの元気が戻ってくる。


「祝ってくれよ」

「なにを?」

「百勝した。オニキスの魔剣士ネロに百回勝った。この世で唯一の存在だろう」

「ああ……」


 ネロが拍子抜けしたような顔になる。


「おめでとう、グレイ。あんたは大した人間だよ。男の中の男であり、魔剣士の中の魔剣士だ。自慢の親友であり、オイラに負けず劣らず子供っぽい」


 グレイはその場にしゃがみ込み、ネロの頭を小突いておいた。


「もう二度とお前とは戦いたくない。全身が死ぬほど痛いから。ネロの魔法は火力が高すぎるんだよ」

「グレイの大剣の方がヤバいだろう。その黒い炎、死ぬほど痛いから」


 そんなやり取りをエリシアが嬉しそうに見守っている。


「一個だけ教えてくれ。お前がアーサー王の末裔まつえいという話、本当なのか? つまり、お前の父親は……」

「あ〜あ、その話か……」

「興味本位で聞いているわけじゃない。王政じゃないとはいえ、王族の存在は特別だろう」


 ネロは寝転がったまま、腰を痛めているクロヴィスを見つめる。


「後で話すよ。長くなりそうだし。でも、グレイに秘密にしていたのは、悪気があったわけじゃなくて……」

「お前のことだから、同情されたくないとか、ツマラナイ理由だろう」

「そうそう、ツマラナイ理由ね」


 ネロの傷がかなり回復してきた。


「ありがとう、エリシア嬢。もう大丈夫。後は魔剣エルドリッチに任せて」

「いいのですか?」

「これ以上エリシア嬢の魔力をもらったら、魔剣エルドリッチが嫉妬しっとする」

「へぇ〜」


(なるほど……これが師匠の教えてくれたヤンデレってやつか)


「ほらよ」


 グレイは旧友に手を貸した。

 ずっと昔、何百回もやったみたいに。


「三年で七大厄災パガヌスを倒そう。お前、そう言ったよな。ネロらしい前向きなセリフだと思った。お前はいつも無茶ばかりだった。俺がブレーキ役をやってきた」

「グレイ……」

「でも、今回は止めない。超えようぜ、アーサー王の世代を。三百年ぶりに強いメンバーが集まったんだろう」

「ミスリルの魔剣士で最強なのは四代目。オイラはそう思っている。あれは嘘じゃない」

「俺としては、あのセリフも悪くないと思った」


 エリシアが俺たちのアーサー王、みたいなやつ。


「グレイって意外に子供っぽいよな」

「親友がクソガキなんだよ。クソガキが感染うつったらしい」

「ケッケッケ……」


 上官の顔になったエリシアがパンパンと手を鳴らす。


「さあ、二人とも、王宮へ帰りますよ。師匠の手当ても必要ですし。ネロの処罰については、美味しい紅茶でも飲みながら考えましょう」


 エリシアは魔剣アポカリプスを拾うと、何事もなかったかのように礼拝堂を後にした。


「やれやれ、エリシア嬢の器、大きすぎるでしょ」

「最強だからな。楽に他人を許せるんだよ」

「ああ……言えてる」


 ネロが苦笑する。


(魔剣士同士の私闘はタブー、か)


(こんだけ痛けりゃ、当然タブーだよな)


 魔剣で人を斬るべきじゃないと、グレイは傷口に触れながら思った。

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