第48話 グレイとミケーニアの思い出

 子供のグレイにとって、世界とは、

『ブドウ畑』

『土の匂い』

『マズいミルクかゆ

『家の手伝い』

『兄弟喧嘩』

『剣の稽古』

 そして『ミケーニアとの会話』で足りるくらい狭かった。


「お父様ったら、ひどいのよ」


 ミケーニアの話は身内の愚痴ぐちから始まるパターンが多い。


「ちょっと髪の毛が入っていただけで、お料理を丸ごと捨ててしまうの。もったいないわ。髪の毛が触れている部分だけ取り除いたら、残りは食べられると思わない。あれじゃ、食材を届けてくれた人に失礼だわ」


 腰に手を当てながら力説してくる。

 グレイとミケーニアの間には、いつだって金属の柵があった。


「俺の家なら考えられないね。ミルク粥に虫が入っていたら、虫ごと食べるよ」

「まあっ⁉︎ 虫ごと⁉︎ それは、さすがに……」

「弟がイタズラで入れてくる。俺のミルク粥に生きたままの虫を突っ込むんだ」

「まあっ⁉︎ 弟さんが⁉︎」

「腹が立ったから、何も気づかないフリして食ってやった。そうしたら弟は青ざめていた」


 そのシーンを想像したミケーニアは腹を抱えて笑う。


「グレイって強いのね」

「兄弟がいたら、毎日が戦争なんだよ」

「そうだ。ちょっと待っていて」


 ミケーニアはタタタッと部屋に戻った。

 窓から手を振り、すぐに帰ってくる。


「ほら、新しい本。タイトルの文字、グレイは読めるかしら?」

「あ……あ……あ〜〜〜」

「アーサー王と七人の魔剣士よ」


 文字が読めないグレイの代わりに、ミケーニアにはプロローグを読み上げてくれた。


 アーサー。

 神の申し子。

 彼がお母さんの胎内にいた時代、魔法使いのマーリンが訪ねてきて、


『生まれてくるのは男の子でしょう。この世で一番偉大な王となるでしょう』


 と予言を残していく。


「はい、今日はここまで」

「続きのページは?」

「また明日会いにきて。そうしたら読んであげる」


 ミケーニアは文字の分かる女の子だった。

 領主様の娘なので、家庭教師がついており、村で一番のお利口さんなのだ。


「グレイも文字を覚えなさいよ。村を出た時、困るわよ」

「できるかな。俺の親は、文字なんて十個くらい知っていれば困らないという」


 ミケーニアは木の枝で地面に文字を書き始めた。


「これ、読める?」

「分かるよ。グレイ。自分の名前くらい知っている」

「じゃあ、これは?」


 分からない。


「よく考えて」


 ミケーニアがニッコリ笑う。


「もしかして、ミケの名前?」

「そう、正解!」

「やった!」

「どう? 少しは文字を覚えたくなった?」

「うん! もっと知りたい!」


 興味のあるものから順番に教えてもらった。


 アーサー王。

 魔剣エクスカリバー。

 王都ペンドラゴン。


 戦争の神マルス。

 豊穣の女神エリシア。


 フォーミュラ歴、聖教会。

 アヴァロンと七大厄災パガヌス


 グレイが家でも復習できるよう、ミケーニアはノートを一枚千切って、単語リストまで用意してくれた。


「もらっていいの? お父さんに怒られない?」

「いいのよ。それに一番の勉強法は、他人に教えることよ。これは私の勉強でもあるの」

「ありがとう、ミケ。絶対覚える」

「どういたしまして」


 ミケーニアとの共通点が増えていくみたいで、文字を覚えるのは楽しかった。


「私の一族ってね、なぜか全員お酒に弱いのよ」


 グレイは小首をかしげる。


「ワインで潤っている土地の領主なのに変よね。これって一種の呪いかしら。だから私、大人になっても、ワインの美味しさが理解できないレディになると思うな」

「俺の父さんは、ワインは売るものであって、飲むものじゃないと毎日言う」

「そうね。ワインの飲み過ぎは良くないわね」


 ミケーニアが口に手を当てて笑った時、青い顔をした召使いが走ってくる。


「大変でございます! ミケーニアお嬢様!」

「どうしたの⁉︎」

「魔物が出ました! 急いで屋敷の奥へ避難してください!」


 グレイはすぐに駆け出した。


「ちょっと⁉︎ グレイ! どこへ行くの⁉︎ そっちは危ないわ!」


 グレイの腰には短剣が差してある。

 父のやつを内緒で持ち出しているのだ。


(俺がミケを守らないと!)


(魔物が屋敷の方へ近づかないよう、おとりになるくらいならできる!)


 くだんのモンスターはブドウ畑のど真ん中にいた。


 合成獣キマイラだ。

 頭が二つあり、片方はライオンのよう、もう片方はヤギのよう。

 毒ヘビのような尾がシャーッと威嚇いかくの声をあげている。


 手当たり次第に人を襲いそうな合成獣キマイラは、しかし、その場から一歩も動こうとしない。

 何かを警戒するように前脚で地面を引っかく。


 女性がいた。

 知らない顔だ。

 ロングの髪を後ろで一つに束ねており、右手には長剣を持っている。


 印象的なのは眉間みけんの傷。

 女性が戦い慣れしている証拠だった。


(無理だ……普通の兵士じゃ合成獣キマイラに勝てない)


 次の瞬間、グレイは信じられないものを目撃する。


 合成獣キマイラが一歩引いたのである。

 女性が進むと、さらに一歩引いた。


 怯えている。

 十倍はあろうかという魔物の方が。

 自分を大きく見せようと、意味もなく翼をバタつかせている。


「安心しろ。私が来た。誰一人として死なせない」


 女性が長剣を向ける。


 グレイが初めて目にした本物の魔剣士は、おとぎ話のヒーローに負けないくらい格好よかった。

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