第27話 世界一幸せな男だと思う

 エリィを自称する少女は、白黒を基調きちょうとしたワンピースドレスをまとっていた。

 そでのところが花弁みたいに広がっており、黒いリボンが流れている。


「まさか……エリィなのか?」

「ええ、そうです」


 黒リボンはひじ、肩、胸元、腰といった具合にちりばめられており、八歳だったエリシアが目にしたら、


『こんな服を着てお姫様みたいになりたい!』


 と大興奮することけ合いだろう。

 ドレスは二の腕と鎖骨さこつのところがレース素材になっており、お人形のようなエリシアを大人っぽく仕立てている。


 グレイの脈拍がペースを上げた。

 目の奥がどうしようもなく熱くなる。


 エリシアが生きていた。

 自分の命より大切な人と再会できた。


 考えるより先に、悩むより先に、エリシアの体を抱きしめた。

 幻じゃない、ちゃんと触れられる。

 体温が伝わってくる。


 無宗教のグレイだが、この日は天上の神々に感謝したくなった。


「エリィ、エリィ、エリィ……」

「あっ、師匠……」

「お前、本当に生きていたんだな」

「そんなに強く抱きしめられたら……」

「すまない」


 昔のクセでハグしてしまったが、十八歳といったら淑女しゅくじょなわけだから、家族じゃない男がやるのは褒められた行為じゃない。


 美人になったな。

 そう告げる代わりに、


「大きくなったな」


 と言ってシミ一つない頬っぺたに触れた。


「本当にエリィなのか?」

「そうですよ、師匠」

「信じたい。なのに信じられない。自分で言っておきながら矛盾している」

「私もですよ、師匠!」


 今度はエリシアの方から抱きついてきた。

 もちろん、グレイが拒む理由はない。


「師匠が生きていました。師匠と再会できました。レベッカから教えられても、ネロから教えられても、上手く信じられませんでした。こうしてハグしても、上手く信じられません。起きたまま夢を見ているみたい」


 間違いない。

 この無邪気さは本物のエリシアだ。


「エリィと呼んでもいいか。公式の場所以外なら」

「はい、だって私は師匠のエリィですから」


 本当に愛くるしい。

 グレイの記憶のエリシアは、八歳で成長が止まっているが、可愛さという点はえ置きだろう。


「ミスリルの魔剣士になったらしいな」

「ええ、信じてくれますか」

「もちろん。俺はネロじゃない。疑わない」

「ふふっ……。でも、ネロネロって、何だかけちゃいます」

「妬ける?」

「師匠とネロの仲の良さに」

「そんなものか」


 どうやらエリシアは勘違いしているらしい。

 グレイの大切な人を選べと言われたらエリシア一択だ。


「師匠の言ったことは本当でした。私には魔剣士として才能があったようです。師匠の言葉があったから、私はミスリルの魔剣士になれました」


 そんなわけない。

 エリシアは十八歳。

 才能と努力だけで伝説の仲間入りを果たせるほど甘い世界じゃない。


「レベッカも話していたが、目が黒いうちにミスリルの魔剣士に会えるなんて、夢みたいな話だ」

「環境に恵まれていました。運に恵まれていました。たくさんの応援に恵まれていました」


 エリシアは、自分一人の力じゃない、と謙遜けんそんする。


「エリィの人柄の賜物たまものだろう。周囲から愛されたのは」

「でもネロとレベッカの特訓、けっこう厳しかったですよ。最初のうちは泣いてばかりいました。すると『泣くな!』と怒られて、ますます泣いちゃいました」

「あの二人が、か」


 厳しく接したのは優しさの裏返しだろう。

 どちらも根は親切だ。


「しかし、参った。ミスリルの魔剣士から師匠呼ばわりされるのは気恥ずかしい。エリィの方が実績も実力も上だから」

「ダメです。師匠は師匠なのです。ずっと変わりません」

「弱ったな……」


(エリィは俺が育てた、と主張する気は毛頭ないが……)


 まあ、いいか。

 本人が好きなように呼べばいい。

 エリシアが幸せなら安いコストだ。


「しかし、エリィも意地悪じゃないか。たくさん質問してきた。絶対に楽しんでいただろう。ネロの入れ知恵なのか?」

「ネロとレベッカの入れ知恵です。だって、急に師匠と対面したら、心臓が爆発しちゃいます。慣れるための時間が必要でした」

「まったく……」


 グレイはお土産のアヴァロン人形を心置きなく渡す。


「売上を社会福祉に役立てているそうだな。エリィの発案と聞いた。活躍しすぎだ。元老院と渡り合うなんて」

「大げさですよ。私は民衆の声を、特に若者の声を、おじいさんに届けただけです」


 孫娘のようなレディが出しゃばってくるなんて、元老院の面々も誤算だろう。


「師匠は今、何を思っていますか?」

「やめてくれ。その手の質問は恥ずかしい」

「つまり、恥ずかしいことを考えていたのですね」

「いや、違うぞ」

「だったら、教えてくださいよ。打ち明けられない理由はないはずです」

「おい……」


 誰が仕込んだか知らないが、エリシアは弁が立つようになっている。


「俺は世界一幸せな男だな。そう思っていた」

「もしかしてエリィの恩恵ですか⁉︎」

「当然だ。エリィの恩恵だ」

「やった!」


 エリシアは可愛くジャンプする。


「お前は自慢の弟子だよ」


 グレイもますます笑顔になる。


「師匠に一個、お願いがあります。ミスリルの魔剣士になったお祝いに」

「おいおい、全国民から祝ってもらったのに、追加のお祝いが必要なのか」

「師匠は特別ですから」

「そう言われると断りにくいな」


 エリシアは左手を出してきた。

 手の甲にキスしろ、という意味らしい。

 グレイが狼狽うろたえたのは言うまでもない。


「ずっと昔、ハイランド王国が絶対王政だった時代、君主の手の甲にキスすることで、臣下たちは忠誠を誓ったそうです」

「エリィは王様になりたいのか?」

「ごっこ遊びです。師匠みたいな格好いいナイトに守ってほしいです」

「よく言うぜ。アヴァロンを倒したくせに」


 床に片膝かたひざをついたグレイは、エリシアの手を取った。


『君主の手の甲にキスすることで忠誠を誓う』

 このシーンは絵画の題材になるくらいだから、やり方くらいは知っている。


「元オリハルコンの魔剣士グレイ、我が剣をミスリルの魔剣士エリシアに捧げましょう」


 あと少しでキスが成立する時……。


「ちょっと待て」


 グレイは立ち上がった。

 入口のところへ行き、ドアを思いっきり引いた。


「どわっ⁉︎」

「ヤバいっ⁉︎」


 ネロとレベッカが手前に倒れてくる。

 一連の会話を盗み聞きしていたらしい。


「まあっ⁉︎」と叫んで仰天したのはエリシアだ。

 一瞬で首元まで赤くなっている。


「二人が上手く話せているかなって。心配になっちゃってさ」


 ネロが悪びれずに言う。


「すまない……どうしても様子が気になって」


 本気で反省するレベッカは珍しい。


「ああっ! もうっ! ネロのみならずレベッカまで! 恥ずかしくて死にたくなるじゃないですか! さっき聞いたことは全部忘れてください! 他言無用なのです! これは上官命令ですからね!」


 アヴァロンを倒したエリシアも、羞恥心しゅうちしんには勝てないと分かり、目元をゆるめるグレイであった。

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