第11話 待っている人がいる

 深い海のようなところを揺蕩たゆたっていた。

 昼と夜のない、音も光もない、重力すらない空間がどこまでも広がっている。


 死後の世界だろうか。

 寒いような気もするし暖かいような気もする。

 少なくとも聖職者が説くようなユートピアじゃないことは断言できる。


 グレイは岩のようにじっとしていた。

 数字をカウントしては飽きるのを何度も繰り返していた。


 一体、何日が過ぎただろう。

 十日か、百日か、千日か、それ以上か。


 感覚はとっくに麻痺まひしている。

 この自我さえいつまで保てるか分からない。


 せめて天国なのか地獄なのか知りたいと願った時、闇しかない空間に人型のシルエットが浮かんでくる。


『とうとうお前もここに来たか』


『この声……師匠なのか?』


『どうかな。ヒマを持て余したお前の幻想かもしれない。話し相手が欲しいのだろう』


『言えてるな。退屈すぎて死にそうだ』


『おかしなことを言う。お前はすでに死んでいるじゃないか』


『そうだな。アヴァロンに食われて死んだ』


『まったく。死に方まで師匠を真似るとは。バカな弟子め』


『仕方ないだろう。他に選択肢がなかった。俺がやらなきゃ付近の村は全滅していた』


『ふふっ……。一生に二回もアヴァロンに遭遇そうぐうするなんて、とことん運がない男だな』


『笑ってんじゃねえよ』


『すまん、すまん』


 悪びれない声が言う。

 グレイも釣られて笑う。


『弟子を取ったらしいな』


『ああ、エリシアという女の子だ』


豊穣ほうじょうの女神エリシアと一緒か。良い名前だな』


『あと三代目ミスリルの魔剣士とも一緒だ』


『見込みがありそうな弟子なのか?』


『少なくとも俺や師匠よりは』


『なっ⁉︎』


 師匠が不服そうな表情になる。

 そんな幻想を見た気がした。


『すまない。グレイに一個だけ謝らないといけないことがある』


『何だよ、急に。謝罪なんて師匠らしくないな』


『いつぞやグレイ愛用のコップが割れただろう。猫の仕業と伝えたが、実は違うんだ。私が酔った勢いで落としてしまった』


『ああ、知ってる』


『そうなのか⁉︎』


『師匠は嘘をくのが下手だからな。しかも大したことない場合に嘘を使う』


『くそ……弟子のくせに生意気だぞ』


『それは失礼した』


『ふん……』


 しばらくの沈黙の後、師匠の気配が遠ざかっていった。

 グレイは右手を限界まで伸ばしてみる。


『どこかへ行くのか?』


『お前がな。向こうの世界で待っている人がいるだろう。会いにいってやれ。しばらく帰ってこなくていいぞ』


『師匠は一緒に行かないのか?』


『私はいいんだよ』


『どうして?』


『いいんだ』


 続きのセリフを待ってみたけれども、師匠のシルエットは薄くなるばかりで、とうとう孤独な世界に戻ってしまった。


 ……。

 …………。


 次にグレイが耳にしたのは渓流けいりゅうの音だった。

 優しいノイズに小鳥のさえずりや虫の鳴き声が混じっている。


 やけに明るい。

 ほんの少し目を開けただけなのに網膜が焼けそうになる。


「ねぇ、お父さん……」


 子供の声が降ってくる。


「この人、生きているよ」


 グレイのことを指しているらしい。

 そんなバカなという感情と、空腹すぎて死にそうという感情がない混ぜになる。


「いけない。かなり弱っている。なんてひどい怪我なんだ」


 父親の声が言う。


「家から荷車を持ってこようか。載せたら運べるよね」

「お父さんが取ってくる。お前はここで見張っていなさい」

「は〜い」


 足音が一つ遠ざかっていった。

 残った一つはグレイの周りをウロウロしている。


「何だ、これ。剣かな」


 やめろ。

 触らない方がいい。


「うわっ⁉︎ ビリッとした⁉︎」


 ほら、言わんこっちゃない。

 魔剣グラムは子供が嫌いなのだ。

 特にやんちゃ盛りの男の子が。


 しばらく待っていると小石を踏みしめる車輪の音が近づいてきた。


「ねぇねぇ、お父さん! でっかい剣があるよ! この人のかな?」

「剣か。こんなに大きな武器は珍しい」

「もしかして軍人さん?」

「いや、軍で支給される剣はもっと小さい」

「だったら魔剣士の人かな。魔物を斬るのかな」

「最近、魔剣士が行方不明になったという噂は聞かないが……」

「でっけぇ〜! こんな武器を振り回せるんだ! お父さんなら持ち上げられる?」

「う〜ん……。いけない。それより救助が先だ」

「は〜い」


 父親がグレイの胴を、男の子がグレイの脚を持ち上げる。


「この人、すっげぇ重いよ!」

「慎重に載せなさい」


 荷車が出発する。

 移動中、背中から伝わってくる振動がやけに心地良かった。

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