第10話 最果てと優しい世界

 長い。

 とても長い戦いだった。


 人生のラストページを飾るにふさわしい死力を尽くした時間といえる。


 ちょっとだけ眠い。

 油断すると視界がボヤけてしまう。


 不思議と空腹は湧いてこない。

 三日三晩戦っているにもかかわらず。


 グレイは夜の月を三回ほど目にして、ちょうど三回目の朝陽を拝んでいる。

 途中休憩なんてものはなく、かつて集落だった土地は荒野と化している。


 あるのは灰と瘴気と枯れた植物のみ。

 ここまで汚染された以上、十年くらい草一本生えないだろう。


 バケモノだな、と思う。


 アヴァロンもそうだ。

 過去に三人いたとされるミスリルの魔剣士もそうだ。


 単身でアヴァロンを仕留めた者はミスリルの魔剣士と呼ばれる。

『もしかしたら自分にもミスリルの魔剣士になる資格があるのでは?』という野望を二十七年ひそかに温めてきたが、身の丈に合わない宿願だったらしい。


 別にいい。

 自分の実力がどこまでアヴァロンに通用するのか思う存分試すことができた。

 それも魔剣士としてピークに近い状態で。


 肉体はとっくに限界を超えている。

 魔法の威力だって目に見えて落ちている。


 最初は百本出せた槍。

 今は十本繰り出すのがせいぜいだ。


 元気なのは魔剣グラムくらい。

 もっと命を分けろ! もっと激しく戦え! と要求してくる。


 剣はいいよな、疲れないから。

 ニヒルに笑った時、片膝から力が抜けていった。


 ハッとしたが手遅れだった。

 横なぎの一撃をまともに食らってしまう。


 何とか魔剣グラムを盾にする。

 衝撃を殺せるはずもなく、グレイの視界は猛スピードで回転しまくる。


「くそっ……」


 骨はとっくに折れている。

 それも一本や二本じゃない。


 両手、両足、肋骨、指、肩……。

 頭の骨にもヒビが入っているだろう。


 グレイが戦闘を継続できているのは、ボロボロになった骨を金属で補強しているからに他ならない。

 魔剣士ってしぶとい生き物だよな、と自分で自分に呆れてしまう。

 

 グレイが起き上がったところに追加の一撃が飛んできた。

 体がゴムまりみたいに吹っ飛ばされた。


 起きる。

 飛ばされる。

 また起きる。

 また飛ばされる。

 魔剣グラムを手放さなかったのは最後の意地に近い。


 グフフフフフと笑い声が降ってくるのを薄れていく意識の中で耳にする。


 もう十分だ。

 時間は稼いだ。


 エリシアは都に着いただろうか。

 アヴァロンの発見が伝えられて、他の魔剣士たちが動き始めたか。


 これでいい。

 グレイ一人の奮闘で何千何万という命が救われた。

 その中には将来の魔剣士が含まれているかもしれない。


 最後に一つだけ魔剣士に課せられた役目がある。

 体をアヴァロンに食わせるのだ。


 わざわざ意識しなくても、食われる以外の選択肢はないのだが、最後は人柱として散っていくのが暗黙のルールとされていた。


 真っ赤なアヴァロンの目が接近してくる。

 口の中からもう一つの口が伸びてきて瀕死のグレイを食べようとする。


「簡単に……食われて……たまるかよ」


 グレイは最後の魔力を左手に集中させる。

 傷だらけの口で肉体鋼化メタリカの呪文を唱えた。


 グレイの手足が金属でコーティングされていく。

 体の金属化は腹から胸へ、肩から首へと及んでいく。


 これで簡単には消化されない。

 運が良かったらアヴァロンの肛門こうもんから出てくるかもしれない。

 もっとも地中に埋まっている可能性が大であるが……。


 子供じみた嫌がらせだ。

『マゾ野郎め』『死に腐れ』と悪態をついておく。


 魚類を思わせるギザギザの口が触れた時、グレイの鋼化は頭部に達していた。


 声がする。

 あまりの懐かしさに金属の心臓が高鳴る。


『強くなったな、グレイ。さすが私の弟子だ。でも強くなりすぎるなよ。師匠が弟子より弱いと格好がつかないからな。あっはっは!』


 太陽のように明るい女性だった。

 ミートパイを美味しそうに食べることにかけては天才的な才能を持っていた。


『エリィの師匠は強いんだよ! どんな相手にも負けないんだよ! だってエリィの師匠だもん!』


 すまない、エリィ。

 負けてしまった、生きて帰れなかった。


 この姿をエリシアには見せたくなくて冷たい別れを選んでしまった。


 一緒に魔剣士になる。

 夢だからこそ美しい響きをはらんでいる。


『グレイ、お疲れさま』


 もう一人の女性の声がした。

 まぶたの裏にまずしい笑顔が浮かんできた。


『あなたは本当に……本当によく戦ったわ。誰よりも勇敢で、誰よりも義理堅かった。だから少し休みましょう』


 天使の羽のようなもので抱きしめられる。

 人生の終わりは優しい世界に似ていた。

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