海野家の女中たちは、目の前に広げられた書物に、目を輝かせながら見分していた。というのも、書物好きがそろっている、というわけではなく、行商人が訪れたのが久方ぶりであったからだ。たとえ書物に興味のない女中でも、それがかんざしくしに見えるというわけである。

「貸本屋さんなんて、いつぶりかしら」

「ここは行商人の出入りが厳しいのかい?」

 環游がそれとなく聞いてみる。

「前は普通に出入りしてたんだけど……」

 環游たちが入れたのは、左衛門佐が留守であり、娯楽の絶えた女中たちの様子に気兼ねした用人が、中に招いてくれたという経緯いきさつがあった。

「最近よね。行商人はおろか、奉公人の私たちまで外への出入りが禁止になったのは」

「お咲ちゃんがいなくなってからよ」

「しっ……」

 あ、と口を抑えたが、すでに言葉にしてしまったあとだ。

「誰がいなくなったの?」

 内心は食い気味でも、いつ子は気軽に聞いてみせる。若いいつ子に気を許したのか、女中たちはぽつりと話し始めてくれた。

「ううん、そうじゃないの。実家に帰ったって聞かされたんだけど、急にあいさつもなしにいなくなっちゃったから……お咲ちゃんって、私たちと一緒に働いていた女中なんだけど」

「へぇ。でも、何で実家に……」

 環游も気持ち半分というのを装って、書物をいじりながら尋ねた。

「わからない……お咲ちゃんは何も言ってなかったし、本人から聞いたわけじゃないから……」

「何だか、気味が悪くて……」

「どうして?」

 突然の失踪は疑問には思うが、気味が悪いとまでだろうかと、いつ子が聞いた。

「お咲ちゃんのことだけじゃないの。このお屋敷に開かずの間ができたり……」

「怪談話かい?」

「本当にできたのよ。私たちは絶対に入るなって言われていて……」

「それよりも気味が悪いのは、お嬢様の顔が変わったことよ」

 いつ子と環游は、思わず顔を見合わせた。そしてどちらからともなく尋ねたのだが……

「顔が変わったって……」

 答えを聞くよりも先に、用人が左衛門佐の帰宅を告げに来て、あわただしく女中たちが去り、いつ子と環游も退出を余儀なくされた。


「老中が帰ってきたときにはきもを冷やしたぜ……」

 いつ子と環游は、海野家から無事に戻ることができたが、見守っていた伝吉たちからすれば、寿命が縮む感覚がしたものだ。その後、四人は宿禰も一緒に、深萩神社に集まっていた。

「ごめんなさい、うーちゃんのことは何も……」

「うたがあの屋敷にいると決まったわけではない。二人のお蔭で、わかったこともある」

 それは何かと仁助が説明しようとすれば、ごと、ごとごと、と音を立てて、環游が背負っていた行李こうりが動き始めた。

「ひっ!」

 情けない悲鳴は誰のものであったか、一人でに行李のふたが外れ、中からは……

「一太くん!」

 行李の中に身を潜めていたのは、一太だった。一太は何でもないといった様子である。

「だから重かったのか……てことは、老中の屋敷に入ったときにもいたんじゃ……!」

 思い当たった環游に、一太はうん、と無垢むくに答える。皆は叱る気も失せていた。

「おねぇちゃん、ねんねしてた」

「……!」

 その場にいる全員が一太に詰め寄った。

 やっと見つけた。あのとき近くにいたのだ。うたは無事なのか。様々な想いを一太はぶつけられて、戸惑っているところを宿禰が制して、一太に先をうながした。

「ねんねしてるだけだって、織本のおじさんが言ってた……」

「あの野郎、何をぬけぬけと……うたを攫ったくせに……」

「何で織本さんがうーちゃんを攫うのよ」

「というか、どうして嬢ちゃんが老中の屋敷に……」

 今度は伝吉が質問攻めにあう番であった。伝吉が二人に説明している間に、一太を他の部屋に移してから宿禰が仁助に尋ねた。

「次はどうされます?」

「すぐにでもうたを奪還したいが……」

「老中の屋敷を探すとなると、一筋縄ではいきませんね……」

「いや、そうでもないだろう。噂をすれば……」

 威勢のいい足音と共に部屋に乱入したのは、兎之介であった。

 彼もただ座して待っていたわけではない。仁助からの頼まれごとを持ってきたのだった。

「材木問屋の馬鹿息子にたらふくおごって持ってこさせた。うたに関係があるかっていうから仕方なく頼みを聞いてやったが、これで満足か?」

 仁助は宿禰から空蝉うつせみの術についてを聞いたあと、その足で花鳥屋に向かい、何とか老中の屋敷の絵図面を手に入れられないかと、兎之介に頼んでいた。

 嫌味たっぷりの兎之介に、仁助は心強く答える。

「ああ、これでうたの居場所がわかる」


 最後に来た兎之介も、持ちうるすべての事情を知ったところで、仁助が順に説明した。

「十二年前、うたを攫ったのは織本と須磨だ。そのとき須磨は、うたに空蝉の術を施して、何者かの魂を入れた。そして十二年後のいま、うたの中にいる何者かが目覚めようとしている……またうたを攫ったのは、うたというより、うたの中にいる人物が目的なのだろう」

 うたは眠りについていると、一太が証言している。目覚めたときが、魂が入れ替わるときだとすれば……

「くそっ……!どうしてうたを選んだんだ!」

 思いっきり拳を畳に打ち付けて、兎之介は苦々しく、恨みを込めて吐き出した。

「うたが選ばれた理由については、まだわからない……」

 須磨とも、織本とも接点のないうたがなぜ選ばれたのか。年頃から誰でもよかったのか、それとも故意に選ばれたのか……

「これはまだ確証がないが、うたの身代わりにされた娘は、お咲という女中だろう。うたは須磨たちによって老中の屋敷に囚われている。うたは死んだと思わせるために、海野家の女中がうたの着物を着せられ、殺害されたとすれば辻褄つじつまが合う」

「海野家の開かずの間が、神子様が囚われている場所……」

「絵図面を手に入れた馬鹿息子の話だと、海野家では増築工事が行われたらしい。秘密裏に鍵のかかった部屋を作らせたと言ってたな」

「うたを閉じ込めるために作らせたんだろう」

 あるいは、うたの中にいる誰かを閉じ込めるために。

「一太にも聞いてみたが、位置からして開かずの間にうたがいるのは間違いない。もう一つの怪談話も、おおよそ見当はついている」

「もう一つって、顔が変わったっていう……」

 老中の娘、つまり須磨の顔が変わってしまったという話は、先ほど環游がじかに女中から聞いている。

「須磨が老中の養女になったのと、乙若屋の娘、お京がいなくなったのは、ほぼ同時期だ」

「それが、どう関係してるんだ……」

 じれったいというように、兎之介が聞いた。

「空蝉は己にも使える術だったな」

「まさか……」

 宿禰はそこで、仁助の考えていることに思い至った。

「須磨はお京さんの身体を乗っ取っていた……そして何らかの理由で、お京さんから他の方に乗り換えた」

「いま乗り換えたのはおそらく、及川さんが探している三笠屋の娘、お美津だろう」

「どうして言い切れるんで……」

 仁助の勘を信じている伝吉も、その理由わけが知りたかった。

「共通点は小町と称されるほど、美しい娘ということだ。須磨は美しい顔を好んでいるのかもしれない」

「そんな……」

 お京が殺されたのは、用済みとなった身体が不要となったからか。それにお京は、死の直前、空蝉の術が解けた後は正気に戻っていた。もしお京に、須磨に身体を乗っ取られている間の記憶があれば、生かしておける人物ではないと、判断されてしまったとしたら……

 身体を乗っ取られ、無惨むざんに殺されたお京も、いま乗っ取られているであろうお美津も、あまりにも理不尽な仕打ちだった。

 重苦しい空気の中で、兎之介が口を開いた。

「うたに幽霊が見えるようになったのは、空蝉の術で身体の中に入れられた誰かの影響なんじゃねぇか」

「え!うーちゃん、幽霊が見えるの!」

 驚くいつ子に、うたがまだ打ち明けていなかったことを兎之介は思い出す。うたはずっと、いつ子に打ち明けようか、それとも隠していようかと、悩んでいたのだ。

「何でい、今ごろ」

「そんなすごい能力、隠すことないじゃない」

「本人にしてみたら嫌なもんなんだよ」

「そっか……そうだよね……」

 自責で落ち込んでしまったいつ子に、宿禰が取りなすように言った。

「兎之介さんの言う通り、神子様の中で眠っている人物の影響かと思われます。その人物に霊視の能力があり、神子様にも知人の霊しか見えないという形で、影響を受けているのかと」

「こう言うのは何だけど、嬢ちゃんの中にいる人物を追い出せば、嬢ちゃんの能力はなくなるし、うまくいくんじゃ……」

「追い出すって、どうやって……」

 入ってしまったものを、追いやることができるのか。宮司の宿禰ですらわからない答えを、伝吉にも、他の誰にも答えることはできなかった。

「そもそもうたを取り戻さなければ……」

「お前……」

 兎之介をまっすぐに見つめて、仁助が言った。

「老中の屋敷に忍び込む。それしか方法はない」

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