四
海野家の女中たちは、目の前に広げられた書物に、目を輝かせながら見分していた。というのも、書物好きが
「貸本屋さんなんて、いつぶりかしら」
「ここは行商人の出入りが厳しいのかい?」
環游がそれとなく聞いてみる。
「前は普通に出入りしてたんだけど……」
環游たちが入れたのは、左衛門佐が留守であり、娯楽の絶えた女中たちの様子に気兼ねした用人が、中に招いてくれたという
「最近よね。行商人はおろか、奉公人の私たちまで外への出入りが禁止になったのは」
「お咲ちゃんがいなくなってからよ」
「しっ……」
あ、と口を抑えたが、すでに言葉にしてしまったあとだ。
「誰がいなくなったの?」
内心は食い気味でも、いつ子は気軽に聞いてみせる。若いいつ子に気を許したのか、女中たちはぽつりと話し始めてくれた。
「ううん、そうじゃないの。実家に帰ったって聞かされたんだけど、急にあいさつもなしにいなくなっちゃったから……お咲ちゃんって、私たちと一緒に働いていた女中なんだけど」
「へぇ。でも、何で実家に……」
環游も気持ち半分というのを装って、書物をいじりながら尋ねた。
「わからない……お咲ちゃんは何も言ってなかったし、本人から聞いたわけじゃないから……」
「何だか、気味が悪くて……」
「どうして?」
突然の失踪は疑問には思うが、気味が悪いとまでだろうかと、いつ子が聞いた。
「お咲ちゃんのことだけじゃないの。このお屋敷に開かずの間ができたり……」
「怪談話かい?」
「本当にできたのよ。私たちは絶対に入るなって言われていて……」
「それよりも気味が悪いのは、お嬢様の顔が変わったことよ」
いつ子と環游は、思わず顔を見合わせた。そしてどちらからともなく尋ねたのだが……
「顔が変わったって……」
答えを聞くよりも先に、用人が左衛門佐の帰宅を告げに来て、
「老中が帰ってきたときには
いつ子と環游は、海野家から無事に戻ることができたが、見守っていた伝吉たちからすれば、寿命が縮む感覚がしたものだ。その後、四人は宿禰も一緒に、深萩神社に集まっていた。
「ごめんなさい、うーちゃんのことは何も……」
「うたがあの屋敷にいると決まったわけではない。二人のお蔭で、わかったこともある」
それは何かと仁助が説明しようとすれば、ごと、ごとごと、と音を立てて、環游が背負っていた
「ひっ!」
情けない悲鳴は誰のものであったか、一人でに行李の
「一太くん!」
行李の中に身を潜めていたのは、一太だった。一太は何でもないといった様子である。
「だから重かったのか……てことは、老中の屋敷に入ったときにもいたんじゃ……!」
思い当たった環游に、一太はうん、と
「おねぇちゃん、ねんねしてた」
「……!」
その場にいる全員が一太に詰め寄った。
やっと見つけた。あのとき近くにいたのだ。うたは無事なのか。様々な想いを一太はぶつけられて、戸惑っているところを宿禰が制して、一太に先を
「ねんねしてるだけだって、織本のおじさんが言ってた……」
「あの野郎、何をぬけぬけと……うたを攫ったくせに……」
「何で織本さんがうーちゃんを攫うのよ」
「というか、どうして嬢ちゃんが老中の屋敷に……」
今度は伝吉が質問攻めにあう番であった。伝吉が二人に説明している間に、一太を他の部屋に移してから宿禰が仁助に尋ねた。
「次はどうされます?」
「すぐにでもうたを奪還したいが……」
「老中の屋敷を探すとなると、一筋縄ではいきませんね……」
「いや、そうでもないだろう。噂をすれば……」
威勢のいい足音と共に部屋に乱入したのは、兎之介であった。
彼もただ座して待っていたわけではない。仁助からの頼まれごとを持ってきたのだった。
「材木問屋の馬鹿息子にたらふく
仁助は宿禰から
嫌味たっぷりの兎之介に、仁助は心強く答える。
「ああ、これでうたの居場所がわかる」
最後に来た兎之介も、持ちうるすべての事情を知ったところで、仁助が順に説明した。
「十二年前、うたを攫ったのは織本と須磨だ。そのとき須磨は、うたに空蝉の術を施して、何者かの魂を入れた。そして十二年後のいま、うたの中にいる何者かが目覚めようとしている……またうたを攫ったのは、うたというより、うたの中にいる人物が目的なのだろう」
うたは眠りについていると、一太が証言している。目覚めたときが、魂が入れ替わるときだとすれば……
「くそっ……!どうしてうたを選んだんだ!」
思いっきり拳を畳に打ち付けて、兎之介は苦々しく、恨みを込めて吐き出した。
「うたが選ばれた理由については、まだわからない……」
須磨とも、織本とも接点のないうたがなぜ選ばれたのか。年頃から誰でもよかったのか、それとも故意に選ばれたのか……
「これはまだ確証がないが、うたの身代わりにされた娘は、お咲という女中だろう。うたは須磨たちによって老中の屋敷に囚われている。うたは死んだと思わせるために、海野家の女中がうたの着物を着せられ、殺害されたとすれば
「海野家の開かずの間が、神子様が囚われている場所……」
「絵図面を手に入れた馬鹿息子の話だと、海野家では増築工事が行われたらしい。秘密裏に鍵のかかった部屋を作らせたと言ってたな」
「うたを閉じ込めるために作らせたんだろう」
あるいは、うたの中にいる誰かを閉じ込めるために。
「一太にも聞いてみたが、位置からして開かずの間にうたがいるのは間違いない。もう一つの怪談話も、おおよそ見当はついている」
「もう一つって、顔が変わったっていう……」
老中の娘、つまり須磨の顔が変わってしまったという話は、先ほど環游が
「須磨が老中の養女になったのと、乙若屋の娘、お京がいなくなったのは、ほぼ同時期だ」
「それが、どう関係してるんだ……」
じれったいというように、兎之介が聞いた。
「空蝉は己にも使える術だったな」
「まさか……」
宿禰はそこで、仁助の考えていることに思い至った。
「須磨はお京さんの身体を乗っ取っていた……そして何らかの理由で、お京さんから他の方に乗り換えた」
「いま乗り換えたのはおそらく、及川さんが探している三笠屋の娘、お美津だろう」
「どうして言い切れるんで……」
仁助の勘を信じている伝吉も、その
「共通点は小町と称されるほど、美しい娘ということだ。須磨は美しい顔を好んでいるのかもしれない」
「そんな……」
お京が殺されたのは、用済みとなった身体が不要となったからか。それにお京は、死の直前、空蝉の術が解けた後は正気に戻っていた。もしお京に、須磨に身体を乗っ取られている間の記憶があれば、生かしておける人物ではないと、判断されてしまったとしたら……
身体を乗っ取られ、
重苦しい空気の中で、兎之介が口を開いた。
「うたに幽霊が見えるようになったのは、空蝉の術で身体の中に入れられた誰かの影響なんじゃねぇか」
「え!うーちゃん、幽霊が見えるの!」
驚くいつ子に、うたがまだ打ち明けていなかったことを兎之介は思い出す。うたはずっと、いつ子に打ち明けようか、それとも隠していようかと、悩んでいたのだ。
「何でい、今ごろ」
「そんなすごい能力、隠すことないじゃない」
「本人にしてみたら嫌なもんなんだよ」
「そっか……そうだよね……」
自責で落ち込んでしまったいつ子に、宿禰が取りなすように言った。
「兎之介さんの言う通り、神子様の中で眠っている人物の影響かと思われます。その人物に霊視の能力があり、神子様にも知人の霊しか見えないという形で、影響を受けているのかと」
「こう言うのは何だけど、嬢ちゃんの中にいる人物を追い出せば、嬢ちゃんの能力はなくなるし、うまくいくんじゃ……」
「追い出すって、どうやって……」
入ってしまったものを、追いやることができるのか。宮司の宿禰ですらわからない答えを、伝吉にも、他の誰にも答えることはできなかった。
「そもそもうたを取り戻さなければ……」
「お前……」
兎之介をまっすぐに見つめて、仁助が言った。
「老中の屋敷に忍び込む。それしか方法はない」
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