第119話 水音をさせて

 俺たちが夢中でキスしまくっていたら、夜になっていた。


「マジで?」


 電気をつけた部屋から、真っ暗な窓を見て、俺はポカンとする。あ、そんなことってあるんだ。いや、そもそも食事に行った時間がもう遅いってのもあるけどさ。


 ギリギリ理性が勝って手を出さなかったが、代わりのように俺はずっとフェリシーとキスしまくってしまった。何というか恥ずかしくて、俺は顔を手で覆う。


 一方フェリシーは顔をつやつやさせて「ちゅっちゅ地獄もできた~」と喜んでいる。クソッ、人の気も知らないで。


 俺は肩を落とし「まぁ今日はそう言う日だしな」と言って、カーテンを閉める。時間は……七時。昼食が二時くらいだったし、そろそろ弁当を食べ始める時間か。


「フェリシー、弁当食べるか?」


「食べる~。お昼ご飯ケーキ一つだったし、お腹減った!」


「それもそうか」


 俺の腹もリゾットを消化したと見えて、まずまずの空腹を訴えている。


 俺は椅子を二つ机の前に用意して座ると、フェリシーも腰かけてきた。


 俺の膝に。


「……フェリシーさん?」


「フェリシーちゃんは貪欲」


「貪欲かぁ……」


 まだ甘やかしが欲しいらしい。上目遣いでキラキラこっちを見てくる。それに俺が弱いの全部見抜かれてるな?


「またあーん大会したいのか?」


「んーん、次は口移し大会」


「いやー! 口移しは厳しいかもしれんなぁ~」


 俺がしっぶい顔で首をひねると、「むー」とフェリシーはふくれっ面だ。その顔で拗ねる要求じゃないんだよ口移しは。


 俺は重ねて言う。


「しません」


「よしんばするとしても?」


「しないっつってんだろ聞け」


「むー……。断念」


 仕方ない、という態度でフェリシーは俺の膝に深く座りなおして、弁当を開ける。俺はそれに、あ、今典型的なドアインザフェイスやられた、と気付く。


「抜け目ない奴め」


「何のこと? えへ、ゴットのお膝~」


 したたかだなぁ、と俺は息をついて、自分の分の弁当を開ける。


 適当にフォークでフェリシーの肩越しに食べ物を口にしながら、俺は言った。


「明日から、図書館で一日を潰すことになると思う」


「そーなの?」


「ああ、調べものが多いんだ。ドロシー自身の戦力研究から、それの対抗策を全部練って戦わないと絶対に勝てない」


 俺が言うと、「うん」とフェリシーは声のトーンを落として頷いた。


 ドロシーは強敵だ。かつてないほどの、強敵。


 今までのような簡単な対策では利かない。根っこから調べ上げ、すべてに対策を打っておかなければ、俺は恐らく簡単にねじ伏せられる。


 今日はその前の、最後の療養日だ。明日からは気持ちを切り替えて、必死で対策を打たねば。


「でも」とフェリシーは言った。


「明日から、だからね。今日は、しっかり休んで、フェリシーちゃんのこと甘やかしてね?」


「……分かってるよ」


 俺は随分とフェリシーとのキスに対する抵抗が低くなってしまって、振り返って言うフェリシーにそっとキスした。フェリシーは目を丸くして「んふふ」と笑う。


 それから、ハッとしてフェリシーは言った。


「あっ! 今の瞬間に口移しすればよかった!」


「食事中はもう絶対フェリシーにキスしない」


「え~! 何で~!」


 ポカポカと全く痛くない小さな拳を受けながら、俺はツーンと顔を逸らした。






 食事が終わって八時ほど。明日からを考えれば、今の内に風呂に入っておくのがいいだろう。


 そんな風に考えるのは、自然な流れだった。だから俺は備え付けのシャワー横のバスタブに、お湯を張った。朝のシャワーでは不足だったのだ。


 湯が沸いて、その段で俺はフェリシーがいるという事の意味を理解して「あー、どうしよっかな」と考える。フェリシーも女の子だ。男の後に湯に入るのは嫌だろう。


 そう思って声をかけたのが、正直間違いだったかな、と俺は今感じていた。


「よいしょっと。ふぃ~……」


 すでに湯船につかって目を閉じる俺の上から、フェリシーの声が降ってくる。俺は「心頭滅却心頭滅却心頭滅却……」と繰り返しながら、ちゃぷんとフェリシーの浸かる音を聞く。


 それから薄目を開けると、フェリシーの髪を下した頭が目に入った。湯は乳白色の入浴剤を入れたから、色々と見えない。大丈夫。


「ん~! 久しぶりにお湯に浸かったかも~。やっぱりシャワーよりもお風呂のが気持ちい~ね!」


「……そうだな」


 御覧の通り、俺とフェリシーは一緒にお風呂に入ることになっていた。


 ……いや、違うんだよ。何も違くないけど。『甘える日なの~~~!』とワガママいうフェリシーに負けただけだけど。泣く子に勝てるわけないじゃん常識的に考えて。


 そんな訳で俺が可能な限り接触を避けて湯に浸かっていると、「むー」とフェリシーは不満そうに唸ってから、じりじりとこっちに寄ってきた。


「今日は甘やかす日なんだから、ちゃんと甘やかして!」


「いや、フェリシー、おま、お前無敵か!?」


「フェリシーちゃんは無敵!」


「そうだった無敵だった!」


 結局俺は風呂の端まで追いやられて、フェリシーの背もたれにされる。俺の腹がまるごとちょうどいいベッド扱いだ。


 ……背中ちっちゃいな……。肌、こんなすべすべなのか。とぅるとぅるじゃん。いやいやいや、いかん俺、落ち着け。心頭滅却心頭滅却。


 とか考えてたら、フェリシーはこう言った。


「んふ~。あったかくて、気持ち~……。ゴット、腕ちょーだい?」


「ん? はい」


 俺が腕を差し出すと、フェリシーは俺の腕をシートベルトのように腹周りに回す。俺はフェリシーの腹部に強制的に触れることになり、目を剥く。


 や、柔らか……っ。何となく分かっていたが、脂肪とか全然ない。けど柔らかい。何だこの感触。女の子の腹筋ってこんな柔らかいの?


 俺はフェリシーの手とお腹に自分の手をサンドイッチされ、パチパチとまばたきする。フェリシーは「ゴットの手、ゴツゴツしてて、頼もしいねー。安心する……」と呟く。


 ちゃぷちゃぷと、水音が風呂場に反響する。そのくらい、俺たちは静かに二人湯船に寛いでいた。


「……」


 寛いでるってことにして欲しい。肚に力を籠めないとムスコが元気になろうとするんだ。お前はまだお呼びじゃない。座っててくれ。頼むから。


 俺は深呼吸で気を落ち着かせようとする。するとフェリシーの甘い香りがして、腹の底に熱が籠るのが分かった。


「ん……? ゴット、お尻に、何か硬いのが……」


「き、気のせいじゃないか?」


 俺は顔を背けて深呼吸を続ける。鎮まれ、鎮まれ我がムスコよ。鎮まりたまえ。据え膳とかじゃねーんだわ。今は全員の責任を取るためにも、抑えなきゃいけない時なんだ。


 俺がそうして自分と決死の戦いを繰り広げると、フェリシーは「あ」と何かに気付いたような声を上げた。


 俺はまさか、とフェリシーを見る。フェリシーは恥ずかしそうに顔を赤らめてから、「えっと、えっとね?」と振り返ってくる。


「ふぇ、フェリシーちゃんは、いつでも、いいからね? いつゴットに食べられても、いいから……」


 言いながら、フェリシーはお腹に回して拘束していた俺の手を自分の胸元に運びながら、フェリシー自身の手をちゃぽんと湯の中に沈めた。


 俺の手に、ささやかだが確かに柔らかい感触が伝わってくる。湯の中で、フェリシーの小さな手がナニカを掴んだ。


 俺の全身に電流が走る。フェリシーが目を潤ませて、上目遣いに見つめてくる。


「その時は、優しくしてね……?」


「……。……、……!」


 諸々、説明は省くが。


 とりあえず俺は、自分の鋼の理性を褒め称えたいと、そう思った。

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