第117話 約束を果たすこと

 まず、俺は体調を万全にする必要があった。


 現状、俺は適切に頭をダメにすることが出来たが、それは体を犠牲にしている。


 何日まともな食事をとらなかったか。正直数えてすらいない。


 立ち上がるのも中々億劫で、一度立ち上がっては足腰から崩れ落ちてしまうほどだった。


「ゴットっ?」


「ごめ、ん……。フェリ、シー。水、を。たく、さん」


「わ、分かった! すぐ持ってくるからね!」


 フェリシーは駆け出して、以前の冒険で携帯していた水筒に水を入れて持ってきた。お前場所知ってたのか、と思いつつ、俺は水筒を受け取って、口に運ぶ。


 久方ぶりに口にする水は、乾いた喉に酷くしみ込んだ。俺は今まで抑え込んできた本能に従って、一心不乱に水を飲み干す。


「ぷはぁっ! ゴホゴホッ、はー、はー……あー、生き返った……。ありがとな、フェリシー」


 俺は顔を下し、フェリシーに礼を言った。


 だが、フェリシーがいない。どこにも。


「……」


 俺は息をつく。想定はしていた。だから、焦るな。


 精神の不安定さは体の不安定さの表れ。その為、体調がよくなれば幻覚フェリシーが見えなくなる可能性が認識していた。


 俺は目を瞑る。自らの意識を切り離し、語り掛ける。


「壊れろ。お前なんて」


 自らへの罵倒は、精神を蝕む。この場には必要なものだ。俺の脳は、それで確かに自壊を進める。


 目を開く。そこには、不安げな表情で俺を見るフェリシーが立っている。


「ご、ゴット……?」


「大丈夫だ、フェリシー。今更俺が、お前を簡単に見失うもんか」


「……! ……うん」


 僅かに流れた涙を拭って、フェリシーは俺の手を握って笑う。


「ゴホッ。……まずは、体調を万全にしないとな。それから準備を整えて、黎明の魔女を倒す。それが、ゴホゴホッ、俺たちがすべきことだ。幸いにして、俺たちには今時間がある」


「あ、ご、ゴット! あのね? フェリシーちゃんゴットのお手伝いしたいって言うか、そのね?」


「うん?」


 俺がフェリシーを見ると、フェリシーはモジモジしながら言った。


「約束、覚えてる? 一日中、たーっくさん甘やかして? って……」


 俺はそれを聞いて、即座に脳内シミュレーションでその記憶を作り上げる。


「ああ、そういえばそんな約束したな」


「フェリシーちゃんね、ゴットのお世話する! だからね? いい子いい子って撫でたり、今の内に甘やかして欲しい……。多分、今を逃したら、ゴット、ずっと忙しいと思うから」


 上目づかいで伺うように言うフェリシーに、俺は少し笑って、「そうだな」とフェリシーの頭を撫でた。


「弱った俺でも、フェリシーのことを甘やかす事くらい出来る。一日中甘やかすんだったか。今は……」


 俺がカーテンを見ると、フェリシーがいそいそとカーテンをめくった。まだ日が昇ったばかり、という時間帯だ。


 黎明。


 なら、今日寝るまでフェリシーに構うとしよう。明日からは嫌がおうにも忙しくなる。時間はあるが、いつドロシーが直で答えにたどり着くか分からない。


 俺はひとまずどうしようか考えて、フェリシーの目の下に隈があることに気付いた。


「……フェリシーも、寝不足なのか?」


「えっ? あ、そう、かも……? ゴットが動かなくなって、ずっとどうしようって、してたから……」


 えへ、と困ったように言うフェリシーに、俺は愛おしさがあふれ出る。だからフェリシーの手を取って引き寄せ、抱き上げながらベッドにもぐりこんだ。


「えっ? あっ、ご、ゴット……?」


 顔を赤くして慌てるフェリシーに、俺は言う。


「まずは、二度寝だな。甘やかすと決めたからには、徹底的に甘やかすからな。まずは、添い寝だ」


「あ、え、う、……うん……」


 俺はゆでだこのように赤く小さくなるフェリシーを抱きしめ、限界をとっくに振り切れていた眠気に任せて眠りに落ちた。






 起きると、髪のセットを解いて長髪になったフェリシーが、俺の腕の中で寝息を立てていた。


 改めて見てみると肌着になっていて、途中で添い寝を抜け出して、寝るときの姿になったのだな、と気付く。


 俺の腕はフェリシーの脇腹に掛かっていて、多分これも、フェリシーがもぐりこみなおしたのだろう。


 俺はぼんやりとした目で、すーすーと寝息を立てるフェリシーの顔を見る。


 またあどけない顔をした、小柄な少女。俺と比べても、三、四歳くらいは下なんじゃないかと思う。まだまだ小さな女の子だ。


 そんな風に見つめていると、フェリシーが薄目を開けて、俺を見てきた。


「ぁ……ぅ……?」


「おはよう、フェリシー……」


 俺が声をかけると、状況を理解して、フェリシーがふにゃと微笑む。


「ぉはょー……ゴット……」


 フェリシーは身じろぎして、俺に密着してくる。おはようと言いつつも、まだ起きるつもりはないらしい。


「ゴット……あったかい……すー、はー……ゴットの……ニオイ……濃厚……」


 俺は自分も肌着であることに気付いて、脱がされたのかと気付く。お蔭で随分と目覚めが良い。


 ……ん? ニオイ? 濃厚?


 そう言えば俺、この数日シャワーすらまともに浴びてないじゃん。


 俺はその事実に飛び起きた。「わ」とフェリシーがポカンと目を丸くして俺を見上げている。


「ゴット、どうかした?」


「シャワー浴びてくる」


「えー? ゴット、ニオイ濃厚なのに」


「だからだよっ!」


 ブーブーと文句を言うフェリシーを置いて、俺は一人さっと自室のシャワーに向かった。熱湯を頭から被り、頭から足の先まで洗い流して、スッキリしてから戻る。


 俺の頭はちゃんとダメになっていたので、この程度ではフェリシーを見失うということはなかった。


 ……すべてが終わった後に、どう直そうかな。フェリシーが普通に見えるようになったら、多分全く関係ない幻覚幻聴に苛まれそうなんだよな。それは面倒くさい。


 そんな事を考えつつ、俺はフェリシーの隣に腰かける。フェリシーもすでに起き上がって、いそいそと髪を結ってリングツインテールを作っている。


「その髪型、結構大変そうだよな」


「んー? そーでもないよ? 慣れちゃったから」


 言いながらも、フェリシーはそのリングツインテールを完成させる。どう? とでも言いたげなキラキラした目で見られたから「今日も可愛いな」と言っておく。


「……う……。きょ、今日のゴット、甘々……。癖になっちゃう……」


「感想求める目を向けといて恥ずかしがるんだから、可愛いよな、フェリシー」


「う、うぅう……う~!」


 よく分からないまま、俺の胸元をポコポコ叩くフェリシー。それから俺の胸元をぎゅっと抱きしめて、じっとしている。


「……良い匂いする。シャンプーのニオイ」


「そりゃシャワー浴びてきたしな?」


「……今のもいい匂いだけど、さっきの濃厚なのも好きだったのに」


「あれは二度と嗅がせない」


「思春期のニオイ」


「性的なそれこれの感情を全部まとめて思春期って呼ぶのやめろ」


 俺が言うと、フェリシーは頬の辺りを赤く染めながら、「む~」と俺の胸元に、まるで猫みたいに、くしくしと顔を擦り付けるのだった。

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