第116話 そして五度、妖精は見つかった

 部屋にこもって、ずっとブツブツと呟くのを繰り返す。


 ずっとずっと直感の囁く言葉を繰り返す内に、日が落ち、日が昇った。


 その間、何かが起こっていると気付いたが、すべて無視した。ノック音も、掛けられる声も、今は意味がない。


 喉が渇いている。腹が減っている。けれどそれも意味がない。無視して良い。


 一日が経ち、二日が経った。その間一睡もしていない。眠気のあまり、現実と夢が混在する。


 夢なのか、現実なのか、分からないそれを見た。その中で、派手な髪色をした少女が俺に向かっているのを見た。


『―――ゴット! ゴット! ダメ! 何か食べて! このままじゃ死んじゃう! 死んじゃうよぉ……っ!』


 俺はそれを見て、俺は間違っていないと確信する。自己暗示と精神の自壊を進めながら、俺は夢現の境を薄くしていく。


「俺は、この世界で、本当は勇者なんだ」


「魔王を倒して、姫様にキスしてもらうんだ」


「でも、どうやって姫様に出会うんだ?」


「きっかけがあるはずだ。出会うためのきっかけが。自然な流れが……」


 幻想を作る。新しい、俺だけの現実にたどり着く。今の嘘だらけの現実を否定して、本当の、真実の現実に向かう。


 姫様は、誰がいいだろう。やはりスノウか。最近声もかけてもらったし、ちょうどいい。きっかけはヤンナ? いいや、違う。ヤンナは多分、スノウより俺から遠い。


 誰か、最初に俺に話しかけてくれる女の子が必要なのだ。その子で俺が何となくコミュ障を克服するから、他のヒロインたちと触れ合えるようになるんだ。


 俺は妄想を重ねる。俺自身が自然だと直感的に思う、本当の現実にたどり着くための道筋を作り上げる。改竄された記憶を改竄しなおし、それが本当だと思い込む。


 傍から見れば狂人の所業だ。だが直感が叫んでいる。それでいいと。偽物の現実を否定しろ。本当の現実を暴くことが出来ないのなら、己の中に作り出せと。


 ディティールにこだわるとき、俺は俺の論理性を取り戻す。幸い、俺には材料があった。何故だか話しかけてくる一部の人々。俺自身の、それが不自然に感じない感覚。


 それらを組み立て、直感が頷く通りに、俺はエピソードを作っていく。


「俺はスノウを救う。それでスノウに求婚され、受け入れる」


「そのことで嫉妬したヤンナが俺たちに突っかかってくる。ひと悶着あるけど、結局ヤンナも馴染む」


「俺の妙な行動に目をつけたシュテファンが、すべての糸を引いている。俺はシュテファンを倒す。シュテファンはシュゼットに姿を変える」


 だが、それらには矛盾があった。そんな上手くいくことがあるか。そういう疑問が、自意識の過剰を諫める。理性と羞恥心が、俺を咎めようとする。


 だが、俺はそれを踏みつけて黙殺する。今はお前らの出る幕ではない。黙っていろ。お前らがいてはできないようなことを、俺は今からするのだと。


 俺は思考する。何かが足りない。それは確かだ。その足りない要素の集合体。それがきっと、俺がどうしても思い出せない影なのだろう。俺に憑いている何者か。


「妖精」


 俺は考える。


 どこで出会うだろうか。俺が行きそうな場所になる。となれば、大図書館。きっと俺は、そこで妖精と出会う。大図書館の妖精さんというわけだ。


 俺は妖精と語らい、仲良くなる。きっかけは、きっとルーン魔法。その中でも俺が初期に作っていた大ルーンだ。


 俺はきっと妖精と一緒に冒険に出る。そうして仲を深めていく。


 スノウとの邂逅も、きっと段階を踏みつつ、妖精をダシに使う。あの美貌を俺みたいなコミュ障がそのまま受け止めるのは難しいから。だから間に入ってもらう。


 ヤンナの乱入の時のひと悶着も、きっと妖精がどうにかしてくれるのだろう。妖精と言うからには、きっと不思議な力を持っているはずだ。その力で、事態を丸く収めてくれる。


 そんな妖精は、きっとシュゼットと気が合うだろう。思ったことをそのままやってしまったり、口にしてしまう二人は、きっと相性がいい。


 俺は妖精を肉付けしていく。出会いから今に至るまでを妄想する。自分が今何をしているのかも分からないまま、脳内に真実の現実を構築していく。


 ハッとして目覚めると、俺はベッドの上で意識を失っていた。口の中に違和感があってもごもごと舌で探ると、小麦粉のような感触を探り当てる。


「……無意識の内に、パンでも漁って食べてたか……?」


 違う。直感は否定する。とするなら、別の誰かの仕業だ。だが俺はこの部屋で鍵をかけている。普通の人間に、俺に何かを食べさせることなど不可能だ。


 なら、きっと。


「妖精」


 俺は周囲を見回す。


「妖精。いるんだろ? お前が、俺にパンを食べさせたんだろ。喉も乾いてない。水も飲ませたんだ。違うか? 答えてくれ、妖精」


 答える声はない。あるいは、聞こえないか。


 まだ足りないのだ。俺は彼女の姿を幻覚として見えるほどに狂えていない。見えないはずの物を見ようとすれば、壊れるしかない。狂うしかないのだ。


 俺はまた元の体勢に戻る。ベッドに腰かけ、俯き、妄想を深めていく。


 それから、どうなる? 俺は妖精、スノウ、ヤンナ、シュゼットと仲良くなった。俺は魔王を倒し勇者となる。その後だ。そのあと、どうなる。この偽物の現実は何故作られる?


「俺は、次にどこに行く? どこで、何をする」


 その当たりの時期に、何がある。どんな騒動が考えられる。どんな面白いことが起こる。俺はカレンダーを見る。中間試験を過ぎてもう三週間が過ぎた。


 中間試験。俺は口を開ける。


「大図書学派だ」


 大図書学派に行く。俺は前々からレベル上げも面倒だし、そろそろステ振り直しのアイテム、不死鳥の羽の宝玉が欲しいと思っていた。


 だから、それを取りに行く。大図書学派。妖精は大図書館に現れた。きっとゆかりがある。あるいは大図書学派の人間が、妖精に目をつける。それを俺は知る。


 俺は妖精を守るために、先んじて手を打つ。色々と冒険を繰り返しながら、途中で知り合った適当な誰か、例えばバカルディなんかに頼んで情報を集める。


 それで、決戦の時が近づく。相手は、多分性格の悪いクローディア辺りだろう。あいつを倒す。倒して……。


「……」


 俺は頭を抱える。何故だか、背筋に恐怖がのぼっていた。このままではつながらない。だが、何かがある。何か恐ろしいものが。恐ろしく頭の切れる、何者かが。


「この世界で、俺が怖がる人間なんて、ごく一部のはずだ」


 ならば、伝説になるような存在だ。ぽっと出の魔王程度なら、俺は笑って倒せる。そんなものじゃない。その人物と俺は出会う。そして敵対し、偽物の現実が構築される。


 頭が熱い。知恵熱のように頭がゆだっている感じがする。熱い。痛い。俺は数日間、自発的に食事の一つもせずに考え抜いていた限界を迎えて、横倒しになった。


 答えは近い。すぐそこにある。俺は手を伸ばす。だが足りなくて、意識を落とす。


 落とした先で、俺は魔女を見た。


 無数の機械の主。黎明。夜明けの鮮烈な光が俺を焼く。神秘を焼く。人知が神を殺す。


 黎明の魔女。


 だが、黎明の魔女がこの偽物の現実を作るのではない。きっと、妖精が泣いたのだ。失いたくないと、祈ったのだ。だから安寧と退屈の、つまらない現実がやってきた。


 退屈は死に至る病だ。だがそのまま死ぬよりは、よほどいい。


 俺は、揺すられる感覚に僅かに目を開く。俺の脳はとうとうどうかしてしまったと見えて、現実ではない世界を現実と認識する。


 だから、目の前で叫ぶ少女を、俺は幻覚としてハッキリ目にしていた。


「ゴット、ゴット! ダメ! 死んじゃダメ! ●●●●●ちゃんのことなんて、もう思い出さなくていいから! だから、元気になってよぉ……!」


 妖精。赤と青のオッドアイに、薄いピンクと紫のグラデーションを描くふわふわのリングツインテール。それは花や蝶の髪飾りで彩られている。まさに妖精さんという外見だ。


 名前は何だろう。俺はぼんやりとした頭で考える。この世界は、何というか、名前の頭文字でその人物の役割を示したがる。創造主の悪ふざけか、それとも。


 フェアリー。名前に、きっとこの少女はフェアリーを関している。俺は直感の示すとおりに、口にする。


「―――――…………フェリシー……」


「―――えっ……」


 少女が、止まる。ああ。どうやら俺は、一発で正解を引いてしまったらしい。


 ふ、とずっと続いていた全身の強張りが、解けたのに気付いた。俺は弛緩した表情で、彼女に声をかける。


「やっと、やっと見え、るように、なった……。ずっと、居るのは、分かってた。でも、思い出せなくて、だから……」


「あ……あ……うそ、ごっと、ゴット、フェリシーちゃんのこと、見えるの……? 何で。フェリシーちゃんの魔法、まだ壊れてないのに。誰もフェリシーちゃんのこと、見えないはずなのに……」


 ふ、と俺は笑う。フェリシーの言葉は正しい。俺はフェリシーが見えているが、それは適切な見方ではない。


 俺が見ているのはだ。自ら精神病を抱えるほどに自分を追い込み、しかし論理的な推理で可能な限り『真実』に近い妄想を自分に抱かせた。


 そうすれば、思い出すという過程を取らずにフェリシーを見付け出せる。俺の頭の中にだけいるフェリシー。だが、その振る舞いはきっと本人にも届く。その孤独を破る。


 俺はやっとたどり着いた『真実』を前に、枯れた体で涙を流した。一筋、頬に潤いが走る。それが呼び水になったのか、フェリシーは泣き出した。


「うそ、うそだよ。フェリシーちゃんのこと、誰も、誰も見えるはずないのに。ゴット、フェリシーちゃんのこと、知らないままなのに、何で、何で見えるの……?」


「何でって、そんなの、決まってるだろ……」


 俺はフェリシーに手を伸ばす。ダメになった俺の脳は、そこに確かにフェリシーの感触を得る。その頬の柔らかさを、感じ取る。


「お前を、一人にしたくなかったんだ、フェリシー……。お前を、助けたかったんだ。お前が居ない世界を、俺は耐えられなかった……」


「ゴット……ゴットぉ……!」


 フェリシーは俺の頭を抱きしめて、声を上げて泣き始める。俺はそれに触れ返しながら、呟く。


「なぁ、俺に、お前を助けさせて、くれ……。俺は、フェリシーの作り出した、この世界に耐えられる、ほど、強く、ないんだ……。誰かを、笑顔にしたいんだ。それを認めてもらえる、世界に生きたいんだ……」


「うん……うん……!」


 フェリシーは俺を見る。それから泣き笑いの顔を作って、俺に語り掛けてきた。


「ゴット、あのね? フェリシーちゃんも、一人ぼっち、嫌だよ……。ずっとずっと寂しくて、一人で、苦しくて……。だからね?」


 俺はフェリシーの口から、聞きたかった言葉を知る。


「助けて、くれる……?」


 俺は息を吸って、枯れた喉で頷いた。


「……ああ、任せろ……」


「―――うん……っ!」


 それを聞いて、フェリシーがポロポロと涙をこぼしながら、満面の笑みを浮かべる。


 俺は、思うのだ。きっと俺は、ずっとこの笑顔を見たかったのだと。そのために、直感はずっと俺の手を引いてきたのだと。


 だから、待っていろ、黎明の魔女。


 お前を出し抜いて、俺はフェリシーを見付けたぞ。お前が攻め手で居るのは、もう終わりだ。


 これから、俺たちが攻勢に出る。お前は強敵だから、できることのすべてをしてやろう。神の倫理に背いても、世界の摂理に逆らっても、お前を下してやる。


 俺は決意を固め、かすかに笑った。


 ―――さぁ、悪いことしちゃうぞ。

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