第115話 狂気に至る直感
それに気づいたのは、何のきっかけもなく、ただ雑魚どもの気絶の山の上で腰かけていた時のことだった。
「……何かおかしいな」
俺は呟いて、ぴょんと山から飛び降りる。その過程で雑魚の腕を踏んで呻き声が上がるが、そんなものに今更気を払わない。
何かがおかしい。だが、その何かが分からない。
「……」
疑いながら、歩き出す。
最近、こう言うことが多くなった。つまり、直感が『何か違う』『動き出せ』と命じてくることが。
俺は論理的に物事考える方だ。元々プログラマーだったのもあって、A→B→Cという風に物事を組み立てる。
だが、直感は『それではダメだ』と囁いてくる。『それでは対応できないことが起こっている』。『だから直感だけを信じて動け』と。
「……」
しかし人間には理性というものがあって、直感だけで全部を行うのはそれこそ動物ではないか、という思いもある。とはいえ人間は動物ではないのか、と考えると、やはり動物で。
「訳わからん事を考えてるな……」
俺は自嘲しながら道を進む。周囲の俺を見る目が突き刺さる。
それも、最近単なる嫌悪ではないと気付き始めた。扱いあぐねている、という目。表面の嫌悪の底には、違うものがあるような、奇妙な目。
何かがおかしい。明確に、何かが。
「ゴット様!」
いつものように俺に付きまとうヤンナが、俺に声をかけてくる。正式に婚約を破棄したはずの少女。だが俺は彼女が話しかけてくることが不自然に感じないし、ヤンナもそうだ。
「どうした? ヤンナ」
「えっ、あ、あの……」
ヤンナは自分で呼び止めておきながら、立ち止まった俺に言葉が見つからないようだった。こう言う動きをする連中も、最近多い。
氷鳥姫スノウ、主人公シュゼット。他にも勇者の末裔のユリアンやミレイユ、バカルディなんかも話しかけては、言葉を探して見つからず、もやもやした顔で立ち去って行く。
ヤンナも同様で、「す、すいません、何でもありません……」と歯がゆい面持ちで去って行く。俺はそれに何か言葉かけようとして、何の言葉もないと口を閉ざす。
きっかけ。
それを失っているのだと、そう思う。何か自然な形があって、しかしそこにたどり着くまでの足掛かりがない。だから全員がもやもやとした顔で口をつぐむ。
俺もそうだ。多分俺の脳は、あるべき姿を知っている。しかし人間の理性と論理がそれを許さない。答えはそこにあるのに、伸ばすための手がないと主張する。
俺は自室に戻る。少し前まで溜まっていた家族からの手紙は『今難しい時期だから放っておいてくれ』とこちらから返信するだけで止まった。
何が難しいのか。俺にもそれは説明できない。そう思いながら俺は扉を開け、部屋を進み、ベッドに腰を下ろす。
部屋で一人。だが、そう感じない。もう一人いる。そう言う感覚が常にある。それだけ言えば幽霊にでも憑かれたかという話だが、俺は違うと思っている。
俺に憑いているのは、幽霊ではなく、きっと妖精だ。
そんな気がする。直感だし、誰に言うわけのことでもないから、それでいいと。
「……誰に言うわけでもないなら、直感で良い、か」
俺は理性の正体に気付く。それは、周囲からの目と評判を気にする心だ。逆説的に言えば、他者の目がないこの場に、理性など必要ないと知る。
「……いや、そんなことはさ、よくない、よくないよ」
俺は自分の中に浮かんだ発想に、軽く笑って首を振る。だが、直感はそうしろと訴えてくる。
俺は、どうすればいいのだろう。ずっとそれを悩んでいる。どうなりたいというゴールもなく、ただあるべき姿がどこにもないという懊悩が、常について回る。
答えは、きっとすぐそこにある。俺がそれに気づけないのは、理性を捨てることが出来ないからだ。一人ぼっちの癖になお、他者の存在を気にしている。
つまらない男だ。そう自嘲する。そんなことないと訴える誰か声を聞く。だが顔を上げても、そんな誰かはどこにもいない。
「……捨てても、いいかもしれないな、理性を」
俺は微睡むように目を細める。俯いてぼーっとする。そうしていると、何だか眠くなってくる。だが横には決してならない。
己の直感の声が大きくなる。それに耳を傾ける。理性を捨てて、直感に従え。俺は直感の叫ぶ言葉を口にする。
「こんなの現実じゃない」
部屋に俺の声が落ちる。俺の口から発された言葉が、俺の耳に届く。
俺は言葉を重ねる。
「俺は、信じない」
「ブレイドルーンはもっともっと面白い世界だ。もっともっと面白いことが起こる世界なんだ」
「なのに何だ? こんなつまらない生活は。こんなの嘘だ。誰かが嘘をついてる。俺はその嘘でこんなつまらない思いをしてる」
「この世界はもっと面白いはずなんだ。何がこの世界をつまらなくしてる? 俺か? 俺自身がつまらないから世界はこんなにつまらないのか?」
「バカが。俺ほど面白いやつがいるか」
「面白い世界と、面白い俺が揃って、こんなつまらないことになる訳がない。だからこんなの現実じゃない」
「俺は特別だ」
「子供のころからずっとそうだった。友達の間で俺はヒーローだった。なのにみんな進学する度につまんなくなっていって、俺だけ取り残されるようで」
「だから俺は特別じゃないふりをした。本当は特別なのに、みんなみたいにつまらない大人の振りをした。じゃないと勉強する時間がなかったし、就活だって」
「でも、この世界じゃそんなつまらない大人の振りをする必要はないんだ。だってこの世界は秘密と魔法がたくさん眠ってる。俺は冗談半分にそれを暴く」
「だから、ずっと楽しいんだ。ずっと楽しいはずなんだ。なのに何でこんなにつまらないんだよ」
「こんなの現実じゃない」
「この世界は面白いんだ。面白い世界なんだ。俺だって特別で、面白くて」
「……じゃなきゃ、転生までして、こんなの、耐えられないだろ……」
「本当なら、もっと楽しいはずなんだ。最初は恵まれない立場からスタートしてさ。でも理解してくれる女の子が現れて」
「強い魔法も覚えるんだ。その魔法で敵を倒すんだ。うんと性格が悪くて、クソみたいな巨悪を倒す」
「強い武器も手に入って、お金ももらえて、みんな俺のこと褒めてくれて、女の子がキスしてくれて」
「そうでない異世界転生に、何の価値がある?」
「なあ、俺に救わせてくれる女の子は、いつ現れるんだ。俺にお前を助けさせてくれよ。そうすることで、俺を救ってくれよ」
「誰かの役に立ちたいんだ。役に立って喜んで欲しいんだ。何をしても上司から『この程度もできないのか』とか『それが出来たなら次コッチな』とか言われるんじゃ、楽しくない」
「俺の善意に価値があると教えてくれ。笑ってくれる誰かがいて欲しいだけなんだ。誰かの役に立てるって信じたいんだ」
「居るはずなんだ。居ないはずがない。居てくれよ、なぁ」
「そんな人が一人もいないなら、俺に何の価値がある?」
気付けば、俺は顔を覆っていて、涙を流していた。自壊している。そういう感覚がある。
俺は笑った。
「壊れて●●●●●を助けられるなら、俺なんて壊れればいい」
俺は、自壊を選ぶ。
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