第114話 関係性の復元:ヤンナ/破綻

 俺は、学院中を駆け巡っていた。


 どこに向かうということではなかった。ただ、会うべき人がいると思っていた。


 ヘトヘトになるまで廊下を走って、たまに教師に見つかって怒鳴られて、それでも走って走って、敷地内の庭園近くの道で地面に膝をつけた時、その人物は現れた。


「ご、ゴット様……!? 大丈夫ですか……?」


 俺は顔を上げる。まるで図ったようなタイミングで、ヤンナはハンカチを俺に差し出しながら駆け寄ってくる。


「あ、ああ……お前を、探してたんだ、ヤンナ」


「えっ。あ、え、う、な、何の御用でしょうか……?」


 期待三割、困惑三割、恐怖四割。そんな複雑な表情で、ヤンナは肩口から前に出している髪を不安げに抱く。


 俺は息を整え、言った。


「ヤンナ、俺のことは好きか?」


「え」


「素直に答えてくれ。俺はその答えがどんなものでも構わないと思ってる。いきなり変な質問をしてくる俺を、キモイの一言で切り捨ててくれてもいい」


「そっ、そんなこと、口が裂けても言いませんっ!」


 慌てて言うヤンナに「なら、どう思ってる?」と問う。ヤンナは顔を真っ赤にし、視線を戸惑いに何度も視線を右往左往させてから、答えた。


「あ、愛して、います……。婚約が、正式に破棄されてしまって、や、ヤンナは、泣き暮らしています。もう一度、もう一度やり直すことはできま、せんか……?」


 言いながら、段々と涙ぐみ始めてしまうヤンナ。俺は苦笑交じりに息を落とし、ヤンナの手の中のハンカチを取ってヤンナの涙をぬぐう。


「俺もヤンナのことが好きだ。やり直そう。でも、ヤンナの思う方法じゃない」


「……!」


 俺の返答に、口元を両手で押さえて、またポロポロと泣き始めてしまうヤンナ。彼女はおずおずと手を伸ばしてくるので、俺はよろよろと立ち上がり、彼女を胸の中に収める。


「あ、ごめん走りまくって汗かいたから臭いよな」


「い、いえ……! ゴット様の匂い……、安心します……。すー……はー……」


「……ヤンナさん?」


 そんな深く吸う事なくない? 恥ずかしいんだけど。


「あっ、し、失礼しました! それでその、えっと、ヤンナの思う方法ではない、というのは……?」


「ああ、それなんだが」


 俺は周囲を見回す。人影はない。なら、話してもいいか。


「ヤンナ、今の俺は、いや、多分この辺り全部がまとめて異常なんだ」


「……はい……?」


「説明が難しいんだが、その、信じてくれ。俺は、その、この異常を、ヤンナならなんとかできるって直観だけでこの場にたどり着いた」


「は、はわわわ、ご、ゴット様がご乱心を」


「ヤンナ」


 俺はヤンナの両手を両手で握る。


「意味わからんことを言ってるのは自覚してる。でも、ヤンナならこの状況をどうにかできると思って探してたんだ。何で俺がお前のことを思い浮かべたのかは、俺にも分からない」


 けど。


「いきなりこんなこと言われて困るのは分かる。だけど、頼む。俺は今、お前だけが頼りなんだ」


「……ヤンナだけが、頼り……」


 俺の言葉を、うっとりした様子でヤンナは反芻する。それからヤンナは、コクンと頷いた。


「―――分かりました。ならばヤンナは、死力を尽くしてその期待にお応えします」


 付いてきてください。とヤンナは俺の手を引いて歩きだす。迷いない足取りで、ヤンナはどこかへと向かって行く。


 それは、女子寮の様だった。平然と俺の手を引いて女子寮に入るヤンナに「お、おいマズいんじゃ」と言うと、ヤンナは首を振る。


「問題ありません。管理人もその他の女生徒達も、全員、不思議とヤンナたちとは遭遇しませんから」


 俺はそれを聞いて、当たった、と思う。直感。常識も記憶も当てにできない今、直感だけが俺たちを答えへと導いていく。


 ヤンナは「ヤンナの部屋です」と言って、扉を開いた。俺は中の光景を見て思わず凍り付く。


 無数のぬいぐるみ。それそのものはいい。女の子ならそう言う趣味もあるだろう。


 ―――だが、その、ヤンナ? このぬい、全部俺じゃね?


 なんてこと、色んな意味で聞けないので、ヤンナが「ここに座ってお待ちください」と指定した座布団に、俺は正座で待機する。ヤンナはクローゼットを開け、何かを取り出した。


 それは、二つのぬいぐるみだった。俺と、恐らくヤンナと思われるぬいぐるみ。


 だが、その頭には何故だか目に覆いがされている。


 それは、花冠だった。花で作った冠。それが少し下がりすぎて、目を覆う場所に落ち着いている。


「ヤンナ、それ……」


「……ゴット様。ゴット様を僅かでも疑ったヤンナをお叱りください。ゴット様は、正しかった」


 振り返る。ヤンナはプロの目つきで、俺を見る。


「これは魔法です。魔法によって、ヤンナたちは真実から目を逸らされています」


「それじゃあ」


「解けます。ですが、……これは」


 ヤンナは判断に困る、という表情で、ぬいぐるみを見下ろしている。


「何かあるのか」


「その、ゴット様。この花冠、綺麗ですよね? ヤンナにはそう見えますし、綺麗に感じるのですが」


「え? ああ、うん。可愛いと思うよ」


 俺が言うと、「ですよね……」と言ってから、ヤンナは改まって向き直ってくる。


「ゴット様。普通、悪意の魔法はこう言う形では現れません。焼け焦げているとか、貫かれているとか、明らかに敵意を感じる形で現れます」


 しかし、とヤンナは二つのぬいぐるみを俺の前に持ち上げる。


「この二つはそうではありません。感じられるのは、むしろ善意。それもかなり献身的な魔法の結果、ヤンナたちは何か現実から目を逸らされている、という風に感じます」


 ヤンナの説明に、俺は口を閉ざす。


「……解除しない方がいい、ってことか?」


「恐らく、現状と比べると、その可能性が高いです」


「……」


 俺は思案する。ヤンナは専門家だ。そう言う動きと説明だった。このぬいぐるみがどういう存在かは分からないが、そうなのだろう。


 専門家ほど、断言は避ける。例外があることを分かっているからだ。だが同時に、専門家の予想ほどよく当たる。


「ヤンナ」


「はい。何でしょうか、ゴット様」


 俺の呼びかけに、ヤンナは真正面から受け答える。


「それでも」


 俺は言った。


「それでも、俺はこの魔法を解きたい。解かなきゃ、いけない気がする。お願いだ。この魔法を解いてくれ。俺に、真実を見せてほしい」


 懇願。俺自身、何でここまで必死になるのか分からない。それでも、進まなければならないと思った。真実を目にしなければならないと、そう思ったのだ。


 それに、ヤンナは頷いた。


「分かりました。ですが、恐らく解いた直後に何かが起こります。つまり、真実を目にする、ということ以外の何かが。……お覚悟だけ、お願いいたします」


「ああ。もう決まってる」


 俺が言うと、ヤンナは「何だか、立派になられましたね……」と少し寂しそうに言う。


 こいつ俺が多少ダメな方がいいんだったっけ、と思ってから、何でそんなこと知ってんだ? と首を傾げる。


 ヤンナは、俺の花冠に指をかけた。


「取ります」


 ぴっ、とヤンナは腕を上に振るい、ぬいぐるみの花冠を取り払った。同時ヤンナの形のぬいぐるみも花冠が千切れて落ちる。


 その直後、俺の記憶の中にすべてが舞い戻った。フェリシーの権能。黎明の魔女。追い詰められた俺たち。


 そして―――俺がヤンナに働きかけてこの魔法を解いたのは、もうであるということ。


 近くで、フェリシーが泣きじゃくる。


「やめてって、フェリシーちゃん言ったのに……! また、あの人が来る。怖い魔女さんが、来ちゃう……」


 ずっとそばに居たのだろうフェリシーに俺たちは気付き、それから絶句する。その背後に、気付けば立っていた少女。彼女はとんがり帽子に指をかけて、俺たちを見ている。


 黎明の魔女、ドロシー。


「いやはや、ゴット君。君には驚かされるよ。君が何度も魔法を解き、ボクが現れ、また世界が『ソレ』を見失い……それでも君は、また『ソレ』を見付け出した」


 ドロシーの眼光が俺を射抜く。気付けば、俺の背後でキチチ……と蜘蛛型のロボット、スパイダーが俺に足を掛けている。


「だがね、この方法はダメだ。ボクは君よりも遥かに先に違和感を掴んで準備をしている。全世界に掛かったこの忘却と隠蔽の魔法を解いてしまえば、君たちはボクから逃げることはできない」


 ドロシーはまっすぐに俺を見る。フェリシーは小さな腕を振るわせ、拳を固く握りしめている。


「ボクがやることは変わらない。見付け出し次第、君たちからの情報を介して『ソレ』を殺す。だが、『ソレ』の魔法はボクのそれより速い」


 そこまで言って、ドロシーはふ、と笑う。


「これではいたちごっこだね。またボクは『ソレ』を見失い、ゴット君が『ソレ』を見付け出すだろう」


 ゴット君、とドロシーは俺を見る。


「『ソレ』にもボクにも選択肢がない以上、恐らくこの泥沼を決着させるのは君だ。君は繰り返すごとに、『ソレ』を見付け出す速度が上がっている」


 けれどね。


「ボクはそれでも、いつの日か君がこの違和感に興味を失う日が来ると思っている。その瞬間、このいたちごっこは終わりだ。それまで大人しく付き合うこととするよ」


 それで世界の危機を退けられるなら、安いものさ。


 言いながら、ドロシーは指を鳴らした。スパイダーたちが俺たちをねじ伏せる。


 フェリシーは俺を見て、ヤンナを見て、かつて見せた泣き笑いの一つも浮かべずに、顔をしわくちゃに歪めて、泣いた。


「―――ミッシング・フェアリー」


 世界は再び、妖精を見失う。











 俺はカーテンの隙間から差し込む光で、目を覚ました。


 また、くだらない一日が始まる。雑魚をけしかけられて、それをボコボコにして、俺は何をやっているんだろうと虚無感に包まれる一日が。


「……つまんね」


 そう言いながら、俺は起き上がる。

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