第107話 ディザスター

 俺はキルケーの杖構えながら、奴に言い放つ。


「お前に教えることなどないよ、学派長。お前を処して、この件は終わりだ」


「うふ、うふふふふふ。そう堅いことは言わないでほしいわ。と言っても、シアエガを倒してしまうあなただもの。わたくしなんて歯牙にもかけないでしょう」


 だからね、お話をしましょう? クローディアはそう言って、杖を振る。


 机に、勝手にお茶菓子が並ぶ。俺たちはもちろんそれに応えない。だが、クローディアはマイペースにティーカップを手に取り、一口飲んだ。


「警戒しているの? 人間の子供と言うのは、幼くて可愛らしいわね。こんな初々しい子が勇者だなんて。ふふふ」


「……」


 俺はシュゼットに目配せする。シュゼットは戸惑っていた様子だったが、俺の視線を受けて心を決めたようだった。


 息をつく。奴に無用な言葉をしゃべらせない。この場で殺して終わりだ。


 そう杖を翳そうとしたとき、奴は言った。


「不法侵入したヤンナ・ディートリンデ・レーンデルスには、魔法がかかっているわ」


 俺は、止まる。


「あなたは大図書学派に入派したから解いたけれどね、カスナー学派員。でも、彼女はダメ。大図書学派の知識に許可なく触れた者には、大図書館の怒りが降りかかる」


 何で覚えている、と思う。だが、同時にそうしてきても不思議ではないと思い返した。もしかすれば、奴の部屋には監視カメラの一つでも存在したか。


 俺は言い返す。


「……嘘だな。ヤンナはそういう、見えない攻撃に強い」


 フェリシーの魔法を退けるくらいだ。大図書学派の報復の魔法は存在しても驚かないが、ヤンナなら無効化する。


 だが、クローディアは笑った。


「ふふふっ。そう思うの? ならわたくしを気兼ねなく殺すといいわ。魔法の解き方は分からないまま、普通なら脳がかき回されてしまうけれど、自分で解けるなら問題ないでしょう」


 そういう物言いは、俺の心を揺さぶった。俺とシュゼットは強張った表情で視線を交わす。


 クローディアは続けた。


「わたくしはね、何もあなたたちに無茶な要求をするつもりはないの。ただ、あなたたちがわたくしの命を奪おうと考えているから、強い言葉で身を守ろうとしただけ」


 ねぇ、と奴は再度話しかけてくる。


「お話をしましょう? 別にお茶菓子は手を付けなくていいわ。毒を疑っているようだし、ね」


「……要求は何だ」


「ふふふっ。お話してくれるのね? 嬉しいわ」


 クローディアはクッキーを手に取って口に運んで、十分に咀嚼してから、言った。


「わたくしはね、ただ知りたいだけ。カスナー学派員、あなたは『秘密の女王』を知っているのでしょう?」


「何のことだ?」


「ふふふっ、嘘が下手なのね。確証がないのに、こんな状況を整えるわけがないでしょう?」


「本当に分からない。何のことを言ってる?」


 俺は戸惑った演技で首を振る。クローディアの問いが鎌掛けなら、ここで調子を崩す。


 だが、奴は違った。


「嘘が下手ね、カスナー学派員」


 言って、クローディアはディスプレイのリモコンを操作した。映像に、俺たち三人の錬金室でのやり取りが映し出される。


「この会話、不自然なところが多いわ。まるでもう一人人間がいるみたいに。あなたたちが来るまでに何度も何度も見て、もう確信しているの」


 ―――秘密の女王。


「本名、フェリシー・アリングハム。カスナー学派員、あなたのことが好きな女の子。とても小柄で、多分年齢もいくらか下。飛び級枠の子かしらね。学籍が残っていたわ」


 ねぇ、そうでしょう? そう呼びかけるクローディアの視線は、明らかにフェリシーを捉えている。


 フェリシーが、一歩前に出た。


「フェリシーちゃん、あなたのこと嫌い。考えてること、フェリシーちゃんを苦しめることばっかり」


「ああ! やっぱりあなたが秘密の女王なのね!? 会えて嬉しいわ……!」


 フェリシーとクローディアのやり取りは、まったくと言っていいほど噛み合わない。同じなのは、お互いに強い害意を有していることだけだ。


 クローディアは、瞳孔の開いた、血走った目でフェリシーを凝視する。


「ああ、アレほど望んだ秘密の女王が、わたくしの眼前に! 嬉しいわ。あなたは、見ることが出来るのね? キーは何かしら。大方、あらかじめ知っていること?」


 ねぇ、とクローディアは続ける。


「悪いようにはしないわ。あなたのこと、調べさせてほしいの。あなたのその力は魔法? 一属性の特殊能力的なものだから、変身魔法かしら。でも刺青はないのよね」


 神の幼体。クローディアは言う。


「新しい魔法が生まれるとき、神が人間として産み落とされると言うわ。あなたはきっとそう。そうして死ぬと、あなたは神になるの。だから刺青がない。似せる神がいないから」


 涎を垂らし、興奮を隠しきれない態度で奴はフェリシーを見る。


「ああ、気になるわ! あなたに他の変身魔法を刻んだらどうなるの? 神の幼体に神罰は下る? 全身に刺青を刻めばどうなるのかしら?」


 そこまで言って、首を振る。


「いいえ、そんなことは些事よ。他の神の幼体でもできる。わたくしが気になるのはその魔法よ。不可視効果のようで違う、その魔法。知られることを拒むの? それとも……?」


 調べさせて? クローディアはどこからともなくメスを取り出す。


「ずっと気になっていたの。神の権能たる魔法の根源はどこにあるのかって。体の部位のどこを失った時点で魔法は使用できなくなるの? 心臓? 脳? それとも他の場所?」


 大丈夫よ、とクローディアは狂った笑みをフェリシーに向けた。


「わたくしね、人体にとても詳しいから。心臓を抜き出しても、脳を抜き出しても、あなたを生かすことが出来るわ。だから、調べさせてほしいの。あなたの、正体を」


 殺そう。


 俺は杖を構える。するとクローディアは「いいの!?」と声を張り上げた。


「あなたの所為であなたの婚約者が死ぬのよ!? わたくしは秘密の女王を殺さない! 死ぬよりもずっといいでしょう!? それとも死んだ方がマシ!?」


「お前……!」


 俺は歯噛みする。それを、フェリシーが諫めた。俺の杖を、フェリシーがそっと下ろす。


 俺はそれに、食い下がろうとした。だが、その必要はないと気付く。


 何故なら、フェリシーがとても冷たい目をしていたから。


「あなたは、嘘つき」


 フェリシーは言う。


「ヤンちゃん、今ね、姫様と一緒にフェリシーちゃんたちのこと見てる。必死に言ってるよ。『そんな小さな魔法、とっくに消しました!』って。だから、あなたを守るものは何もない」


「ふふふふふふふっ! この期に及んでそんな嘘を吐くのね! 可愛いわ! ああ、すぐにその体を―――」


「オーダー。黙って?」


 その魔法で、クローディアは何も話せなくなる。困惑し、しきりに口に触れるクローディアに、フェリシーは言った。


「フェリシーちゃんはね、気になった人の脳を読むことが出来るの。心じゃなくて、脳。記憶、性格、知識、心、ぜんぶ」


 だから分かるの。


「あなたは嘘ばっかり。ヤンちゃんは無事だし、フェリシーちゃんは飽きたら殺すつもり。フェリシーちゃん、あなたのこと、とっても嫌い」


 フェリシーは言って、クローディアに人差し指を向ける。


「知らなかったでしょ。フェリシーちゃんは無敵なの。『知られない』という無敵の盾を乗り越えられたら、『知られる』っていう無敵の矛が控えてる」


 フェリシーの周りに、光の粒子がまとわり始める。


「フェリシーちゃんのこの魔法は、とっても強力。でも発動条件にね、『相手に知られていること』が必要なの。あなたは、それに当てはまった。だから―――バイバイ」


 フェリシーは、魔法を宣言する。




「ディザスター」


 途端、クローディアが、無数の妖精となって散らばった。




 それは、ひどく神秘的な光景だった。クローディアの身体が小さな妖精となって散らばり、服がそのまま地面に落ちて崩れる。


 散らばって飛ぶ妖精たちは、フェリシーが手を翻して手のひらを上に向けると、それに気付いて向かって行く。


 小さな妖精たちが、フェリシーの手のひらに吸収されていく。そうやってすべての妖精を吸収して、フェリシーは手を握った。


 フェリシーの周りの輝きが失せる。だが、フェリシーを包み込む神秘性が遥かに強くなったのが分かった。俺もシュゼットも、言葉を失っている。


 そこに、現れる者が居た。


「まさか、こんなことになるとはね。とんでもない子が現れたものだよ」


 奥の部屋から歩いてくる、小柄な影。折れ曲がった魔女帽の少女が、自らの帽子のツバに手を掛けつつ、カツカツと足音を立てて現れる。


「どうしたものかな。数十年ぶりに、困ってしまった」


 おどけたように言いながらも、黎明の魔女ことドロシーは、鋭い視線をフェリシーに向けていた。

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