第87話 大図書学派長
俺たちの前に立つ少女は、朗らかな笑みを浮かべてこう言った。
「それで、わたくしに何か用かしら?」
丸眼鏡の向こうの瞳は、笑っている。一見するととっつきやすい少女だ。エルフの容姿の良さも相まって、何も知らない人間はすんなり心を許してしまうかもしれない。
だが、俺はそれをしない。何故なら、こいつがやばいことを知っているから。
―――大図書学派、学派長。クローディア・マクファーレン。
ブレイドルーンプレイヤーが満場一致で『頭がおかしいキャラランキング』ランクインを認める、大図書学派のクソ女だ。
何故頭がおかしいか。具体的な描写を避けて要約すると、『倫理観がない』のだ。
人体実験大好き。脳外科大好き。禁忌大好き。ぜーんぶやっちゃう! 神罰は被検体に! マジでただのクソ女。
本当なら俺は最後まで関わりたくないキャラだったのだが、こんな状況では仕方がない。上手くやりすごすしかあるまい。
俺は口を開く。
「いえ、すいません。うっかりで部屋を間違えてしまったようで。ハハ」
うっかりうっかり、というテンションで語ると、クローディアは「ふぅん?」と気さくな顔で眉を上げ、唇を尖らせる。
「まぁいいわ。せっかくだし話し相手になって頂戴。思考の壁打ちがしたいのよ。お茶くらい淹れるわ」
「あ、えと、ちょっと急ぐ用事があって」
「気にしなくていいわ。わたくしから言っておくから。急ぐ急がないなんて、あなたに指示を出した人間の気分でしかないわよ」
うぐ、と思う。これだから権力者は。自分の要望が全部叶うと思ってやがる。
俺はヤンナと視線を交わし、どうにもならない、と大人しく言う事を聞くことに決める。もちろん、危うくなったら即刻武力行使してでも脱出だ。
「こちらにどうぞ、お二人さん」
穏やかそうに笑って、クローディアは俺とヤンナを散らかった机前の椅子に誘導する。強引に手だけで散らばった紙を端に寄せ、杖で「お茶」とだけ言って振った。
すると部屋の片隅で、ティーカップがひとりでに浮きはじめ、火が起こり、薬缶の中に水と茶葉が入れられる。ティーカップと薬缶以外、今まで存在しなかったものだ。
「お茶は放っておいたら数分で出てくるわ。それで思考の壁打ちだけれど、ちょっと特殊だから説明しておく?」
「こっちは何となく頷いて、偶に思ったことを言うだけで、基本的に学派長が一人でしゃべって整理するだけ、って奴ですよね」
「あら。ええ、そうよ。よく分かっているわね。以前あなたにしたかしら?」
「ハハ……」
曖昧に笑ってごまかす。クローディアはそれだけで俺から興味をなくし、「じゃあ勝手に話し始めるから、聞きたいことがあれば聞いて」と語り始めた。
「秘密の女王について」
その一言で、俺たちの間に緊張が走る。
「研究は続けているのだけれどね、全然糸口は掴めないままよ。学院内で起こる不可思議な現象。記憶の喪失。まったく―――興味深い限りよ」
「その、秘密の女王、というのは」
俺がしらばっくれて尋ねると、クローディアは口端を吊り上げる。
「分からないわ。分からない。だから、ここから先はすべて推論」
前置きをして、クローディアは言う。
「恐らく、記憶に関する新しい魔法を持った人物よ。ええ、そう。死んだらそのまま神になるタイプの人間ね。こんな魔法は本部に問い合わせたけどいまだかつて居なかった」
俺たちは戦慄する。推論だけで、ここまで言い当てる人間がいるのか。
本部、というのは恐らく森の賢者本部のことだろう。神云々については、分からないが。
「女王というのはね、きっとその人物が女の子だから。本部の魔女様に無理を言って『監視カメラ』とかいう装置を大図書館すべてに設置したのよ」
で、とクローディアは続ける。
「監視して不可解な点を些細なものでいいから全部メモに記録していったら、男子トイレにのみまったく記録がつかなかった。それで、秘密の女王が『生き物』で『常識ある人間』で『女の子』なんだって推論を立てたの」
ヤンナはカメラがよく分からずキョトンとしているが、意味が分かる俺は倫理観が終わっていて凍り付くしかない。
だが、確実にフェリシーに手を伸ばしている。倫理観を捨て、文明の利器を使いこなし、確実に。
大図書学派の学派長。天才の頂点に立つ天才。クローディア・マクファーレン。
俺たちはきっと、これからこの女を敵に回すことになる。
「でも、ここから手詰まり。大図書館の中によくいることは分かっているのだけれど、女子トイレに罠を仕掛けても、捕まるのはその辺の女生徒だけでしょう? これが難しくて」
おどけた風に言うクローディアだ。それに、いくらかの安堵を覚えながら、俺は尋ねていた。
「その『秘密の女王』に気付いたのは、どんなきっかけだったんですか?」
「そうね。きっかけとしては先日に何か忘れているって思ったことかしら」
「……?」
俺が首をかしげると、クローディアは「ああ」と苦笑する。
「わたくし、記憶補強剤を飲んでいるから。だから、わたくしが『忘れる』ってことは本来あり得ないの。とするなら、外部からの影響による忘却に決まっているでしょう?」
「……記憶補強剤、ですか?」
「ええ、そうよ。多少病気のリスクがあるけれど、それだけで記憶の忘却を防げる便利なお薬。大図書学派でもあまり流行っていないから、新参さんは知らないけれど」
うんうん、と頷きながら、クローディアは続ける。
「だから、わたくしが何かを忘却したとすれば、それはわたくしが『忘却剤』を飲まされたか、『記憶補強剤の摂取を阻害された』か、『未知の手段で記憶を消された』かのどれか。でも、前者二つではなかったのよ。監視カメラを確認しても、何の問題もなかった」
だからね、と言いながら、クローディアは俺の手の上に、自らの手を置いた。
「わたくしは嬉しいのよ。あなたたちのような侵入者が、『秘密の女王』の糸口になりそうだから」
同時、俺とヤンナ、クローディアの三人が動いた。
「装備セット・影走り」
俺はアップデートした大ルーンの機能を使って、指慣らし一度で、大ルーンの書を呼び出さずに、装備セットを呼び出した。元は『氷影』の影セットにあたる大曲剣を召喚する。
一方クローディアは、「杖」の一言で机の端におかれていた杖を宙に浮かせた。その穂先が俺たちに向く。
俺とクローディアは、恐らく速度として互角だった。ぶつかり合えば即時血を見るようなぶつかり合いをする寸前だった。
だが、それよりも。
ヤンナの方が、準備万全で、穏当だった。
「抜きます。抜きました」
コン、という硬質な音と共に、ヤンナは机の下に忍ばせていた木人形の頭の部分に、釘を一つ打ち付けた。その首にはクローディアのものらしき金髪が巻かれている。
それ一つで、クローディアはカクン、と脱力し項垂れた。俺はヤンナを見る。ヤンナはクローディアを見つめながら、解説した。
「彼女の髪を利用して、原初呪術を行いました。この人形は彼女自身。釘で頭部を打つことで、彼女の意識を抜きました」
そして、と言ってから、ヤンナはもう一度釘を打つ。コン、と音がする。
「これで、ここまでの対話の記憶も消えました。恐らくこのやり取りについては『秘密の女王』によるものだと誤認してくれるでしょう」
「……ヤンナ、やるね。見直したよ」
「準備もなく、ヤンナはこんな危険なことに、ゴット様をお連れしたりは致しません」
俺の褒め言葉を受け取って、ヤンナは僅かに照れながら断言した。それから、二人揃って真面目な顔になる。
ヤンナのお蔭で、今後にかかわる情報を無事に手に入れられたのは大きい。特に今回のような件だと、ゲームで知らなかったことだけに、対策に時間が要る。
「まさか装備を漁るだけのつもりだった大図書学派に、こんな秘密が眠っているとは」
本来のシナリオなら、別方向におぞましい秘密を知ってしまい、その黒幕たるクローディアを倒す流れになるのだが。
フェリシー。思えば、彼女ほど謎に包まれた少女もいない。
より深くまで調査したいところだが、正直今は準備が足りない。ただでさえ俺たちは、今は普通にここに来るだけでも排除されかねない立場だ。
幸いにして、今回の潜入は大図書学派参加の前準備を兼ねている。ちゃんと派閥に参加が決まってから、信用を稼ぎつつ、調査を進めた方が安全だろう。
俺は学派長を見る。クローディア学派長は、机に向かったまま意識を落としている。それは傍から見れば、突っ伏して寝ているのに近い。怪しむ人間はいないだろう。
とすれば、最後に今回の本丸を落として、一旦はこの潜入デートを終わりとしてしまおうか。
「ヤンナ、他はもう十分だから、さっさと目当ての物を確保しに行こう」
「分かりました。最期まで、ヤンナはお供いたします」
「何かさいごの言い方に含みなかった?」
「いえ?」
そんなことを言い合いながら、俺たちは学派長の研究室を後にする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます