第82話 森の賢者とその長の魔女
皇帝の無茶振り裁判が終わって解放された後のこと。
帰宅に揺れる馬車の中、俺はスノウとヤンナの二人に尋ねていた。
「っていうか、陛下の言ってたドロシー婆さんって誰かな」
知らない名前なんだけど。名前の雰囲気もあって、絵本に出て来そうな優しいおばあちゃんのイメージが俺の脳裏に浮かんでいる。
ヤンナは「陛下が親しげに語ることですし、地位のある方です、よね……?」と思案顔。一方スノウは「ああ」と答えた。
「『黎明の魔女』ドロシー様ですよ。おじい様の世代の方ですね。見た目は私たちと同じくらいお若い方ですよ」
俺の思い浮かべていた優しいおばあちゃん像が、ロリババア像に塗りつぶされる。
俺はそこまで言われて、歴史の勉強で少し出てきたかな、と首を傾げる。だがヤンナは相当に思い当たるところがあったのか、絶句していた。
「そ、それ、大戦期の大英雄の一人じゃないですか! ご、ゴット様! すごいですよ! お話しできるだけでもすごいです!」
「いやあの、ごめん、全然話が見えない」
俺は渋面になって、わーっと向かってくるヤンナを押しとどめる。
「大戦期? ってーと……畏怖戦争のことか?」
畏怖戦争。ゲーム内のフレーバーテキストで偶に書かれる、数十年前に起こったこの世界初の世界大戦。匂わされるくらいだから、詳しくは把握していないが。
ヤンナは頷く。
「はいっ。畏怖戦争ですね。と言っても、教科書にも多くは書かれず、当時の生き証人のはずの方々はみんな口を噤みますから、よく分からないのですが……」
それでも、とヤンナは言葉をつなぐ。
「それでも、恐ろしい大戦だったと聞きます。例えば大陸が半ば両断されたとか、世界人口の一割が蒸発したとか、世界文明が数世紀進んだとか……」
「いやいや、それは盛りすぎじゃないか?」
俺が苦笑気味に言うと、スノウが首を振った。
「いえ、それ全部本当ですよ。大陸の両断はおじい様がやったことですし、文明が数世紀進んだのはそれこそ『黎明の魔女』様の所業ですし」
「……マジ?」
「マジです」
「やば……」
俺、絶句である。何が一番やばいって多分本人に話を聞いてそうな空気感が一番やばい。そうかスノウのおじい様って『殴竜帝』か。当事者じゃん。
―――ブレイドルーンはよくできたゲームで、歴史などもちゃんと存在する。かつてはこんな事があったよ、というエピソードがフレーバーテキストで読めるのだ。
中でも最も有名なのが、『殴竜帝』ディエゴだ。最強の肉体を持った大英雄にして、先帝陛下。DLCで戦えるんじゃないか、という噂はよく聞いた。
まぁ俺DLC発売前に転生したけどな! 超悲しい。
だから、ふわっとした範囲でいくつか話は知っている。
―――畏怖の時代、というのはひどい時代だったらしく、恐怖と畏敬でもって語られる時代なのだという。
端的に言えば、人魔問わぬ化け物どもの食い合いの時代。
第一次世界大戦、と表現されるほどのその戦争―――畏怖戦争は、強すぎる力を持った個人同士の戦争と、その余波による被害でもって語られる。
例えば、先帝、『殴竜帝ディエゴ』。
かつて存在したという、建国時の英雄『殴竜公シグムント』の血を引く、皇帝にして大英雄だ。拳一つで空を薙ぎ、恐ろしい龍を腕力でねじ伏せた。
対するは魔王軍で最も恐れられたのが『災厄の龍ジルニトラ』。
魔王の王配にして、最も新しい古龍。放つドラゴンブレスは何物にも阻まれず、大地を焼けばその閃光は人間界を貫き地獄まで達したという。
で、肝心の『黎明の魔女』とは何者か?
「『黎明の魔女』ドロシー様は、大科学者です。彼女の頭脳には、学問の神すら敵わない、と言われています」
スノウは語る。
「世界初の核爆弾の開発、虚数の発見、人工知能の開発、などなど。たった一人で、時代を動かすような発明と発見を繰り返している人です」
「……え? ヤバくね?」
俺この世界のこと中世ヨーロッパ風だと思ってたんだけど、言ってる内容がそのレベル感じゃない。核て。虚数て。人工知能て。
「おじい様曰く、『今は機械学習なるものに没頭している』とのことですが……何でしょうね、機械学習って。そもそも機械って何ですか? 水車?」
「あっ、やばいわ。それヤバイ。機械って何? って時代で一人だけ機械学習は本気でヤバイ」
一人だけ生きてる時代が現代地球じゃんそれ。機械学習に関してはまだ現代の地球でも発展途上だぞおい。
俺は段々恐ろしくなる。今の話でもう意味が分からないレベルの天才だと分かってしまったからだ。やばいでしょこんなの。何でファンタジー世界で一人だけSFしてんだよ。
だが、一番怖いのはここからだ。
「……で、その『黎明の魔女』様に、何で俺は話を通されるんだ?」
「『黎明の魔女』ドロシー様は、『森の賢者』の総長ですから」
スノウの返答に、俺は「ああ……、なるほどな」と納得した。
「帝学院で学年成績トップを取ると、大図書学派からの招待状が送られる。その大図書学派は、『森の賢者』の下部組織だから、把握される、って話か」
大図書学派は知性と知識の派閥だ。魔法全般の研究機関。成績がいいと目をつけられる。その上位機関が『森の賢者』。そのトップが『黎明の魔女』ドロシーということなのだろう。
スノウは頷き返して言った。
「そういうことでしょうね。それにしても、鼻が高いですよゴット。もっと功績を上げていきましょうね!」
「承認欲求に目がくらんだ顔してんね」
俺がスノウの鼻先をピンと指ではじくと、スノウは「あうっ」と前のめりから背もたれに倒れる。ほとんど痛くもないだろうに「ひどいですよ、ゴット!」と涙目だ。
俺はそれに肩を竦めてもう一つからかおうとする。だが、寸前で気づいて止まった。
じっとりした表情で、ヤンナが俺とスノウを見ている。
「……ヤンナさん?」
「……ゴット様と殿下、いつの間にかとても仲良うおなりましたね……」
「ひゅ……」
俺はかすれた呼吸音を漏らして背筋を伸ばす。一方スノウは空気が読めないのか何なのか勝ち誇った。
「でしょう!? そりゃあ、あの魔王討伐の裏で親睦を深め合いましたからね!」
「……そうですか……」
ヤンナの目からハイライトが消える。あーこれマズいね! マズいことだけ分かるわ! フォロー差し込んでどうにか!
と思っていたら、スノウがトドメを刺した。
「やっぱり? 私は未来の正妻ですから? こういうちょっとした触れ合いで仲の良さみたいなのが出ちゃうんですよね~! ……そういえば、さっきのヤンナ、可愛かったですよ」
ぷふっ、とからかうようにスノウは笑った。
「とってもとっても、―――初々しくて♡」
「殿下! お覚悟!」
「キャー!?」
飛び掛かったヤンナに、スノウはもみくちゃにされる。幸いにして武器など本当に危ないものはヤンナの手の中になかったので、俺は手出しをしないことにした。
「ご、ゴット! た、助け、何で腕組んで静観の構えなんですか!」
「スノウが悪いからだろ」
「えぇっ!?」
「成敗っ!」
「キャー!」
スノウはヤンナにトドメを刺し返されて、馬車の中で静かに息絶えた。俺は手を合わせて合掌していると、ヤンナがその手を掴んでにっこりと笑う。
「ゴット様、……これで、二人きりですね♡」
「……ソウダネ」
やっぱスノウに加勢すればよかったかもしれない。後悔先に立たずな一幕だった。
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