結末、そしてその先……

 十一月三日、文化祭当日。僕は昼から、美術部の作品を展示している教室へ行った。美術部の展示を見に行くなんて初めての事。ある写真の前で立ち止まる。いや、写真ではない、鉛筆画だ。作者は当然、渡辺彩子。彼女はもういない。数日前の月末に転校していった。その作品は昼休みの教室の風景。鮮明な白黒写真のようなその絵には、誰が誰だかはっきり分かるクラスメイト達が描かれている。信じられない描写力。でも、空想画だ。そう思ってしまう。詰襟の男子生徒がいるわけではない。僕と松嶋純子が机を合わせて楽しそうに給食を食べている。こんなことは未だかつてない。こんな有り得ないシチュエーションを描くなら、自分も登場させればいいのに。楽しい昼食の空気が溢れ出すその教室の中に、渡辺彩子本人はどこにも描かれていない。

「これはないよね」

横に松嶋さんが来ていた。

「だよな」

「一緒に食べることはあってもこんなに笑ってるってのはないわ」

一緒に食べるのはありなのか。

「どうせなら彩子も混ざればいいのに」

さらにそう言う松嶋さん。

「だよな」

僕は同じセリフを返した。すると松嶋さんが手に持っていたスケッチブックを差し出してくる。

「これ、彩子の」

条件反射のように受け取る。

「あんたがこの絵を見に来たら渡してって言われてた」

そう言って彼女は離れて行ってしまう。僕はその場でスケッチブックを開く。何枚かめくったところで手を止める。詰襟の男子生徒とセーラー服の女子生徒が、立ち話をしている写真のような絵。僕はこれを見たんだ、夏休みが開けたすぐ後に。そしてその頃から僕は、このセーラー服の彼女を見かけるようになった。


 山中さんを残して図書館を飛び出した僕は学校に戻った。学校の図書室で確認したいことがあった。でも下校時刻をとうに過ぎていて入れない。僕はノートを出して書き取った新聞記事を見る。そして記事に記された事故現場に向かう。校門を出て学校沿いに左へ。そして学校の塀が途切れる四つ角、そこが事故現場。そこにある歩道は彼女がいつも立っているところ。誰かを待っているところ。今日も何時間か前までここに彼女は立っていた。

 もう三十メートルほど行ったところにあるタバコ屋さんがまだあいていた。何を思ったわけでもないけどそこに行く。そして中にいた年配の女性に尋ねてしまう。

「二十四年前にそこであった交通事故を知ってますか?」

「三人亡くなった事故?」

そう返ってきた。

「そうです」

「もっと早く歩道が出来てたらね、かわいそうに」

「どういうことですか?」

女性は店から出て来て歩道を指して言います。

「この歩道を作ってる工事中だったの。この歩道があれば轢かれることもなかったのに」

「そうだったんですか」

歩道と車道を分ける柵がしっかりつけられた、今の歩道を見ながら僕はそう言いました。

「あの子たちはいつもあそこの角で待ち合わせして、一緒に帰ってた」


 翌日の昼休み、給食の配膳中に僕は図書室に向いました。探すのは過去の卒業アルバム。一般の書庫にはないので図書室の先生に頼まなければならない。事故の年度の卒業アルバムを見たいとお願いして出してもらう。閲覧エリアのテーブルに着いて最初に開いた三年一組の集合写真。女子生徒は水色に紺のラインのセーラー服を着ている。男子生徒は詰襟と袖口にラインの入った学生服。思った通り、この学校の制服は今と違うものだったんだ。胸が苦しくなってくる。

 昨日図書館で読んだ、地元紙の特集記事の記述が思い出される。

『工事現場に乗り上げた事故車両が吊り上げられると、折り重なるように倒れた制服姿の男女が現れました。既に息がないことは明らか。血に染まった女生徒の襟は、ほんの一部分にしか本来の鮮やかな水色が窺えない』

手が震えてきた。その震える手でページをめくる。二組の集合写真。右上の丸の中に男子生徒の顔がある。それは知ってる顔。鉛筆画で何度も見たことのある顔。名前は記事にあった男子生徒と同じ。もうこれ以上見たくない。見なくてももう分っている。なのに手が動いてしまう。三組の右上に、僕が恋した彼女の笑顔がありました。涙が溢れてきました。


 図書室を出て校庭へ。校庭に降りる階段に渡辺彩子が座ってた。手元の絵を見ると描きかけだがいつもの顔がある。黙って見ていると振り向いて話し掛けて来る。

「女の子、いる?」

この問いは本来怖いもの。大体なんで僕に見えていると知っているのか。でもなぜか普通に返していました。

「ううん、放課後にしか見かけない」

そう返しながら周りを見回して驚いた。僕たちがいる階段から少し離れた別の階段に、校庭を見ている彼女がいた。校内で見かけるのは初めて。

「いや、そこにいた」

そう笑顔で言ってから渡辺さんを見ると、彼女も笑顔。初めて見る笑顔かもしれない。彼女の手元には校庭でキャッチボールをしているような彼がいる。そう、向こうで彼女が見ている彼の姿のよう。

 渡辺さんはきっと一年の時に彼と出会い、それから片思い。僕はまだ一か月ほどだけど、この先何年片思いするんだろう。でも、幸せな気分。彼女もそうなのだろう。


 十年後の十月二十五日。僕は新聞部の教室から外を眺めている。後ろでは生徒たちが、文化祭に出す掲示物のことで話し合いをしている。角の歩道を見る。セーラー服の少女はいない。小さな花束があるだけ。今朝、登校前に僕が供えたもの。あれ以来、この町を離れた大学の時以外は毎年供えている。そこに女性が近寄る。長い黒髪の女性。僕が供えた花の横にその女性も花を供える。去年も一昨年もそうだった。その女性は渡辺彩子。十年前のあの日以来話はしていない。そしてこれからもないだろう。でも、あの一度きりの笑顔は、はっきり覚えている。

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歩道に立つ少女 ゆたかひろ @nmi1713

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