歩道に立つ少女

ゆたかひろ

発端

 渡辺彩子が窓の下に見えた。十月に入ってもまだまだ暑い日が続いている。なのに彼女は冬の制服をきちんと着て日差しの中、校庭横の校門近くに座っている。校門への階段べりに腰掛け、スケッチブックを開いている。文化の日に行われる文化祭。美術部員としてそれに出す課題でも描いているんだろうか。彼女は鉛筆で写真のような絵を描く。この中学での三年間、僕は彼女とずっと同じクラスになった。一年の時、隣の彼女が授業中に絵を描いているのを見た。授業が終わった時覗き見たその絵は、とんでもない出来栄えだった。ノートに白黒の写真が印刷されているような感じ。教室の窓から見える風景がそのままそこにあった。でも、そこに描かれた男子生徒は現実にはいない。表情まではっきり描かれているその男子生徒は、詰襟の制服を着ている。僕たちの制服は男女共にブレザーだ。それ以来時々覗き見る彼女の絵にはいつも彼が登場している。空想は時には彼だけではない。校内の風景が違う時もある。グランドの隅に、実際にはない倉庫のような小屋があったり。逆にあるはずの校舎がなかったり。空想の彼のための背景なんだろう。

 そう、彼女自身が空想の中にいるような奴だ。ちょっと普通じゃない世界の中にいるみたい。社交的でもなく、クラスの輪に積極的に入っても来ない。避けている風ではなく、入れない感じ。対人スキルがないって言うのかな。なので、いじめられているわけではないけど陰にいる。三年になるまではクラスに親しい友達がいたように見えなかった。三年になった今年は、クラスに彼女と同じ美術部の松嶋純子がいた。同じ部活だけあってクラス内でもよく二人でいる。でも、この松嶋純子も社交性があるとは言えない。美術部員ってこんな奴ばかりなのかと思ってしまう。ただ、彼女よりはまし。話し掛けられてもろくに言葉が返せない彼女とは違い、短いながらも言葉を返す松嶋さんとは会話が成立する。

 彼女、彼女、と言ってしまったけど、僕の彼女ではない。断じて気があるわけでもない。空想の中にいるような奴に興味はない。じゃあなんで彼女の事ばかり話しているのかって? それは今、僕が見ている相手との線上に彼女がいただけ。僕が本当に見ていたのは彼女のもっと先にいる彼女。学校の塀の外の路上の角に立つ彼女。水色に紺のラインの入ったセーラー服を着ている髪の長い彼女。一か月くらい前から見かけている、同い年くらいの彼女。後ろ姿は長い髪のせいか、おとなしいお嬢様のように見える。でも正面を向いたときには、活発そうなかわいい顔が見れる。彼女の着ているセーラー服は見かけない。どこの学校かは分からないがいつも今いるあたりの路上にいる。誰かを待っているように。いや、この学校の誰かを待っているんだ。僕はその誰かを確認したくて、見かけた時はずっと注意を払っている。相手が女子であることを祈りながら。でも、ちょっと目を離したすきにいつもいなくなってしまう。今日こそは絶対に見届けてやる。

 そう意気込んでいたのに声を掛けられてしまった。

「阿部君、阿部君だけまだ何も出てないんだけど、ちゃんとやってる?」

声を掛けてきたのは部長の山中まなみ。ここは新聞部が使っている教室で、僕は新聞部員。新聞部も文化祭に向けて掲示物の作成をしている。先月発生した通学路での交通事故。軽傷ですみはしたけど、この学校の生徒が巻き込まれた事故。それを受けて過去に起こった通学路での交通事故を特集することになっている。私立のこの学校は電車通学の生徒が多い。駅から学校までの通学路は、幹線道路をつなぐ抜け道が何本か横切っている。なので数年に一度くらいのペースで事故がある。ほとんどは怪我だけの事故だけど、死者の出た事故もある。その死亡事故の一つが僕に割り振られ、記事を書くように言われていた。

 一生懸命言い訳を考える。まだ何も手を付けていないことへの言い訳ではない。聞こえなかったふりをして、見続けるための言い訳。

「図書館行って当時の新聞記事全部見て来るとか言ってたけど、行ったの?」

また山中さんの声がする。

「ねえ、聞いてる?」

すぐ横にまで来られてしまった。聞こえないふりはもうできない。

「いや、まだ行ってない」

僕は声だけ返す。見てないけど怒った顔が浮かぶ。そんな顔よりセーラー服の彼女の顔を見ていたい。彼女は鞄から出したピンクのカバーが付いた分厚い手帳のようなものを開いている。時々それを見ている。誰が彼女を待たせているのか知らないけど、さっさと来いよ。でも男は出て来るなよ。

 山中さんは傍に立ったまま何も言わない。僕は無言の圧力に負けて彼女の方を見てしまう。やはり怒った顔。

「まだ一か月近くあるんだからいいだろ」

「いいよ、ただ、今から聞くことには今答えて」

彼女は表情を戻してそう言いました。

「なに?」

「まず、写真載せる? 載せるならどのくらいの大きさで何枚?」

「……」

「記事はどのくらいのボリュームになる? 何文字くらいを何段組む?」

「……」

何も手を付けていないのに答えられるわけがない。事故の年月日と、生徒二人を含む三人が亡くなったとしか聞いていない。どんな事故だったかも知らないのに想像でも答えようがない。

「掲示はA1サイズだけど文字数はいつもと同じ。そして四ページって決まってる。早めに段組みしていかないとあとで困るんだけど、初めてじゃないんだから分かるよねぇ」

僕は目を逸らして窓の外をまた見る。心の中で大きく溜息。セーラー服が見えない。また見逃してしまった。

 僕は席を立って鞄を持つ。

「ちょっと答えてよ」

山中さんがそう言ってくる。

「今から図書館行ってくるよ。返事は少し待って、早めに決めるから」

山中さんは何か考えてる顔になるけど何も言わない。なので戸口に向かう。

「区立図書館?」

山中さんの声が背中に届く。

「だよ」

僕は戸を開けて廊下に。戸を閉めているとまた声が来る。

「私もあとから行くから待っててよ」


 僕はあることを推理していた。セーラー服の彼女はこの学校の生徒ではない。近くであの制服を見かけたこともない。と言うことはここまで電車で来ている。地下鉄の駅まで行けば会えるかもしれない。なんだかその可能性は高いと思えて来る。急いで靴を履き替え校門へ。階段で渡辺彩子がまだ絵を描いている。手元の絵を覗くと校門周りの風景。それと空想の彼氏。詰襟部分と袖口にラインの入った学生服姿。軍服みたいに見える。横目でそれを見て通り過ぎました。

 結局駅までの道のりにも、駅にもセーラー服姿は発見できず。それでも地下鉄に一駅乗って、ちゃんと図書館に来ました。カウンターで古い新聞を探したいと告げると、縮小版のコピーを冊子にして集めたコーナーがあると教えてくれる。そのコーナーに行くと全国紙が二社分と、地元紙一社分のファイルがズラッと並んでいる。事故は二十四年前の日付。背表紙でその日付が入っているファイルを探して三社分取り出しテーブルへ。最初に手に取ったのは全国紙のもの。

 記事によると事故は二十四年前の十月二十五日、午後四時半頃。前方不注意の乗用車が路肩の工事現場に突っ込んだもの。路上にいた警備員の男性と下校中の中学生、男女各一名の三人が巻き込まれ即死。三人の氏名、年齢も載っている。亡くなった中学生二人の所にはうちの学校名と、三年という学年も記載されていた。記事の内容を抜粋して僕はノートに書き写す。

 次の全国紙の記事を開いていると山中さんがやって来ました。

「どう? 載ってる?」

死亡事故なんだから載ってるに決まっている。そう言う顔で僕は、書き写したノートを彼女に見せながら次の記事を読む。あまり変わらない内容。死亡事故なのに記事が小さい。事故の状況も最小限にしか記されていない。こんな記事から何を書けばいいのか悩んでしまう。顔を上げると山中さんと目が合いました。

「こっちも似たようなことしか載ってない」

「そう、これじゃ大したこと書けないね」

山中さんも同じ感想だった。残るは地元紙の記事。がっかりだった。この前日、地元代議士の収賄が明らかになり大騒ぎだった様子。その記事に押し込められて小さな記事にしかなっていなかった。落胆しながらページをめくっていると、三日後の土曜日の一面に目がいきました。

『特集 繰り返される通学路での事故』

特集記事のページを探す。そこは渾身の特集ページでした。見開き全てが特集記事。その三分の一くらいが僕の探していた事故のことでした。そしてその記事を読んでいくと気になる記述が。気になって気になってどうしようもなくなってくる。

「悪い、この記事写しといて」

僕は山中さんにそう言って、ノートと鞄を持つと図書館を出ました。山中さんは何か言おうとしたようだけど、図書館の中では大きな声は出せない。すぐにその場を離れた僕には声が掛けれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る