会えない姉【終】
「着いたよ」
そう言いながら、母はすごく機嫌が悪そうだった。
「どうしたの?」
聞いてみると、母は言う。
「あんたが寝ちゃったせいで、私が紬をあやさなきゃいけなくて、大変だったじゃない! 後ろの席の客に、何度も席を蹴られたり怒鳴られたりしたのよ!」
母は沸騰したやかんみたいに赤くなっていた。
——でも、それは母親の仕事じゃないか。
思ったけれど、口に出さなかった。煙草も吸ったみたいだったけど、本数が減っているだけで、吸い殻はどこにも見当たらなかった。
「吸い殻は?」
聞くと、母は無言で紬の方に首を動かした。
紬を見ると、口の中いっぱいに吸い殻が詰まっていた。紬は、泣きたいのに泣けないのか、赤い顔をして嗚咽していた。
「最低!」
私は思い切り、母を殴打した。一瞬怯んだ隙に、もう一発殴って、顔がパンパンに膨れ上がるまで殴った。近くには、さっきの添乗員の女が倒れていた。私が寝てる間にまた、母と揉め合いになったのだろうか。ドアの方に目をやると、閉まる寸前になっていた。紬を急いでおぶり、客のいない車内と、母、添乗員の女を残して新幹線を駆け降りた。私も罪を犯してしまったが、その罪ごと見送ってしまおうと思った。紬の口から吸い殻は、雪のように舞った。遠ざかる新幹線には〝回送〟という文字。
駅の中のホテルにチェックインした私と紬は、溜め息をこぼしながら、考えていた。これから、どうするべきなのか。夕日がそろそろ沈んで、夜になろうとしていた。何も考えたくなくて、ベッドに倒れ込んだ。包まれるような感触に、思考が解けていく。そして私は、最後の夢を見ることになる。
気球には父が乗っていた。そして、目を細めて笑う。
「僕に会えて幸せかい?」
そう訊ねる父の顔は、幸せそうだった。空を見上げると、マグマみたいにドロドロで、赤い空が広がっていた。
「ここはどこ?」
私が訊ねると、父は答えた。
「地獄だよ」
「なんで?」
「自殺してしまったからだよ」
この会話をしている時、その言葉の一つひとつが反響して、うねりを起こしていた。下を見下ろしても、やはり空と同じ色のマグマがあって、焼けるように熱かった。
「もう、しんどいかい? 無理しなくてもいいんだよ」
父がそう言って心配してくれるけど、私は父とずっと一緒にいたかった。
「全然大丈夫!」
けれど、紬が泣き出して、地鳴りが酷くなってきた。
「もう帰っていいよ、お父さんは詩と紬の声が聞けて良かった」
別れを匂わせる言葉を聞き、私は泣きそうになる。
「離れるなんて嫌だよ、帰りたくない!」
それを伝えきる前に、うねりが酷い波が、私たちを飲み込もうとする。
「二人がそれで良いなら、ずっと一緒にいよう!」
父が泣きそうな顔で言うと、マグマが私たちの気球を溶かし始める。そして、最後に3人で飲み込まれる寸前——。
「ねぇ、お母さんはどこ?」
「お母さん? なんのことだい?」
父が言うと、マグマの中、3人で解け合った。
母はもう、いなかったことになっていた。
けたたましい音で目が覚めると、ホテルの周囲が赤く染まっていた。鈴虫の夏らしい鳴き声をかき消し、サイレンが響いていた。ホテルの周辺はパトカーで取り囲まれ、私たちはもう逃げられなかった。けれど、地獄も共にする約束をした私たちに怖いものはなかった。サイレンに重ねるようにして、私は好きな歌を歌って踊る。数秒後、警察が押し入ってきた。私は笑顔で身柄を拘束され、紬とは離れ離れになった。けれど、私たちはきっと大丈夫。どこかで会えるはずだと、そう信じて疑わなかった。だけど……。
脳裏に過った、実家の物置になっている部屋やお絵かき帳にあった姉の存在——。今まで顔に出さないように心掛けていた思いが、どっと溢れ出す。
「ねぇお姉ちゃん……、私のことを迎えに来てよ……」
最後の方はほとんど、掠れて声に出せなかった。
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