薔薇園の殺人事件

鍋谷葵

薔薇園の殺人事件

 誰も知らないことが起きました。

 それは誰も知らないのです。けれど、貴方は知っています。いや、知ることが出来ると言った方が正しいでしょう。貴方がこれから体験することがそうなのですから。


 ◇◇◇


 メイドの証言

 

 あの日はそうねですねえ、特に変わったことはありませんでした。

 というよりも、あんな場所で起きたことなんて知ることが出来ませんよ。あの部屋は旦那様と奥様、そしてご子息様だけが入室を許可されている部屋なんですから。

 え? それでも、その日のことを教えてほしいって?

 分かりました。それじゃあ、意味が無いと思いますけど、覚えている限りのことは話させてもらいます。

 あの日は春にしては寒い夜で、夜空は雲一つなく綺麗でしたね。ただ、そういった良い日でも私の配属はキッチンで変わりませんから、私はキッチンで夕食の後片付けをしていましたよ。

 まあ、その日はさっき説明した通り寒くてお皿洗いが辛かったです。けど、幸いなことにその日は旦那様は食事を召し上がらなかったから、食器を洗う数が少なく済んだんですよ。ええ、たった数枚でも洗う数が少ないと結構楽になるものなんですよ。

 そうしてお皿洗いが終わったら、私はいつも通り使用人室に向かいましたよ。使用人室は、薔薇園の真隣りの部屋です。そうそう、そこです。

 そこで私はいつも通り、他のメイド仲間とおしゃべりしていたんですよ。その時ですかねえ、突然、物音がしたんです。確か夜の十時くらいだったと思います。ここで私たちはマニュアル通り、薔薇園に出たんです。

 ほら、ここ山の近くだからリスとかムササビだとかが薔薇園を荒らすことが結構あるんですよ。だから、私たちは普段から獣を追い出す仕事をしてて、その時も、さてのその仕事をしようと思って外に出たんですよ。

 でも、その荒れ用からどうにも獣って感じじゃなかったんですよねえ。まあ、見てわかる通り薔薇が荒らされていたんですよ。それも踏み潰されるようにですね。

 それで私たちはおっかなびっくりしちゃって、急いで警備員さんを呼びましたよ。そのあとは、警備員さんの言うことに従って私たちは使用人室に戻って寝ました。

 これでその日は終わりましたねえ。

 けど、朝目覚めたらまさか旦那様が喉を切り裂かれて殺されているなんてねえ……。

 レンガの壁で囲われているのに、物騒なこともあるんですねえ。


◇◇◇


 警備員の証言


 ハイ! 私は当日正門の警備にあたっていました。前任の警備員とちょうど入れ替えの日でして、右も左もわかりませんでしたが、今まで通りきっちりきっかり居眠りせず、正門の守衛として仕事をしておりました。

 その日の出来事ですか?

 ええ、もちろん覚えていますよ。

 さっきも言った通り、私は正門の警備をしておりました。その日は丁度、寒くてですねえ立っているのすら堪えましたよ。けれど、そこは仕事だと割り切って警備にあたっていました。

 自分で言うのも恥ずかしいですが、その日は特に冴えていましてね、私は特に警備に力を入れていましたよ。あちらこちらをキョロキョロと見まわして、茂みに何か動きが合ったらそれはもう大きい声を挙げたりしていましたよ。

 なんです? それって効果があるかって? ええ意外とあるんですよ。大体、悪い奴っていうのは臆病ですから、大声をあげれば退散するものなんですよ。もっとも、その日は正門から正々堂々と侵入してくる奴はいませんでした。

 けれど、その日、薔薇園で問題が起こったんですよ。

 それでメイドさんたちから応援要請がありまして、私は急いで薔薇園に向かったわけです。

 ええ、薔薇園に向かいますとメイドさんたちがあたふたしていました。あの肝っ玉のメイドさんたちがです。それで事情を聴きますと、どうにも薔薇が踏み荒されているというわけです。それもムササビだとかリスだとかの小動物ではなくて、大型動物の様な足だと言うんです。

 四方を高いレンガの壁に囲まれている屋敷に、そのような大型動物が侵入するとは思えませんでしたが、確認してみると確かに大きな足跡で薔薇が踏み潰されているんですよ。これに私も驚きました。

 ですが、私も警備員としての仕事があります。ですから、私はとりあえずメイドさんたちは使用人室に戻れと言い渡して、その足跡を追いかけました。ええ、小動物と大型動物では訳が違いますからね。

 そうして足跡を追いかけて行くと、旦那様の書斎に行きついたんですね。

 ええ、旦那様の書斎は一階の正門から一番離れているところにあります。そうです、そこで足跡は丁度終わっていたんです。

 私はまさか旦那様に何かあるのかと思って、急いで旦那様の書斎の窓に注目したんです。ですけど、窓は全く手を付けられて無かったのです。そうです、人が触れたとか、動物が触れたとかそういった形跡は一切なかったんです。

 どうしてそれが分かった?

 ああ、それはですねこのお屋敷に勤める庭師が少々さぼり癖のある奴で、滅多に旦那様の書斎裏のところを掃除しないってメイドさんたちから聞いていたからですよ。ここの庭師は、薔薇園だとか木だとかを整える技量はピカイチらしいんですが、その掃除をさぼる癖があるらしいのです。そんな庭師ですから、正門から一番離れた旦那様の書斎の窓なんて掃除しないらしいのです。

 ですから、それから鑑みて形跡が無いと言ったんです。

 ただですね、不思議なことに旦那様は倒れていたんです。そうです、頭を撃ち抜かれてです。


◇◇◇


 鼠の証言


 ええ、あの日もあっしは梁の上を駆け巡って何か食べ物を探っておりましたよ。そうです、梁の上をです。

 なんです?

 普通に床の上を歩けばよいと? 

 いえいえ、それは未熟者の鼠がすることでございますよ。ほら、鼠というのは元来厭われている生き物でしょう? ですから、そんな奴らを捕らえる罠なんて床を見渡せばそこら中にあるわけですよ。

 ですから、一流の鼠は決して鼠捕りのある床を歩かないんですよ。

 はあ、まあ人間様にこんなことを語ったって仕方がないことは知っておりますよ。ですから、旦那が望んでるあの日のことをお話ししましょう。

 ええ、あの日はかなり冷え込んだ日でしたよ。普通は暖かい梁の上に居ても、結構冷えたものですよ。

 ただし、そんな寒さに物怖じしてちゃ、この稼業もやっていけません。ですから、あっしは普段通り、梁の上を器用に移動してあちらとこちらを行き来してやしたよ。

 もっとも、その日は残飯が少なかったもんですよ。

 まあ、それで、物足りなかったわけです。それでですね、あっしはこの家の主様の書斎に行ったわけです。

 どうして書斎に?

 ああ、簡単なことですよ旦那。ここの家の主様は、菓子が大好きでしてねえ、よく書斎の棚にクッキーだとかチョコレートだとかを隠しているんです。

 これは秘密ですぜ。他の輩見つかったら一たまりもないですからね。

 まあ、それで上等な菓子を求めて旦那様の部屋に行ったわけです。

 けど、まあ、天井裏の秘密の通路を通ってびっくりですぜ、いざ出てみるとそこには主様の死体があるわけですからねえ。

 どんな様子だった?

 そりゃあ、旦那、みりゃ分かるでしょう。胸をぐっさり、ナイフで一刺しですよ。争った形跡も見た限り無かったわけですから、あれは誰か懇意の人に、油断してるところを刺されたんでしょうな。

 これでこの家はあの息子が継ぐんですかねえ……。


◇◇◇


 息子の証言


 ええ、僕は見ましたとも、僕の愛する父親が殺される瞬間を!

 あの日、僕は夕食を食べ終えるといつも通り二階の自室に籠って勉強をしてました。

 勉強熱心? 冗談は止してください。今はそれよりも僕の話を聞くことが先決です。

 そして、二十二時を回ったころ、僕はそういえば父親からプリンキピアを借りていて、返すのを忘れていたことを思い出したんです。

 思い立ったが吉日ということで、僕は机の上に置いていた本をもって一階に下りました。

 するとですよ、何やら騒がしかったんです。専属の執事に聞く限り、どうやら大型の動物が忍び込んだらしく、メイドが警備員を呼んで、そうやって起こった騒動だったんです。

 当家自慢の薔薇園は、度々動物に荒らされることはありましたけど、大型の動物に荒らされることはこの時が初めてでした。

 ですが、その騒ぎ以上に父親の機嫌が気がかりでした。当家の薔薇園を造園したのは、母親ではなく、父親でしたから。つまり、父親自慢の薔薇園だったわけです。狐狸に荒らされるだけでも、少々機嫌を損ねる人が、大型の動物に薔薇を踏み潰されたと知ればいったいどのように思うでしょう。

 ですから、僕は父親の機嫌を恐れて書斎に行くことを恐れたんです。

 けれど、その次の瞬間です、パンっと銃声が聞こえたんです。ええ、確かに父親の書斎から聞こえました。

 例え、僕が父親の機嫌をうかがって本を返すのすら恐れる弱虫でも肉親の危機とあれば体は動くものです。外の騒ぎで銃声に気付かない使用人たちを置いて、僕は父親の書斎に急いで向かいました。

 そして、閉ざされた扉を蹴破るように開けました。

 僕は驚きましたよ。いや、驚いたというよりも憎悪を覚えましたよ。

 最愛の父が、知的で欠点の無い僕の父が銃弾で眉間を貫かれて倒れようとしているんですから。

 僕はアッと叫んで、硝煙臭いが立ち込める部屋に駆け入ると壁にかけてあった先祖代々受け継いできたナイフで、薄らとした煙を吐き出す拳銃を握る奴の胸をぐさりと刺しました。

 今でもその感触は手に残っています。そして、まだ暖かかった父親の感触も……。


◇◇◇


 主人の証言


 私は確かあの日、あの時、書斎に籠って本を読んでいました。

 ええ、私の趣味と言えば読書か薔薇園を眺めるくらいでしたからね。どうしてそれくらいの趣味しか無いかもわかりませんが……。

 何か変わったことですか? 変わったことと言えば、その日はどうしてか体調が優れなくて夕食を取りませんでしたね。どうして体調がすぐれなかった? さあ、私は医者ではないので分かりません。

 もっとも、その日に私は医者のお世話にならない体になってしまうんですけどね。

 はい。それでですね、私は何やら薔薇園のあたりが騒がしさに気付きました。確か二十二時だったはずです。

 普段であれば? メイドたちがすぐに追い払って騒ぎは落ち着くはずなんですがね、その日は中々騒ぎが収まらなかったんですよ。

 ですから、私は不思議に思って書斎の窓を開けたんです。ええ、知っての通り庭師が掃除をサボってましたから窓を開けると木枝と枯れ葉が、ばらばらっと地面に落ちました。ただ、そんなのは外の騒ぎに比べたらどうでも些細なものでした。それですから、私は窓から顔を出して外をキョロキョロと見まわしました。

 しかし、見えるのは明るい懐中電灯をこちらに向けて走ってくる警備員だけでした。

 何かあったのかと思って、私は警備員に声をかけようとしたんですが、その瞬間、書斎の扉が勢いよく開きまして、私の注意は書斎に向いたんですよ。

 そのあとです、そのあと私はナイフを私に振り下ろそうとする息子を見ました。

 そこで私の意識は遠のきました。


 ◇◇◇


 これが誰も知らないことです。

 そして真相は誰にも分かりません。

 しかし、事実があるとするのならば、あなたがこれを読んだということ、そしてこの物語が誰かの手によってつくられた小さな箱だということです。




 





 

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