ドレミの日
~ 六月二十四日(金)
ドレミの日の日 ~
※
些末なことにこだわって、物事の
本質を見失うこと
「ドッペルゲンガー病……!?」
「怖いよ」
「ちゃうちゃう。ドケルバン病いうねん」
おかしな奴ばかりを集めたクラス。
俺にとって、この評価は絶対なんだけど。
そんな指標に比肩するほどの特徴が。
もう一つ存在する。
「よ、横溝さん……。こんなに可愛いのに、そんなギプスしてたら……」
そう。
このクラス。
女子がみんな可愛い。
「美人が代無しってか?」
「ううん? かっこいい……」
「意味分からんな舞浜ちゃんは」
ばね指とも呼ばれるドケルバン病は。
パソコンのキーボードの使い過ぎで発症することの多い、親指の腱の動きが悪くなる病気。
治すためには、親指を休ませることが必要とのことで。
横溝さんは、手首から指先にかけて。
黒い指ぬきグローブのようなギプスをしているんだけど。
「なんかゆうたって、保坂ちゃん」
「いや。ぶっちゃけ俺も、中二かっこいいなあって思ってた」
「どないやねん」
「拳銃を袖に隠してて、手首を返すとジャキーンって飛び出て来るアレみたい」
「アレ言われてもな」
「あ、あるいは手の甲からナイフがジャキーンって飛び出してきて……」
「甲の側から出てきてどないすんねん。どうやってリンゴの皮剥いたらええんや。無理せんと内側から出てきといて」
猫目で気の強そうな美人さん。
そんな横溝さんは、お聞きの通り。
「なあ、何度も聞くようで悪いけど」
「またそれなん?」
「横溝さんの出身って」
「中学まで葛飾柴又って言ってっぺよ」
「俺が知る限り栃木に葛飾区はねえ」
そう。
お聞きの通り。
方言コスプレ好きという変な子だったりする。
「て、手首……。すぐ治るの?」
そしてさっきまで。
かっこいいだのなんだの言っておきながら。
急に心配顔を浮かべるこいつは。
そんな秋乃の頭を、横溝さんはポンとひと撫ですると。
カバンからノートパソコンを引っ張り出して。
『大丈夫や。医者が言うにはな? 一週間くらいキーボード触らなきゃ治るんやて』
そんな言葉をキーボードで打ち込んで。
文章読み上げアプリにしゃべらせた。
「そ、それなら安心……」
「うはははははははははははは!!!」
秋乃と顔を合わせる度に。
いつもボケやすいネタふりをしてくる彼女ではあるが。
無茶はしなさんな。
「体張るなよ。秋乃、泣いちまうから」
「ほな、保坂ちゃんは泣いてくれへんの?」
「いけずはやめい」
ほんとやめてくれ。
その見事なイントネーション。
京おんなのいけず。
俺はちょいMだから刺さるのよ。
「せやゆうても、どうしても今日中に仕上げなあかんもんがあんねん」
「なにそれ。…………作曲アプリ?」
「あたしな? 栃尾に教わって作曲始めたんやけど、これが偶然WEBでヒットしてな? お誘い受けてプロになってん」
「まじ?」
プロ?
なにそれ。
じゃあ作曲してお金稼いでるって事?
「すげえな」
「凄いことあらへん。楽しいことしてネットにアップしてお金もろて、万々歳ではあるけどな?」
「でも、作曲アプリにキー操作なんていらないだろ?」
「これがいるねんな。左手だけ」
そう言いながら、右手でマウスを握った横溝さん。
流れるようにアプリを操作しながら、あっという間にメロディーを作っていくんだけど。
「うわ。分かったからムリすんなって」
まるでFPSゲーム。
左手五本の指が、ひっきりなしに動きっぱなし。
そうか、文字入力じゃなくて。
操作が特定のキーに割り振られてるんだな。
「それにしても……」
「ああ、あかん! 頭に浮かんだメロディーをな? ノータイムで打ち込んでいきたいんやけど指が間に合わん! 保坂ちゃん、何本か指貸してえな!」
「貸したところで。しかし、かっこいいな」
「まだ言うん?」
「ギプスじゃなくて。曲」
「えっへへへ! ありがとな!」
照れて頭を掻く横溝さんだけど。
いや、ほんと凄いよこの曲。
放課後の教室に残っていた連中みんなが寄ってきて。
発売されたら絶対買うと口々に言うのも納得だ。
「な、なんかね? 夜にみんなでビルの陰に隠れて、大騒ぎしてる気分……」
「そうそう! さすが舞浜ちゃん、分かっていらっしゃる! ほな、ちょこっとサビのとこアレンジしてみる?」
「いやいやいや」
「いやいやいや」
本人保護者。
揃って首を横に振ってはみたものの。
横溝さんは、どうしてもせっかくのメロディーを蛮族に破壊されたいらしく。
しつこく秋乃に勧め続ける。
「うーん。諦めさせるために話題を振るけど……」
「んな正直に言われても」
「よっぽど好きなんだな、作曲。そりゃ指も悪くするわ」
「好き好き! ちょー楽しい!」
「じゃあ横溝さんは卒業したら作曲家に専念するの?」
「いや? まだ決まってないよ?」
え? なに言ってんの?
プロになったんだよな?
「好きだから仕事にしたんだろ?」
「ちゃうよ」
「ん?」
「好きなことしてお金もろてんねん」
「じゃあ合ってるじゃねえか!」
「保坂、なに言ってるのよ」
急に方言コスプレをやめて。
真顔になった横溝さんが。
軽くため息を突いたかと思うと。
こんなことを聞いてきた。
「えと……、保坂はさ。将来どんな人になりたいの?」
おいおい。
それで毎日頭抱えてるの、お前だって知ってるだろ?
「……まだ決まってないんだけど。候補の一つなら、公務員?」
「職業なんて聞いてないって」
「は?」
「そうじゃなくて。お金持ちとか、一日三時間くらいの労働で生きていける人とか、好きな芸能人と会いたいとか、毎日庭いじりできるとか」
ああ、なるほど。
そういうどんな人、ね。
とは言え。
そんなの考えたことねえな。
「…………そういうのは、特に」
「あかんやろ!」
「そうなのか? じゃあ、横溝さんには将来やりたいことあるのか?」
「やりたいこと?」
「ああ」
「そんなの、その時にならなきゃ分かるわけないでしょ」
「な……?」
なにを言ってるんだ。
そう口から零れそうになった言葉を。
俺は呑み込んだ。
一見、おかしなやり取りだが。
彼女の言いたい事が。
もしも俺の想像通りだったならば。
破綻なく筋が通るから。
「えっと……。将来なりたいものと、やりたい事は違うってこと?」
「そう。なんでそんな当たり前な事分からないの?」
「じゃあ、先生がよく言う、自分のやりたい事を仕事にしろってやつは……」
「やりたい事なんて変わるに決まってるでしょ。あたしなら、半年で飽きる」
た……。
確かに!!!
「じゃあ、例えば俺の夢がサッカー選手になりたいってこと自体だったら……」
「なりゃいい」
「でも、俺がサッカーをするのが好きだからサッカー選手になるって言ったら……」
「やめとけ」
なんてこった!
今やりたい事から職業を探していたから。
俺には仕事が見つからなかったんだ。
何になりたいか。
何であり続けたいのか。
俺の場合。
ゴールから考えた方がしっくりくる。
「……師匠!!!」
「なんや急に。気持ち悪い」
「俺、師匠に恩返ししたい!」
「ほなら舞浜ちゃんに曲をいじってもらうよう説得してもろて」
「よしきた! 秋乃!」
「ひうっ!?」
とんだとばっちりだと嫌がる秋乃を。
無理やり椅子に座らせると。
「右手はマウス! 左手をWASDにキーに合わせて!」
「ゆ、指が窮屈……」
「我慢せい!」
「いたたたた。腱鞘炎になった……」
「そんな速攻でドケルバン病になるかい!」
あり得ない言い訳をし始めたんだが。
「これは、違う……。駅向こうに来てる屋台に、帰りに寄らないと治らない病……」
「なにそれ? 何の屋台が出てるんだよ」
「これ」
秋乃は、ポケットを探ると。
一枚のチラシを差し出した。
「うはははははははははははは!!! ドネルケバブ病!」
……そう。
俺はひょっとして。
将来ずっと。
秋乃に、笑わされ続けていたいのかもしれない。
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