小さな親切運動スタートの日
~ 六月十三日(月)
小さな親切運動スタートの日 ~
※
分け隔てやえこひいき無く、
身分、派閥、陣営関わらず
平等に優しく接すること。
「消しゴム、落ちたよ……」
「ありがと!」
「髪に花びらが付いてた……」
「ありがとね!」
みんなは。
暑い日に。
寒い日に。
こんなことを考えたことはないだろうか。
町の全てをドームで包んで、エアコンをきかせて欲しい。
あるいは。
エアコンを背負って歩きたい。
あるいは。
自分の通る道、一歩分ずつ定期的にエアコンが置いてあったらいいのに。
……こんな、バカバカしくも。
誰にでも共感できる願いを。
目の前で。
一人の女性が叶えている。
ただこの場合。
本人が、蒸し暑くなった今日という日を清々しいものに変えているばかりでなく。
「ありがとう!」
「お? サンキュー!」
エアコンの方も。
快適になっているようだ。
「……これは困った、立っていろと言い辛い。保坂、どうすればいいと思う?」
誰もがちょっとしたことに不快感を覚えるほど蒸し暑くなった今日。
みんなの心をカラッと過ごしやすく変えて歩く空気清浄機能付きエアコン。
その商品名は、
彼女の気持ちが善であることは疑う余地もないのだが。
授業妨害というその行動は、悲しいことに有罪だ。
そんな葛藤に、いつもの難しそうな顔をさらにゆがめる先生が。
いつまでも俺をにらみ続けてるせいでここだけ不快指数が急上昇。
ああ、分かった分かった。
こうすりゃいいんだろ?
……しょうがないから。
俺が秋乃の代わりに廊下へ出ると。
笑いで満たされるのどかな教室内。
おかげで俺の心もカラッと晴れたわけだし。
今日の所はこれで良しとしよう。
――先生に指名されて。
英文を板書した帰り道。
秋乃がやり出したのは。
一歩進むごとに一つの親切。
まるで授業が再開できずに困る先生も。
あと少しの辛抱だ。
『おお! 秋乃ちゃん、ありがとなのよん!』
『そのお箸、次に使う前にちゃんと消毒してね……』
「ぶふっ! くっくっく……!」
長い親切ロードの終着駅。
早弁してたきけ子に弁当をしまわせたんだろう。
これでようやく授業開始。
先生もほっとしていることだろう。
……と。
思っていたら。
『立っとれ!』
「ん? ……もう立っているんだが」
俺ならここにいるだろうに。
何だってんだ。
ドアの小窓から教室をうかがってみると。
こちらに向かって来る人影が一つ。
「…………なにやってんだ、お前」
「立たされた……」
それじゃ、おれが身代わりになった意味がないだろう。
文句を言わねばなるまいて。
でも、念のために。
なんで最後に怒らせたのか聞いておこう。
「どうして怒鳴られたんだ?」
「せ、先生が困ってたみたいだから、教卓に戻って何に困ってるかしつこく聞いたんだけど……」
「うはははははははははははは!!!」
助けてあげたいなと。
いつまでもしょんぼりしたままの秋乃だが。
安心しろ。
お前が排除されたことで、先生の心には平穏が訪れてるから。
「他人に言いたくない悩み……、とか?」
「そうだろうな。特に、髪の長い女子には相談したくない類の物だろう」
「あ……。察し」
「そう。もはや彼を救えるのは未来医療だけだ」
勝手に話を捏造して。
肩を震わせて笑いをこらえる俺の隣で。
秋乃は一つ頷くと。
窓から臨むことができる青々とした山に目を向ける。
その表情はフラットだが。
自分の力で何も解決できなかったことを悲しんでいるのだろうか。
「まあ……。全部を救うのは無理だって」
「それはもちろん。……でもね?」
「うん」
「救えるかどうかじゃなくって、親切にすることが嬉しいから。それでいいの」
なるほどね。
改めてそう言われると。
秋乃という人間に合点がいく。
基本的に我がままで。
いくら叱られても自分のやりたい事だけしかしない。
そんなこいつが誰にでも親切なのは。
つまり。
「お前の場合、やりたい事をやってるだけってわけか」
「うん……。先生の悩みも、いつか解決してみせる……」
「それが出来たら、国を一個買えるくらいの富を手に入れることができるぞ?」
「……お金?」
「うん」
「別に、いらないけど……」
改めて。
秋乃という人間性を目の当たりにすると。
すっかり忘れていた優しい気持ちが心に芽生えて。
いつまでもそばにいて欲しいと。
そう感じてしまう。
「だから、あっち側に天秤が振り切れることが無いんだよな……」
「え? 天秤?」
「……何でもない」
好きか嫌いか揺れ動く。
俺の中の秋乃天秤。
今日は、かなり一方に傾くことになったから。
秋乃に頼まれたことでも手伝ってやろうか。
「今日はどうだったんだよ」
「え?」
「親切にしたのに、嫌な思いをしたか?」
「あ、それね。…………今日は、別に」
「なるほど。……でも、さっき自分で言ってたけど」
「うん」
「お前、相手に迷惑がられても関係ないわけだろ? 自分が親切にしたいだけで」
「さ、さすがに迷惑って言われたら止めるけど……。でも、そう言われても嫌な思いはしない……」
「だよな。だったら『親切にしたのに、嫌な思い』って、しないんじゃねえの?」
そうなんだけど。
でもどこかでそう思ったんだよね。
秋乃はもごもごと口にしながら。
頭の左上に視線を投げる。
過去に体験したはずのこと。
思い出せないもどかしさ。
俺なんか、誰かに親切にしたことなんて。
お前と出会ってからしかしたこと無いから。
簡単に思い出すことが…………。
でき…………。
ん?
「あれ?」
「な、なにか思い出した?」
「いや……。なんか俺、その逆の状態を体験した気が……」
「逆?」
「うん。耐え切れないほど嫌なことをしたんだけど、それが誰かへの親切になった……? あれ?」
思い出せそうで思い出せない。
俺も、左上に目を向けて。
過去の記憶を探ろうとしたんだが。
「た、立哉君! だめっ!」
「ぐきっ!?」
顔を両手で掴まれて。
無理やり右へ向けられた。
「いてえよなにすんだ!」
「だ、だって……。また課題が増える……」
「はっ!?」
あ……、危ない危ない。
余計な荷物をもひとつしょい込むところだったぜ。
「な、なんか、ごめんなさい……」
「いや秋乃は全然悪くねえから! むしろ助かった!」
心からそう言ったものの。
直前に声を荒げていたでは真っすぐに伝わらない模様。
秋乃は、いつまでも申し訳なさそうにしているが。
それこそ、親切にしたのに嫌な気持ちにさせては申し訳ない。
「今日はみんなにも親切にしたし、最後は俺も救ってくれた」
「う、うん……」
「そんな秋乃には、なにかご褒美をあげよう」
「ほ、ほんと?」
「ああ。なにがいい?」
多少の出費は致し方ない。
それで今日一日の、秋乃の笑顔が買えるなら良しとしよう。
そして、俺は昔の記憶を呼び覚ます。
昔、凜々花がいいことをした日は。
一日中幸せな気持ちでいられるように。
ずっと笑わせ続けてあげたものだ。
「じゃ、じゃあ……。今日こそ、あたしを大笑いさせてみて?」
「お安い御用だ」
……そう。
分かって欲しい。
こういうのは。
気持ちが大切だってことをな。
「百発目も不発……」
「これか? これなのか!? 耐え切れないほど嫌な思いをしてるんだが、お前への親切になってるか!?」
「あんまり……」
「これじゃねえのか!!!」
結局。
課題がまた増える事になったのだった。
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